第2話 [アラクネ] 2

 心地よい歌声に包まれる。

 暖かな日差しのような、穏やかな幸せを感じさせる声だ。

 次の音色を求めるように音に意識を集中すると、自分が寝ていたことに気が付いた。

 瞼がふっと開く。


 木造の天井と、つり下がった魔法のランタンが見えた。

 この天井に見覚えはなかったが、知らない場所に対して焦りを感じるほど頭は回っていなかった。

 上体を起こそうと腹に力を入れると、つられて下半身にも力がこもる。

 鋭い痛みを感じ、眉間にしわが寄った。


 肘をつきながらゆっくり腰を起こし、一息ついてあたりを見渡す。

 組まれた丸太の壁、鮮やかな花のある花瓶、綺麗な木目のテーブルと、落ち着きのある室内で眠っていたようだ。

 陽の差す窓からは鮮やかな緑が覗く。

 外からは歌声と、鳥や虫の鳴き声が聞こえる。


 歌が終わり、わずかな余韻のあと、玄関のドアがゆっくりと開く。

 小柄な獣人の少女が、干し終わったフカフカの洋服を載せた籠を両手で抱えていた。

 彼女は小さなおしりでドアを押し開けて体を滑り込ませる。

 少女は栗色の毛が覆っている手足、大きな耳、ふわふわな尻尾をしており、それ以外は人間のような風貌をしていた。


 少女が籠を置き、顔を上げたところで目が合う。

 彼女の瞳は太陽のような黄色をしていた。


「わっ!おはよ!体起こして大丈夫なの?傷はいたくない?」

 胸をくすぐられるような、柔らかで可愛らしい声。

 ただの言葉が歌のように聞こえるほど耳障りが良い。


 耳に残った心地よさに気を取られ、返答が遅れてしまった。

「……あ゛、ああ、だぃじぉ……ん゛っ」

 加えて喉が乾燥していたのか、まともに声が出ない。


「ふふっ、よかったぁ。 あなた重傷だったんだから、まだ寝てなきゃだめだよ。 あ、お腹減ってるよね? 少し待ってて!」

 少女は一息でまくしたてると、小走りで隣の部屋に向かった。


 彼女の姿が消え、自分に意識が戻ると、ふと先ほどのやり取りが思い起こされた。

 なぜ私は普通に返事をしたのだろう。

 普段なら会話など起きる間もなくこの獣人を殺している。

 何とも間抜けだ。


 生きることがどうでもよくなってしまったのか、つきものが落ちたのか、久しぶりに柔らかい布団で寝たから気が緩んでいるのか。

 恥ずかしい気持ちが少し沸き上がるが、それを受け入れる心の余裕と、心地よさがあった。

 ふと、笑みがこぼれた。

 一度死ぬとはこういう感覚なのだろうか。

 気を失う前の自分を達観して見ているような気分だった。


 戻ってきた彼女は、表情のほころんでいた私を見て、布団の自慢しながら木彫りの器を差し出してきた。

「そのベッド気持ちいいでしょ。隣の大樹に住んでるコカトリスのお姉さんが、冬の羽毛を譲ってくれたんだ。はい、これ余りものだけど、栄養いっぱいだから食べてね。飲みやすいようにちょっと薄めといた。 あ、お野菜食べられる?甘いスープになってるからおいしいよ?」


 差し出されたスープを前にして、困惑で体が固まった。

 こんな経験をしたことがないから、どうしたらいいのかわからない。

 受け取るための手は布団の中から動いてくれそうにない。


 動かない私を、不思議そうな表情で彼女が見つめてくる。

 何か返答をしなければと、やっとの思いでわずかな言葉を返すことができた。

「な、ど、どうしてこんな? 私が怖くないのか?」

 どもりながら出た言葉はそれだけだった。

 見当違いな返し方をしていないか不安で、普段より小さな声になっていた気がする。


「あなた、私が見つけた時には死にそうだったんだよ? 話せるようにならなきゃ、あなたがどんな人か、良いも悪いも分からないじゃない?」

 間を置かずに、さも当然だと言うかのような返答が返って来た。


 初めて会う相手はまず敵だと思って生きてきた自分と、大きく違う価値観。

 言葉の意味はもちろん分かるが、その考えが腑に落ちていない自分がいることも分かった。

 この人とどう接すればいいのだろうか。

 寝起きの頭で考えるには難しい内容だった。

 思考が深くまで続かず、あっけにとられた表情のまま彼女を見つめていた。


 ぼーっとしている私に、彼女は再度スープを差し出す。

「はい、どうぞ」

 声で我に返り、気が付けば体が勝手に動き、受け取っていた。

 お礼の言葉が頭をよぎったが、声にはならなかった。

 手は自然と布団から出ていた。


「おいしい?」

 まだ飲んでもいないのに彼女は聞いてくる。

 せかされるように一口すすると、乾いた喉に染みてむせた。

 全身に力が入って痛みを感じたが、器を傾けることだけは免れた。


「もー、あわてちゃだめだよー」

 彼女がその様子を見ておかしそうに笑う。


 がっついたわけではないと訂正したかったが、彼女の表情を見たら、まあそれでもいいかと思えた。


 もう一度、スープをすする。

 手作りの味がした。

 あたたかい、おいしい。


 表情に出ていたのだろうか? 私の様子を見て、彼女は幸せそうな表情を一層穏やかに、暖かいものにする。

 笑顔がより笑顔になるなんて考えたこともなかった。

 なんて素敵な表情なんだろうか。


「ね!よくなるまでここで休んでいきなよ! 誰かに歌、聴いてほしかったんだ! あ、私、[獣少女]っていうの。 よろしくね!」

 そういえばさっきも歌っていた。

 歌が好きなのだろうか。可愛らしい彼女にはぴったりの趣味だと思う。


 彼女はベッド横に敷かれたカーペットに座り、歌いながら取り込んだ衣服をたたみ始めた。

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