第6話 [アラクネ] 6 ライブバトル1-2
先ほどの行進曲とは対照的に、[獣少女]の小鳥のように楽しげな歌声が市場に広がる。
この森でよく知られる童謡のメロディーやフレーズを交えた彼女オリジナルの曲だ。
知ったメロディーが来るたびに、森の住人たちは合いの手やコールを送った。
彼女はそれに応えるように、市場に円形に広がったステージのフチを、自然に身を任せるように踊る。
彼女が円のフチに近付くと、そこにいたオークが低い声でハモる。
別のフチに近付けば、そこにいた鳥人がビブラートの効いた高音で歌う。
森の住民たちも、一方的にパフォーマンスされただけでは納得いかないと思っていたのだろう。
自分たちの音楽を、森の自由に楽しむ文化を伝えたいと、全員が楽しんで参加する。
しかし場にいる観客の心には既に陰りがあった。
どこか物足りなさを感じる。
相手は魔法も含めれば17人で統率の取れた演奏しているのに対して、こちらで主になる歌唱、演奏をしているのは[獣少女]1人。
加えて、相手は最初から勝負のために来ていた。
即席のパフォーマンスが太刀打ちできるはずもない。
そして観客の不安は、共感する仲間を探しに、声になって漏れ出す。
「負けたらどうなるんだ」
声援に交じって小声が聞こえた。
6本の脚の鉤爪が無意識に飛び出す。
脚に力を込めて感情を抑えつけ、強く踏み留まる。
堪えられたのは、彼女が目の前にいたから。
この森に来てからはじめて、久しぶりに、憎悪が沸いた。
気に食わないものを害して解決しようとする自分の思考を掻き消す。
森に来る前はその気持ちに従っていた。
昔の自分なら、何の迷いもなく殺す算段を立てていただろう。
今はそんな感情を客観的に見ることができた。
自分が怒っているのは、[シルバーバック]の危機を察して、責任もないのに代わりとなった彼女を悪く言う奴がいるから。
この問題は文句を言う奴らを殺すことでは解決しない。
誰も彼も自分ではどうにもできないと察して、観客に甘んじている。
私だってそうだ。
こんな時に何をすればいいのかわからない。
対等の条件なら彼女が負けるはずがないのだ。
今歌っている歌は、何度も、何度も聞いて知っている。
あんな奴らのパフォーマンスなんて遠く及ばない、素敵な歌だ。
けれど、彼女一人では勝てない。
本人も気付いているのだろう。
歌う彼女の笑顔は、内心の焦りを隠すようにいつもより強張っていた。
私には彼女のような美しい声がない。
ただの[アラクネ]の声では彼女を助けられない。
自分はこんなにも無力なのか?
過去の自分を切り捨てても、結局、新しい時代で生きていけないのか?
傷の癒えた体に怒りが満ちても、ぶつける先がない。
頭をよぎる焦燥と不安でおかしくなりそうだ。
私は大切なものが傷つけられていくのを眺めていることしかできないのか……?
「吟遊詩人でもいれば、伴奏してくれるんだろうけどなあ」
野次に交じったつぶやきがすっと耳に入ってきた。
伴奏。
弦楽器。
彼女の声に合わせた振動。
いくつかの単語が想起され、気が付いた時には人垣からステージの中心に飛び出していた。
彼女が眼を大きく開きこちらをに振り向く。
一刻も早く近くに行ってあげたかった。
自分にできることが浮かんだと同時に体が動いていた。
不安がよぎる暇もなかった。
ただ思うように体を動かした。
彼女の横で、2本の前足をハの字に開いて強く地面に突き刺して固定する。
その間にアラクネの糸で作った弦を強く張る。
楽器の使い方はわからなくても、この糸は、前の時代を生き抜くためにずっと使いこなしてきた。
音楽の知識はなくても、彼女の歌に合わせる方法は感覚で理解していた。
蜘蛛の脚は空気や網糸の振動を感知するための、特殊な受容器官をもつ。
音とはつまり空気の振動であり、ずっと自分が扱ってきたものだ。
彼女の歌声のすべての音を、それぞれの弦が拾うように、糸の太さ、張り、長さを瞬時に調節する。
それは、それぞれの弦が各音階に対応する弦楽器、ハープと同じ機構だった。
迷わず、弦をはじく。
[獣少女]の肉声に沿うように、弦による澄んだ波紋が市場に広がった。
唖然とする観客と軍人たち。
対して[獣少女]は、表情を一気に明るくした。
それは、先ほどまでの気丈にふるまっていた笑顔とは違う。
彼女自身の楽しさから出たものだと、すぐに分かった。
弦の音が、彼女の声をしっかりと支える。
その上を歩く彼女の歌声は、徐々に軽やかに、純心なままに嬉しさを溢れさせていく。
気づけば楽し気に跳ねるように、彼女は自由に歌っていた。
森を駆け回る獣のようで、他者を気にしない鳥のさえずりのような、いつも聞いている純粋な彼女の歌だ。
私が自慢してやりたかったいつもの歌声だ。
"楽器"の登場に、それも、誰も見たことのない斬新な演奏に観客が沸き立つ。
ライブバトルは観客の心をどちらが掴めるかの勝負。
[軍人リーダー]達の表情が、相手の実力を推し量るような険しいものに切り替わった。
[獣少女]がこちらを見る。
この表情を私は知っている。
なにか面白いことを思いついた時の顔だ。
彼女は節目で、歌をハミングに切り替える。
突然歌唱をやめたことで、観客からざわめきが聞こえた。
しかし、それは先ほどまでの暗いものではなく、好奇心からくる次のパフォーマンスを期待するものだった。
[獣少女]はメロディーに合わせて右手を目線の高さで上下させる。
私の演奏している音も、もちろんそれに沿って上下している。
続いて彼女は左手を、右手の下で上下に動かす。
同時に左手の動きに一致した低い声のハミングを始めた。
(なるほど、そっちを演奏しろってことか……)
[獣少女]の低いハミングに合わせてメインメロディーを一周してパターンを覚える。
妙ににやついてる彼女の表情は、「一回で覚えられるかな?」と煽っているようなニュアンスを含んでいた。
普段二人で冗談交じりに会話しているときのような、心地の良い雰囲気。
なんだか楽しくなってきた。
再度メインメロディーを迎えるところで、私の伴奏と彼女の歌が分岐する。
場の拡声魔法がそれぞれの音を拾い、最適な音量で場に返す。
会場がさらに沸き立ち拍手が起こった。
音楽を作り上げていくライブ感は、「強大な敵に立ち向かい、個性を活かして団結する」という、まさに今自分たちがあるべき姿だと観客たちに連想させた。
そして、いつの間にか会場には暗い雰囲気はなく、全員がパフォーマンスを楽しんでいた。
曲の節目で彼女は歌唱を区切り、観客に手拍子を求める。
先ほども行われた、相手にパフォーマンスを渡すサイン。
今度は逆の立場となった。
もちろん相手はまだ余力を残している。
メンバー8人に対して、先ほど演奏していたのは[軍人リーダー]を含めて5人。
しかしそれを知っていてもなお、[獣少女]の表情に曇りはなかった。
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