第3話 [アラクネ] 3

 気が付けば一ヶ月が経っていた。

 [獣少女]に森で拾われてから私は、彼女の家で暮らしていた。

 半月過ぎたころに歩けるようになり、それ以降は仕事や家事を手伝っている。


 今日は彼女の仕事の付き添いで、森のさらに深いところに来ていた。


 この森を、森の住人達は「エルフの大樹海」と呼んでいる。

 私が逃亡する際に逃げ込んだ森は、深い位置でこの大樹海と繋がっていたようだ。

 この一連の森は私の想像以上に広かったらしい。

 あの国で手に入る地図では、森が地図の端として描かれていたので広いことは知っていたが、実際に歩いてその広さを体感した。

 ひと際高い木から周囲を見渡した際、地平線の先まで続く緑を見て、壮大さにわずかな恐怖を感じた。


 彼女の家や生活圏となる範囲は、私のいた国からは、山をいくつか越えるほど遠くに位置していた。

 森を浅いほうに向かえば別の国に出るが、あの国とは国交がないらしい。

 それゆえ、普段生活している間は昔のことを忘れることができた。


 ちなみに、「エルフの大樹海」の名前になっているエルフ達は、森のどこかに隠れて暮らしているらしく、有事の時のみ姿を見せると言われている。

 最近では、魔王と勇者の戦争の際に表に出てきたらしい。

 エルフ達は魔物と人間のどちらに対しても、中立かつ専守の姿勢をとった。

 彼らの実力は計り知れず、大戦を経てもこの大樹海だけは一切形を変えなかったらしい。

 いつからこの森があるのか知らないが、幹が数メートルに及ぶ大木が至る所に生えていることから、歴史の長さが窺える。

 長期間、広大な森を維持し続けるエルフ達の卓越した力は、想像することさえ難しかった。



「ここらへんかな?」

 森を自分の庭のように歩く彼女が、ふと立ち止まった。

 私から見ると他の森の景色と一切違いが分からないが、どうやらここが今日の仕事場らしい。


 彼女はゆっくりと息を吸い、魔力が織り込まれた歌を歌い始めた。

 木々の間に広がる歌が、ちょうど私たちの右前方向あたりから反響して聞こえる。

「あのへん! かなり魔力が滞留してそう!」


 先ほどの歌は、森の魔力循環から独立してしまった "魔力だまり" に対して干渉する性質を持つ、と彼女は説明してくれた。

 森の魔力循環を川の流れに例えると、魔力だまりは本流から分かれて小さな池ができている状態に近い。

 魔力だまりが長く生じていると、その位置に重なる動植物が影響を受けるらしい。

 本来自然の魔力は流れや勢いが刻々と変わるが、魔力だまりではそれらが著しく安定している。

 魔力だまりのような安定した魔力流下の動植物は、その魔力流に最適化されてゆき、溜まっていた魔力を吸い上げて急成長を起こす。

 結果、成長に体が追い付かずに自壊するらしい。

 植物であれば、急成長に伴って周囲の栄養を吸い上げ、土地を枯らしつつ自身も壊れてしまう。

 一度木に吸い上げられた栄養が再度土地に還るには長い年月を要し、森の成長を妨げる要因になるのだそう。


 通常の森程度ではこういった魔力だまりは生じないが、莫大な生命が暮らすエルフの大樹海では稀に見受けられる。

 魔力だまりを解消する魔法使い達は調流師と呼ばれ、エルフから伝授された「魔力だまりを発見する歌」と「魔力だまりを本流に繋げる歌」を受け継ぎ、エルフの大樹海全体に広がって、森の管理を手伝っている。


[獣少女]の育て親も調流師であり、彼女は幼少期に捨て子として森を彷徨っていたところ、歌の適正を見込まれて育て親に拾われた。

 一人前になってからは育て親と別れて、調流師を続けている。


 もちろん調流師の役割に金銭は発生しないが、魔力だまり解消の際に副産物を得られることがある。

 彼女は木を指さしながら、難しそうな顔をする。

「あの木の頂上と、あっちの背の高い木の枝分かれの根元を結んで、その真ん中あたりの空中になりそうなんだけど……。 届きそう?」

「問題ないよ、この籠の分、全部いける?」

「うん、結構大きな魔力だまりだからいけそう。 無理しないでね……?」

「わかってる」


 私は、瓶がぎっしりと詰まった籠を左腕で抱え、彼女が指さしていた背の高い木に向かって跳ぶ。

 衝撃を関節で吸収して、瓶のぶつかる音すら聞こえないほど柔らかく着地した。

 続けて右手から魔法の糸を射出する。

 本来は1本でもいいのだが、[獣少女]が不安にならないように、しっかりとした糸の足場を作る。

 別に[獣少女]が糸に立つわけではないが、 「[アラクネ]が心配で集中できない!」 とこの前怒られた。

 ずいぶんなめられたものだが、病み上がりなのは確かだし、さほど手間ではないから彼女に従う。


「ここら辺でいいか?」

「うん! 大丈夫そう! ちゃんと離れててね!」


 籠を糸で空中に固定し、木まで戻った。

 彼女は私が十分に離れたことを確認すると、魔力だまりを本流に繋げる魔法の歌を歌い始める。

 すると、籠の中の瓶に描かれた魔法陣が激しく緑に発光する。

 籠の隙間から漏れる光が落ち着いたころ、彼女の歌が終わった。


 再度、[獣少女]が最初の歌を歌っても反響は起こらなかった。

 設置された籠を回収して地上に降り、張っていた糸を全て消す。

 籠を彼女の前に差し出すと、彼女はその中から瓶を一つ取り出して中を見る。


「うおおー! しっかりできてる!! それもこんなにいっぱい! すごいよ[アラクネ]!!」


 魔力だまりを本流に繋げる際、その経路上に、「森の魔力に作用する魔法陣」が描かれた瓶を設置したのだ。

 魔法陣の効果によって、瓶の中の果実や香辛料には特殊な加工がなされ、それらは薬や素材へと変化する。

 この魔法は、純粋な自然の魔力が短時間で大量に流れないと起動しないため、これらの薬は工業的に生産できない代物だった。


 手の届かない位置でも魔力だまりを解消することはできるが、魔法陣はその直下でないと発動しない。

 そのため[獣少女]一人では、空中の魔力だまりは活用できなかった。

 また、魔力だまりの解放地点は危険なため、飛行できる調流師でも活用が難しい。

 安定した場所に魔法陣を設置できない場合は、魔力だまりの解消のみを行って、次を探すのが従来のやり方だった。


 彼女が楽しそうに次々瓶を取り出し、どういった薬なのかを早口で解説してくる。

 薬の価値はわからないが、彼女の笑顔を見られて幸せだった。


 彼女とはとても仲良くなった。

 いたことはないが、姉妹のような関係だと思う。

 こんな風に自分が生きられるとは思っていなかった。


 戦争孤児として捨てられた[獣少女]に、孤独だった自分を重ねることが度々あった。

 その度に、彼女を護りたいと、強く思った。


 過去の自分が頭をよぎって、心が崩れそうになるときには、彼女がわけも聞かずに、手を握って優しく歌ってくれた。


 生まれて初めて、そばにいたい人ができた。

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