第7話 [アラクネ] 7 ライブバトル1-3
[軍人リーダー]は落ち着いていた。
事前の調査から、ライブバトル行えるものが市場にいない日を狙ってはいたが、多少参加されることは想定の範囲内だった。
(乱入してきたアラクネ……。演奏されていた曲と音への理解は深かったが、途中まではメインメロディーのみ弾いていた。獣人の指示で歌唱とは音域をずらしたようだが、一般的な演奏については素人か?)
―――
ライブバトルは、相手が前のパフォーマンスを超えられないと判断した時点でお互いのアピールが終了し、大抵は最後に演奏していた方が勝者となる。
[アラクネ]が演奏を通して質を上げていたところを見ると、ラリーを続けては自分たちに不利に働くと結論付けた。
ゆえに、ここが勝負時と悟った[軍人リーダー]は「最大の演奏を」とメンバーに指揮する。
演奏が[獣少女]達から[軍人リーダー]達に演奏が切り替わる。
先ほどと同じような壮大さを感じさせる楽曲だが、今度は新たに3つの弦楽器が演奏に追加されていた。
高音と低音の弦楽器が主旋律を軽やかに繋ぎ、コードを演奏する弦楽器によって新たなリズムが加わる。
続けざまに、[軍人リーダー]が再度バトンを回転させる。
明らかに先ほどよりも大きな魔力を宿したそれをみて、観客たちが息を飲む。
先ほど体験した規律だった演奏とパフォーマンス。
ああいった演奏を見慣れていない森の住人からすると、その数が20以下でも強烈な印象を受けていた。
次に発動する魔法も先ほどと同じ、数を増やすものだろう。
何が起こるかは想像がつく。
しかし、「数が増える」と言えば至極単純に聞こえるが、それゆえ数は、演奏を偽りなく壮大なものにする。
魔法の発動。
ステージを埋めるように広がった幻影の輪郭が、徐々に形を成し、それは50に及ぶマーチングとなって展開された。
幾重もの音が、空間を埋め尽くした。
圧巻という言葉をこれほどまでに体現した場面があるだろうか。
体も、意識も飲み込まれると錯覚するほどの重厚感。
全身を押されていると感じるほどの音の圧。
誰もが彼らから目を離すことができなかった。
―――
ステージを囲う誰もが、悔しくも、彼らの演奏を賞賛する気持ちになっていた。
相手がどんな奴だろうが、演奏に善悪はない。
自分たちがやれることはやったと皆が諦めていた。
50対2。
音色の種類。
音域、リズムの数。
演奏隊のほうが豪華なのは明らかだった。
対して、二人の表情には勝敗などを気にしている様子は一切なかった。
[獣少女]はアラクネの糸を触る。
「これってもっと低い音もだせるの?」
別の脚を先ほどよりも広い間隔で地面に突き刺して固定すると、その間に複数の糸を張る。
彼女が指でそれぞれの糸を調節すると、糸は演奏の音を拾い、共振し始めた。
(耳では分解できなかったけど、弦の振動でならわかる…。複雑な音色に聞こえていた[軍人リーダー]達の弦楽器も、やっていることは難しくない。振動の重なりが多いいくつかの音を同時にはじいていただけか)
[獣少女]が数本の弦を一緒に小さくはじく。
音は二人にも聞こえないほど小さいが、振動はアラクネの脚を伝っていた。
彼女がはじいた音を1つのセットとして認識すると、途端に複雑に感じていた演奏の要素が分解されていく。
彼らの演奏が手に取るようにわかる。
それは、いわゆるコードと言われるものだった。
[アラクネ]の足には、糸から振動を感知する器官が膨大な数備わっており、使い方次第では全身を耳として使える。
事実、音の分解能は他の種族を凌駕していた。
なんだ、普段とやることは変わらないじゃないか。
ああ、ここは私の巣の上だ。
彼らの出す音など、死にかけの獲物よりも単純だ。
「いけそう?」
彼女は勝利を確信しているのか、表情がにやついていた。
「余裕だね」
私も自信をもって返す。
[軍人リーダー]達の演奏で耳から音が聞こえなくても、彼女が直接弾いた弦の振動は直接伝わってくる。
彼らの演奏の裏で、自分たちの演奏に合わせたコードを[獣少女]が弾き、理解し、吸収していった。
[獣少女]が糸や甲殻伝いで私に伝えたメロディーから次の曲を察する。
(いつもの仕事で使っている曲……?)
「せっかく森の住人が集まってるけど、この曲でいいのか?」
「うーん、さっきはみんな力を借りたかったから、ここで広く知られてる曲にしたけど……。 私たちの曲って言ったらやっぱりこれかなって」
[獣少女]が選んだのならそれでいこう。
私のすることは変わらないし、なんにせよ早く試したい。
演奏の準備は整った。
こちらが相手に視線を送ると、相手はそれに応え、パフォーマンスを出し切ってこちらにパスしてきた。
観客はこれ以上の演奏が出るのかと不安な表情をして二人を見守っている。
---
演奏自体初めてだけれど、私から音楽がはじまるのは、なんだか不思議な気持ちだ。
いままで伴奏なしで歌っていたのだから、[獣少女]もきっとそう思っているだろう。
何というか、彼女にのびのびと歌ってほしい。
いつものように、洗濯物を干しながら歌ってるときみたいに。
楽しんで歌えるように、最高の演奏をしたい。
そんな気分だ。
ゆっくりとした演奏から始める。
あまり飾らない、落ち着いた音。
観客は先ほどの相手方の演奏で気持ちが高ぶっているだろう。
そういう力強い音楽も悪くないが、私たちは同じ土俵で戦うつもりはない。
というか戦うつもり自体ない。
ただ、彼女の声を楽しんでほしいだけだ。
両手間に糸を二本張る。
一方は硬化の魔法によって硬い支柱として使用し、もう一方はその支柱の端を繋ぐ"弓"の役割を持たせる。
[軍人リーダー]達の弦楽器の音から、弓の役割は理解していた。
糸の表面形状が作る引っ掛かりによって振動を起こす。
弦楽器用の即席の弓を作る。
されどそれは、アラクネの魔法によって「理想の表面形状」による「理想の摩擦」を実現している。
ストリングスと言われる、バイオリンやチェロのような弦楽器の音が再現される。
ゆっくりとした連続した弦の音が森にこだまする。
流れるような音は、浮足立った観客の気持ちを静めていった。
[アラクネ]の糸は、観客から届く微細な振動を感知する。
一見ノイズとしか受け取れない雑多な音を、研ぎ澄まされた感覚が分離する。
観客たちの心情を視覚と振動の情報から理解する。
興奮によって浅く繰り返されていた呼吸が、落ち着いてきたこと。
焦りからくる、無意識の貧乏ゆすりのような振動が減ってきていること。
多くの観客の気持ちが、彼らの呼吸が、心拍数が、私の音に沿ってリズムを刻み始めたこと。
会場のすべての意識を「巣が捉えた」と、あらゆる五感が、統合された知覚情報が、実際の獲物を捕まえた時と同じ感覚で私に理解させる。
ここだ。
4つの脚間に張った3種類の音域の弦を両手と残る2本の足の鉤爪で弾き、弓で弾く。
音色が増える。
音域が広がる。
急激に深みを増した弦楽奏に観客の意識が引き込まれる。
個人で再現されているとは思えないほどの音の幅と数。
そして、個人だからこそ実現される完璧なタイミング。
観客の意識は[アラクネ]の一挙手一投足に自然と集中していた。
そこに、[獣少女]の歌声が入り込む。
音に塗りつぶされた彼らの意識が声に向けられる。
それは、森に建てられた看板のように、演奏の中でボーカルが目印となって、[獣少女]が歌に込めたイメージを明確に想像させた。
そのイメージは、喜びの共感。
観客のだれもが、自身の思考や偏見を介さずに、彼女の純粋な喜びを、楽し気な気持ちの抑揚を実感していた。
観客と同じ気持ちの共有を受けながらも、演奏の手は止まらない。
(なんだか体がびりびりする。音を感じるって、こういうことなんだろうな……。)
音の振動が全身を心地よく揺さぶる。
弦の振動が脚を伝い、胸や蜘蛛の下半身の大きな腹部で反響しているのが分かる。
全身の管、空洞が共鳴管となり糸からの音を[アラクネ]独自の音に彩る。
長い脚は低音を響かせ、腹部が中低音を、書肺と言われる層状の器官が高音を強調する。
それらの振動は、蜘蛛の硬い外骨格から空気に伝わり、音となって広がった。
前の演奏とは比較にならないほどの、奥行きのあるパフォーマンスに観客の意識は釘付けになっていた。
演奏隊もいつしか心を奪われ、次に何が起きるのかを楽しんでいる。
彼らの表情は、目の前のパフォーマンスを楽しむ観客のものに変わっていた。
そして、最高の演奏がなされているところに、満を持して[獣少女]が本当にやりたかった "歌声" が追加された。
その場にいる全員が錯覚する。
歌が自身の目の前から聞こえるのだ。
耳元で歌われているような、天から声が降ってくるような、自分に語り掛けられているような感覚を味わう。
彼女の純粋な楽し気な気持ちが染み入ってくるような、そこに浸っているような体験。
突如引き起こされた不可解な現象は、神秘性すら覚えさせ、涙を流すものまで現れ始めた。
そう、この歌声は「魔力だまりを発見する歌」に使用されていたものだった。
普段から多くの住民が行きかう市場には大きな森の魔力の流れがある。
そこに、このライブバトルによって人の流れが滞り、大きな魔力だまりが形成されていた。
[獣少女]は、演奏の開始と同時に「魔力だまりを本流に繋げる歌」を使用した。
ただし、本流に返す方向ではなく、本流の勢いをわずかに魔力だまりに吹き込ませる。
すると、渦潮のように、魔力だまりがこの会場を取り巻くように半球の形に巡回をはじめ、魔力流のドームができる。
そこに、「魔力だまりを発見する歌」を中心で使用することで、声は外周にいる観客それぞれに向けて反射され、余すことなく彼らに向かった。
[軍人リーダー]達が提供したのは、規格化された演奏による物質的な共感。
対して、それらの物質的な壁を越えて、あたかも真に心から繋がったかのような共感を観客は感じていた。
場にいた誰もが、成長とともに自分では感じることができなくなった純粋な気持ちを、もう一度本心から味わっていた。
観客のリラックスした表情、なにより、彼女の楽しげに歌う姿を見て胸が熱くなった
(なんだ、私の糸はこんな風にも使えたのか。)
糸を伝ってくるのは、生臭い血ではなく、心を奮い立たせる振動。
弦をはじく手が自然に動く。
初めて感じる誰かと心を一つにする幸せに、ただただその時を楽しんでいた。
気が付けば市場は拍手と歓声で包まれていた。
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