第29話 ファースト……
冥血城は地下が本体。それは、私の母が私のためにそう設計した。
しかし地上に出た城部分は飾りではなく、小さいが洋城としての機能は持ち合わせていた。といっても、いま私が使う機能といえば高台から景色を眺めるくらいなのだが。
夕陽に照らされる林。かつて家屋が立ち並んでいたそこには、ドロリス・シュヴァルツが配置した魔獣やゾンビが蠢いている。
街の賑わい、商店の婆さんの大声、夫婦喧嘩の喧騒。
ああ、懐かしいなあ。
「ティーアラ!」
「……はぁ」
「ため息!?」
感慨に耽る暇も与えてくれない。
振り返るとやはりドロリス・シュヴァルツがいた。しかしそれは外側の話。奴の魂はいま、黒雛心という日本人が支配している。
「何の用だ」
「えー? みんな盛り上がってる中、1人寂しくどこかへ消えた妻を追いかけてきた奥さんに対して冷たくない?」
「馬鹿馬鹿しい」
「えーいこのツンデレさんめ」
「この……頬を突くな!」
この女は人の神経を逆撫でするのが得意だ。だが……
「引っ越し前だもんね。過去の景色と重ねて見ていた?」
「…………ふん」
人の心を汲み取るのも、また得意なのだ。ドロリス・シュヴァルツには一切なかった才能だ。
「カラットってどんな国だったの?」
「それをお前が聞いてどうする」
「だって将来的にティアラが女王になるんでしょ? じゃあ私はその妃だから、王妃なわけじゃん。知っておかないとね」
パチリとウィンクを向けてきた。まったく調子のいい女である。
「別に特徴も何もない国だったよ」
「そうなの?」
「でもみんな笑顔だった。それだけは確かだ」
「……じゃあその笑顔、取り戻さないとね」
「…………」
「あ、惚れ直した?」
黒雛心はドロリスの顔で、ニヤけた顔を私に晒した。
「い、一度たりとも惚れてないわ!」
「えー? 結婚してくれたのに?」
「そ、それは政略的な結婚であって……そこに恋愛感情はなくだな……」
「本当に〜?」
「あ、ああもう! うるさい! お前といるとバカが移る」
付き合ってられるか。
私はバカから逃げるように冥血城の天守閣に転がり込んだ。
手入れなどしてないはずなのに、埃が立たない……どういうことだ?
「あ、そこ良いよね。私も好き」
「……なぜついてくる」
「そりゃ妻だから」
「答えになってない」
「えー? 心を込めて掃除しておいたのに〜」
滔々と言う黒雛心に、私は目を見開いた。
「ここを、お前が?」
「そだよ。いつかティアラがお城を見るときに埃まみれだと嫌でしょ?」
「…………」
この女は、何なのだ。
どうしてこんなに、私の求めるタイミングで現れ、私の求めることをしてくれる。
偶然なのだろう。しかしあまりにも、運命に遊ばれている気がする。
「ティアラ、引っ越し前にこの辺りを見ておきたかったんでしょ? 私も一緒させてくれないかな」
「なぜお前が……」
「妻だから」
「…………」
だめだ。これは結婚を許してしまった私が悪いな。
「もういい、好きにしろ」
「やったー!」
黒雛心は子どものようにはしゃぐと、私に肩を寄せ、腕を私の肩に回してきた。
「やめろバカ」
「えー、いちゃいちゃさせてよ」
「だから私たちは政略的な結婚であって、恋愛的には……」
「『お前のこと、結構好きだぞ』」
「うっ……」
その言葉は、私がついコイツに言ってしまった言葉だ。
私が黙ると、黒雛心も黙った。
沈んでいく夕陽を眺めていると、感傷的な気持ちになる。思い出すのだ。いつ国が滅んだとも知らぬ自分が、久しぶりに外に出たら全てが終わっていた時に感じた無力さを。
「すぅ、すぅ」
「ん?」
何やら異音がすると思えば、黒雛心がだらしない顔で寝息を立てていた。こいつ、何をしにきたんだ。
思えば、外に出るなんていつぶりだろう。国が滅んだと知ったあの日以来か。
あの日以来、私は外に出ることを恐れた。外に出ると、研究している間に世界が変わってしまっている気がしたから。
「黒雛心、お前は……」
カラットの国を再建する。その夢に協力してくれるという。
お人よし。バカ。温かい、バカだ。
ちゅっ
「………………ッ!?」
理解まで1秒・2秒・3秒。
「わ、私は何を!」
慌てて袖で唇を拭う。そして黒雛心がそこにいるのが気恥ずかしくて、私は1人地下へと帰っていった。
「事故……事故だ! 事故事故事故事故事故事故!」
アイツが寝ていたことが、唯一の救いだ。もし起きていたら一生弱みを握られたところだった。
◆
ティアラは……行ったかな?
「ぅおいおい! 今の感触……」
間違いなどではなかろう。タヌキ寝入りもまさかここまで上手くいくとは。
はぁ〜、いやいやどうするよ? ファーストよファースト。ファーストキッス。何味だろう、歯磨き粉のミント味だね。リアル〜。いや知らんけど。
はい一回深呼吸。興奮しすぎだね。
これでティアラを言葉責めしてもいいけど、それは無粋な気がするなあ。
何よりティアラからしてくれたのだ。その気持ちは、大切に心にしまっておきたい。
冥血城からの眺めを焼き付けて、うんと伸びをした。
「さ、新しい景色を見に行きましょうか」
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