第3話 漢、敗れ続ける(相手は女性)

 うおぉおおお、とユリウスは叫んだ。ただし音量は控えめである。


「団長ぉ〜、店に気を遣って抑えるくらいなら、最初から雄叫びは止したらどうです?」


 テーブルの対座にある若い騎兵が指摘してくる。


 そそそうだな、と素直に首肯するユリウスは闘神と呼ばれるだけの体躯をしている。熊かゴリラか、と揶揄されるほど並外れながたいである。

 その逞しい身体を縮こませくれば、普段の戦いぶりを知る者からすれば可笑しくてたまらない。


 ユリウスを含む黒の帝国騎兵服を身につけた五人が囲むテーブルから、どっと陽気な笑いが湧き起こった。


 酒場であれば珍しい光景ではない。だが周囲で酒を酌み交わす客人が向ける目つきは特別としている。揃える顔ぶれがその理由だった。


 一見で一般兵にない佇まいを見せる集団だった。一人は山のごとき巨体であり、一人は細くも見上げるような長躯である。前者が重装騎兵長アルフォンス・スールで、後者が長槍騎兵長イザーク・シュミテットだ。帝国第十三騎兵団について噂話しをすれば、必ず耳にする名である。


 そして指揮するユリウス・ラスポーン騎士には腹心とする四人がいる。


 残りの二人は一転して中背の細身な体格とする。うち軽そうな若い男は軽装騎兵長ヨシツネ・ブルームハート。先に続き口を開く。


「しっかし、あいつが婚約破棄どころか失恋もないって聞かされた時の、団長の様子ったらそれはもう……」


 可笑しくてしょうがないとするしゃべりは最後までいかず大笑いへ変わった。


「我らの団長をあまり笑いものにするのもどうかと思うな」


 他と違い耳が尖るように伸びた弓騎兵長がたしなめにかかる。ベル・デオドールという純粋な人間種ではない者だ。非常に珍しいハーフエルフである。


「おいおい、ベル。たった今、一緒に笑っておきながら、それはねぇーぜ」

「確かに笑えたけど、いつまでもとするのは仮にも我々の騎士団長だよ。どうかと考えるわけさ」


 ここでアルフォンスが木製ビアジョッキを握ったままだ。


「おぬしら、どっちもどっちだぞ。まったく若いとは恐れを知らんもんだのぉ」


 テーブルを囲むうち、一人だけ老兵の趣を湛える巨体騎兵が呆れている。


「えー、でもアルさん。こいつ本当に二十歳だなんて信じられます。エルフって寿命がとんでもねーんだろ」

「人間が短すぎるだけだ。エルフの時間概念からすれば、僕はまだまだ二十歳だってことさ」


 いい加減すぎんだろ〜、とヨシツネ返事をしている最中だ。

 長身のイザークが本題とばかり奥へ座る者に目を向けた。


「ところでユリウス。また賠償を求めなかったとは本当か?」


 学舎で机を並べた同年齢ゆえに気さくな長槍騎兵長の質問というより確認だ。

 返事より先に、恐れを知らない若者と仲間に評されたうちの一人がジョッキを掲げながらだ。


「それにしても龍人りゅうじん族のいかつい戦闘頭せんとうがしらが、まさか幼馴染みとの純愛だったなんてなぁ〜。見かけによらないもんだよな」


 十八歳からの飲酒が認められている世界でなければ、この場にいられなかったヨシツネの顔は赤い。


「……うらやましい」


 ぽつり、一言が奥の座席からもたらされた。

 聞き留めた四人は一瞬、止まった。

 爆笑が起こるのも瞬く間だった。

 若いとされた二人が腹を抱えている。年長に当たる者たちはなんとも微妙な顔つきをしていた。とても騎兵団中心クラスが集う席には思えない屈託ない雰囲気で包まれていた。


「ずいぶん盛り上がっているじゃない」


 両手に新たなジョッキを抱えた若い女性の給仕が割り込んだ。どんっと音を立てて人数分をテーブルへ置く。


「ファニー、聞いてくれよ」


 始めるヨシツネだ。アドリア公国へ派兵されるたびに利用する三月兎亭さんがつウサギていである。すっかり顔馴染みだ。看板娘に上司の婚約破棄から懊悩のあまり敵将に意見を求める経緯をべらべらしゃべっている。

 聞かされた方は接客で止まらない笑みを絶やさない娘だ。さぞかし大笑いするだろうと思いきやである。


「お父さん、例の豚焼き。ユリウス様には奢りでいいわよね」


 娘の確認に料理人も兼ねている店主は了解を挙げていた。


 それは申し訳ないので……、と遠慮気味のユリウスに、ファニーはいたずらっぽく瞳を光らせる。


「ユリウス様がそれほどご家庭をお望みなら、わたし立候補しようかな」


 ええっ! と大きな驚きを上げたのは、言われた当人ではなくヨシツネであった。


「なんだよ、ファニー。オレの誘いにぜんぜん乗ってくれないのって、団長狙いだったのかよ」

「あんた、エルザにも声かけてるの、知ってんだから。わたしは真面目な人がいいの」


 やべぇ、とヨシツネ声にしてしまう。やっぱり〜、とファニーに睨まれれば汗かくほど必死に言い訳を繰り出していた。


「まぁ、父親の立場からすればヨシツネくんよりユリウス様のほうが安心できますな」


 大ぶりな豚肉の塊を載せた皿を自ら運んできた三月兎亭の主人の弁だ。どうしたらこの父親からこんな可愛らしい娘が生まれるのか、と疑いたくなるでっぷりしたギア・ラビットが自ら作った料理をテーブルへ置く。


 尖った耳を軽く揺すったベルが冗談とも半分本気とも取れる感じで言う。


「ユリウス団長。父親からのお墨付きもあれば、どうですか、ファニーちゃんは?」


 どどどうだろう、とユリウスが明らかに動揺をしている。戦場では泣く子も黙る苛烈さは微塵もない。

 不意にファニーが真剣な表情になった。


「わたしはユリウス様がお望みなら構いませんよ。ただし側妾でお願いします」

「それはダメだ。こんな素敵な女性を日陰の身になどさせられない。来ていただけるなら、正妻以外には考えられないし……俺の妻は一人でいいんだ」


 きっぱり告げるユリウスは前線で指揮する者の片鱗を見せていた。

 ファニーのほうもまた暮らしで奮闘している日々だ。形は違えど生きるため戦っていれば答えを濁さない。


「嬉しいお申し出ですが、所詮わたしは酒場の娘です。各国まで名を轟かす騎士様であり、貴族社会に身に置く方とはあまり生活様式が違います。少なくともわたしは社交界に出る教養もなければ、身に付けようとする意欲もありません」


 酔狂が立てる陽気な笑いや話し声が騒がしいなか、ファニーは意志をしっかり届けてくる。

 改めてユリウスは思う。

 素晴らしい女性だ、と。改めて見直したと言ってもいい。

 アドリア公国へ出征の際は必ず訪れる店だが、理由に店主の娘ファニーの存在は大きかった。明るい笑顔を絶やさず、かつ利発な立ち振る舞いは出会ってきた令嬢のいずれにも引けは取らない。

 頭が巡るからこそ貴族社会に関わらない結論へ達したのであろう。

 庶出の娘ならば煌びやかな大広間で陰湿な会話が聞こえよがしにされるだろう。貴族の男性に見出されて社交界への参加は、どれほどの仕打ちを受けるか想像に難くない。


 理解はできるとしながらもユリウスの口から嘆息が吐いて出た。

 今頃になってという点はあるものの、ファニーはとても魅力ある女性であった。年齢や性格を鑑みれば、伴侶と望みたくなるような相手だった。

 けれどもきっぱり断られてしまった。

 三度目の婚約破棄から間も開けずして、失恋とくる。立て続けである。

 胸の疼きにユリウスは絶望しかない。

 一生、女性には縁がないに違いない。そう確信したくなる。


 さらに憂鬱にさせられる使いの者が酒宴の席へやってきた。

 婚約破棄された件について話しが聞きたい、とする義父ちちからの呼び出しであった。

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