魔界のidolaをファンサが越えて

パペット

第1話 [アラクネ] 1

 魔王の死後、魔界は分裂した。


 全ての魔物にとって唯一の共通したアイデンティティであった「魔王国の民」という肩書が、これほどまでに重要だとは誰も思っていなかった。

 魔物同士の関係から「同じ国民」という仲間意識が取り除かれた結果、それらは異なる種族の集まりに成り下がった。

 雑多な種族が入り混じる魔界で、魔物たちは互いに疑心暗鬼になり、旧友は敵へと変わっていった。

 彼らは殺し合い、領地を奪い合い、心の溝を深め続けた。


 それゆえ、誰もが共通して崇拝できる神を、信頼し合える繋がりを求めていた。

 しかし、どんなに力を誇示するリーダーが現れても、先の魔王のそれには遠く及ばなかった。

 力で魔界を統一した魔王ですら、勇者という更なる力に敗れたのだ。

 魔王が死んで以来、魔物たちは自分達の拠り所がなくなる不安を抱き続けていた。


「推し」という神が現れるまでは。


 疲弊した魔物たちの心を癒し、再び彼らを統一したのは人間の国から伝わって来た異文化 ”アイドル” だった。


 アイドルは種族を越えて魔界の文化に取り込まれていった。

 あるハーピーはアイドルになり、華麗に宙を舞って視線を釘付けにした。

 あるワーキャットはアイドルになり、その愛らしさで見るものを魅了した。

 あるセイレーンはアイドルになり、その歌声は魔界に木霊した。


 ファンも種族を越えた。

 サイクロプスの咆哮が場をブチあげ、

 ネクロマンサーの呼び起こした死者の軍勢が、一糸乱れぬコールを披露し、

 デュラハン隊は両手のサイリウムソードを一心不乱に振った。


 もはや、音楽で心を1つにするのは人間だけではない。

 分裂した魔界を華麗なパフォーマンスで治めていった新時代の「魔王」は、いつしかdivaと呼ばれ、魔界投票戦でその座を継承していくことになった。

 魔界は今、大アイドル時代を迎えていた。


 ―――


「くそったれな時代だ」

 目の前にある木材と石で作られた家が、屋根ごと大きくえぐれて消し飛んだ。

 背後から続けざまに放たれる亜竜人のブレスを、家屋を遮蔽物にして避ける。


 アラクネの私があのブレスに直撃すれば甲殻一つ残らないだろう。

(敵はそこまで高度を出していない。

上空から見下ろされなければ、建物は十分に死角として機能する。

敵は中型以上の有翼種、飛行中は急に進行方向を変えられない……。)


 とるべき選択肢は、亜竜人の追跡を振り切るために、密集した住宅地を縫って進むこと。

 地の利を活かして立体的に移動し続ければ、相手が亜竜人でも森まで逃げ切れる。


 複雑な障害物中でアラクネの機動力に勝る魔物はほとんどいない。

 蜘蛛の下半身から生える6つの脚を駆使し、建物の壁から壁へと跳躍を繰り返していく。

 6本中、4本の脚で着地の衝撃を吸収し、屈曲しておいた2本で即座に壁を蹴る。

 加えて腕から糸のアンカーを射出し、糸の張力によって空中で軌道を変える。

 速度を殺さない連続した方向転換は、敵の追跡を困難にした。

(ブレスが止まった。……見失ったか?)


 私はかなり戦闘経験があると自負している。

 少数戦であれば、勝てずとも最小限の被害で撤退する自信がある。

 今も考えうる最良の選択肢を取ったはずだ。


 慢心はなかった。

 着地の瞬間、投擲された槍が後ろ足に刺さる。

(い゛ぁッ……?! 地上からも!?)

 臭いを追ってきた獣人から投擲されたものだ。

 視認を断つだけでは逃げ切れない。


 切迫感が激痛を抑えつけ、思考を加速させる。

(この脚はもう移動に耐えられない。かといって千切れればバランスが崩れる。)

 移動の妨げになる槍を根元から切り落とし、残りの5本の脚を使って、即座に直行する路地へ飛び込んだ。

 逃走しながら、槍が貫通したままの脚を糸で下半身に強く固定する。


 誰が見ても、一匹のアラクネごときが対峙できる数ではなかった。

 数に加えて、上位種の亜竜人が本気で私を殺しにきている。

 逃げ切れるかすら怪しい。

 明らかに今まで経験してきた中で一番危険な状態だった。


 ―――


 もちろん私は、雑多な種族に同時に喧嘩を売るほど馬鹿ではない。

 恨みを買うようなことはいくつもしてきたが、相手を選ぶ。

 それゆえ、今まで命の危険にさらされるような窮地に陥ったことは一度もない。

 そこらのごろつきと違い、私は"殺し"を旧魔王が支配する時代から家業としてきたのだ。

 ターゲットを殺すにあたって、自分の状況は常に正確に把握していた。

 だから、これ程までに追い詰められるのは想定外だった。



 ことの発端は先日の強盗殺人だった。

 いつも通りターゲットを選定し計画を実行した。

 家族がおらず、町につながりの強い同種が少なく、夜道に警戒心の薄い男で、男が見知った道を帰宅している途中、手元に意識が集中しているところを狙う。

 相手は完全に気を抜いていた。

 殺すのは容易だった。


 鉄の矢にも劣らない先端の鋭い糸を、喉、四肢、脊椎を狙って右手の魔法陣から射出する。

 散弾のように吐き出された糸は、標的の男の獣人を貫通して、地面にめり込んだ。


 射抜かれた体の痙攣が、糸を介して伝わってくる。

 相手の感情が、困惑や恐怖が、糸の振動から手に取るようにわかる。

 細かな振動は声にならない声帯の震え。

 大きな振動はもがきや鼓動。

 周囲に助けを求めようと、必死にあたりを見渡す眼球のせわしない動きさえ感じ取れる。


 男は、はりつけにされた体に乱暴に力を込めて、糸の絡まった操り人形のように藻掻く。

 しかし、いくら藻掻けど糸から逃れることはできない。

 助けを呼ぼうにも声は出ない。

 刺傷によって引き起こされた肋間筋と横隔膜の痙攣で、呼吸をすることさえ叶わない。

 そして、男は徐々に力を失い、糸に身を預けた。


 死体を糸です巻きにし、川へ運ぶ。

 死体が沈むように肺に水を入れ、ガスが溜まって浮かないように内臓にいくつか穴をあけた。

 ミノムシのようにす巻きにされた死体に、一本の強固な糸をつなげて上流から川へ投げ入れる。

 流される死体が水門をくぐり、流れの速く底が深い位置に来たタイミングで水門を下ろす。

 死体からのびる糸が水門によって水底に擦り付けられたことで、死体は目視困難な濁流の中に固定された。

 彼は誰の目にも留まらずに、水生生物の餌になるだろう。


 男の家に行き、金品を回収する。

 特に変わったところのない一人暮らしの部屋。

 強いて言うならツインテールのメデューサが描かれた物品がいくつか並べられていることだろうか。

 最近よく聞くアイドルのグッズというものだろう。


 獣人がメデューサに興味を持つのは珍しいと思った。

 種族が離れているから相手が子を成すことは難しそうだが、なぜこの女に執着しているのか。

 まあ他人の趣味なんてどうでもいいが。


 貯蓄されていた貨幣を乱雑に袋に詰め込み、家を立ち去る。

 人目に映らぬように市街地を避けて、離れた隠れ家に向かった。

 慣れた手法。私にとってはごく普通の日常。

 順調に事が進んだはずだった。


 問題は翌日の早朝に起きた。

 ベッドで寝ていたところ、手元に括り付けていた糸に人為的な振動が伝わる。

 糸は家の周囲の路地に繋げられたものだ。

 この家は住宅地のもっとも公道から遠い位置にある。

 糸の張られた路地を地域住民は普段使わない。

 つまり、この地域の住人でない何者かが近くを歩いている。


 大通り側からこの家に向かって、設置されていた糸が順に踏み切られていく。

(この家に誰かが向かってきている!? 離れた位置の糸がほぼ同時に反応している……。複数人いるのか?)

 糸から伝わる振動から、接近しているのは小型の獣人だと推測された。

 おそらく鼻が利くタイプだ。

 この家にたどり着くのも時間の問題だろう。


 ベッド脇にまとめてあった金品を鷲掴みにし、窓枠を乗り越えて家の外壁に張り付く。

 即座に周囲を見渡すと、見えるだけでも3人の武装した獣人がいた。

(戦闘するには相手が多い、逃げた方が安牌か。)


 この時までは、想定内の展開だった。

 恨みを買った相手の復讐は常に考えていたし、その対策も十分にしていた。

(屋根伝いに逃げるのがいいだろう。十分撒ける相手だ。)

 方針を決め、ふと視線を上げた。


 そこには、想定外がいた。

 4軒先の屋根上にホバリングしている、亜竜人と目が合った。

(なんで亜竜人がこんなところに!?)


 亜竜人は上位種に含まれる。

 この国の規模であれば、上位種の魔物は10体いないほど希少だった。

 それだけ強力で、圧倒的な戦闘力を持つ。

 そんな化け物が用もなく貧民街にいるはずがない。

 まさか彼の用が自分にあるとは考えたくもなかった。


 相手はこちらを見つけるや否や、躊躇なくブレスを放った。

 とっさに家の壁を蹴って隣の建物へ跳躍する。

 先ほどまで自分のいた場所が閃光で白く塗りつぶされた。


 背中に爆風を受け、体勢を崩しながらもなんとか着地する。

 余波だけで、皮膚がただれたのが分かる。

 痛みが相手の強さを実感させる。


(躊躇なく殺しに来てる。亜竜人の怒りなんて買った覚えは無いのに……っ!)

 先程までいた隠れ家は、一撃のブレスで消滅していた。

 脚を止めたら殺される。

(亜竜人からの逃走が最優先だ)

 飛行する敵が追跡しづらい場所、森に向かって全力で逃げる。


 逃げる私の背後から、亜竜人のものと思われる怒号が聞こえてきた。

「あいつが同志を殺したアラクネだ!殺せ!!絶対に殺せ!!」

(同志を殺しただと?)


 上位種を敵に回すような魔物はターゲットに選ばない。

 今までも注意深く選定してきたはずだ。


 思い起こされる亜竜人の容姿。

 その右上腕に巻かれた腕章。

 描かれていたのはツインテールのメデューサを模したマーク。

 それは、昨日殺した男の部屋に飾られていたオブジェにも描かれていたものだった。

(……まさかアイドルのつながりで? ふざけすぎだ!!そんなもので殺されてたまるか!!!)



 力の時代は終わり、アイドルの文化が流入したことで、魔物同士の関係性は大きく変わっていった。

 力による階級制は終わり、魔物たちはそれぞれの「推し」を見つけて「同担」として団結し、力のある者は非力な者を守るようになったのだ。

 魔物たちの集団は、各々の特技を活かし合い、より強力になっていった。


 念話やテレパスを得意とする魔物のゲイザーが、今日のライブ予定をファンに共有したところで、獣人が応答しないことに気が付いた。

 鼻の利くコボルトが、臭いを手掛かりに川までたどり着いた。

 泳ぎを得意とするサハギンが、急流の底の遺体を見つけた。

 ワーラットが、町に住む同胞たちの情報網を駆使し、アラクネの大まかな住処を特定した。

 そして非力な彼らを亜竜人が保護し、集団としてまとめ上げていた。

 数多の種族が自らの意志で団結することなど、先の魔王の時代にはなかった。


 ―――


 森に入り、国境を越えてさらに深いところまで逃げてきた。

 追ってくる音はもう聞こえない。

 振り切ったのだろうか?

 槍の刺さった後ろ足は取れかけ、全身は火傷と切り傷で赤黒く染まっていた。


 追っ手を振り切った心の余裕からか、朦朧とする意識に様々な感情が湧き出てくる。


(ここまで手酷くやられたのは初めてだ……。)

 因果応報。暴力には暴力を。

 新しい時代に馴染めず、古いやり方で生きる私に対して古いやり方が返って来た。

 いずれこうなることは覚悟していた。


 ただ、彼には仲間がいた。

 新しい時代の繋がりがあった。


 対して私は独りだった。

(仕方がないじゃないか。私はアラクネとして生まれたんだ。)


 アラクネは裏切りや狡猾さの象徴として誰からも忌み嫌われる。

 同種でも群れを成さない孤独な種族。

 彼らのように群れを成して生きることはできない。

 彼らはずるい。

 私にないものを持って生まれている。

 私を迎えてくれるコミュニティなんてない。


 もう暴力で、個人で生きていくことはできないのだろうか。

 力で生きていけないのなら私はどうすればいいのだろう。


 これまでの人生が、アイドルなんていう、ふざけたもので、全部否定されてしまった。

 心がそう納得してしまった。

 悔しさと無気力さが全身を満たす。

 これからのことを考える気力はない。


 あの国から一歩でも遠くへ逃げることは、生きるための間違いない正解だろう。

 今は分かりやすい正解にすがりたい。

 思考を停止して体を動かす。


 それでも頭に自虐が湧き出る。

 生き方が分からないのに、生きるために逃げる。

(……なんて滑稽なんだろうか。)

 これからは殺しの算段も、身の振り方も、考えるだけ無駄なのだろう。

 古い時代を生きるアラクネとしての自分が、一人世界から消えた。



 かろうじて生き延びた私は、国のわずかな明かりも見えないほど遠くへ、暗い森の方へ足を引きずって歩き続けた。

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