第9話 心の温度

 私がドロリスに転生して、ちょうど1週間が経った。


 最初はどう振る舞うか、自分の中のドロリス像と照らし合わせて試行錯誤していた。でも3日で疲れて、恐る恐る素の自分を出し始めた。


 結果としてクリスタからは何も指摘されないし、大丈夫かな?


 それはさておき、今日はティアラの研究に付き合う日だ。


「おーいティアラ〜、来たよ〜」


 あれ、返事がない。


 と思ったら、またティアラは床で寝ていた。この1週間の内4日、彼女の研究に付き合ったけど100%これだ。裏設定ガイドブックで分かっていたことだけど、もう少し体に気を遣ってほしい。


「む……」


 私が発した物音で、ティアラの大きな瞳が開かれた。


 琥珀色の明滅が4回。その後ゆっくりあくびをして、


「来たか。じゃあ脱げ」


 すっげえ最低な恋人みたいなことを言うのだ。


 素直に従って診察台に乗ると、今日はちょっとした違和感があった。


「……ねえ、ちょっと臭わない?」


「薬剤か? お前の世界に薬剤はなかったのか?」


「いやそういう匂いじゃなくて、洗ってない犬みたいな匂いがする」


「私には匂わない」


 ……ひょっとして。


「……クンクン」


 私はティアラのサラサラな金髪を手で掬い、匂いを嗅いでみた。

 その瞬間、ティアラはマグマのように顔を赤くして、逃げるように私から2歩離れた。


「ちょ、何をする!?」


「ティアラ正直に答えてね。最後にお風呂入ったのいつ?」


「……一昨日」


「正直に、目を見て言って」


「い、5日前」


「やっぱり!」


 予想通りティアラの体臭だ。しかも本人はその匂いになれて嗅覚疲労を起こしている。風呂キャンセル界隈あるあるだね。


 でもさすが美少女のティアラだ。5日風呂に入っていなくてもギリ洗ってない犬の匂いで済むなんて。


 まあ昔偉い人が言ってたか。『女の子から生まれる老廃物は女の子の体を通して濾過されているから綺麗だよ』って。キショ。


 まあとにかく、


「お風呂に入りなさい。研究はそれからです」


「そんな時間はない。そもそも風呂に入らなくても死にはしない」


「極論を言わないの! ティアラは可愛いんだから綺麗にしないともったいないでしょ!」


「か、かわっ……〜〜! お、お前は母親気取りか!」


「オーケー、ティアラがその気なら私、ママになる。おっぱい飲む? ちょうど誰かのせいで裸だし」


「ふ、ふざけるのも大概にしろ。ほら魔伝チューブを繋ぐぞ」


 ティアラは強引に研究を進めようとしたが、私はその手を止めさせた。


 そういえば、この研究室の内部データも載ってたよな。確か……


「あった! シャワー!」


「な、何だ?」


「わざわざお風呂に行かなくてもいいよ。でも最低限シャワーは浴びよ?」


「し、しつこいなお前。私を身綺麗にしてどうするつもりだ」


「どうするつもりもないよ。心配なだけ」


「…………はあ、シャワーを浴びたら黙るか?」


「もちろん!」


 ティアラはもう一度、わざとらしいため息を吐いてシャワーのボタンを押した。


 魔法でできたシャワーヘッドから勢いよく水が出てきて、ティアラが着替える間にだんだんと湯気が立ってきた。これもティアラの開発品の一つなわけね。


 あ、いいこと思いついた。


 私は診察台から降りて、パンツを脱いだ。


 そしてシャンプーを手に取り、ティアラの金髪の中に手を突っ込んだ。


「んぎゃ!?」


「髪洗ってあげる」


「お、お前何勝手に!」


「どうせテキトーに済ませるつもりだったんでしょ。入るなら徹底的にやりなさい」


「むー……」


 ワシャワシャとティアラの髪でシャンプーを泡立てていく。


 5日風呂に入っていなかったティアラの髪の油分はしつこく、泡持ちが悪かったので1度目はすぐに流した。


「ま、またシャンプーするのか?」


「動かない」


「お前……まさか変なところ見ていないだろうな」


「見てないよ。でもティアラの控えめな胸も小さなお尻も私は好きだな」


「へ、変態め! 殺してやr……」


「はーい動かない。シャンプーが目に入るよ」


「ぐ、ぐぬぬ……」


 納得のいかない様子のティアラだったけど、諦めたのかようやく大人しくなった。


 15分後……


「よーっし! 綺麗なティアラに元通り〜」


 何ということでしょう。

 野良犬の匂いを放つ少女は、匠の手によって石鹸の香りがする美少女に生まれ変わったのです。


 にしてもこの世界、魔法を生活に応用するのが便利すぎる。長い髪だと煩わしいドライヤーも火の魔法の応用により1分で終わるし。


「おい、さっさと診察台に戻れ」


 グゥ〜〜〜〜


 古典的すぎる腹の虫が、ティアラのお腹で鳴いた。


「なに、お腹空いてるの?」


「お前には関係ない」


「普段なに食べてるわけ? 私はクリスタと一緒にリビングで食べてるけど、ティアラはいないもんね」


「完全栄養食がある」


 ティアラが指差した先には白い粉があった。


「何あの白い粉」


「あれを水で溶かして飲む」


「ふーん……微妙な味」


「お前、勝手に……」


 私も食べてみたら不味かった。無味。でも栄養はなぜか体が感じる。無駄なものを排除した、ティアラらしい食事だ。


「いい加減にしろ。お前は被験体だ、さっさと診察台に戻れ」


「はーい」


 これ以上ティアラの研究を足踏みさせると本気で怒られそうなので、そろそろ従ってあげた。


 魔伝チューブを肌に付けられる感触は未だに慣れない。ティアラが私の何を調べているのかもわからない。


 とりあえず横になったら眠くなったので、欲望に任せて寝落ちすることにした。





「ん……」


 起きたら裸。これでタバコでも吸っていたら事後風だけど、診察台の上にいるから格好がつかないか。


「んん」


 ふと足元あたりで声がした。見ると、ティアラが診察台に両腕を置きすぅすぅと寝息を立てていたのだ。


 ぐぅ。


 また典型的な腹の虫だ。


 おっ、いいこと思いついた。




「……なんだ、この匂い」


「ティアラ起きた?」


「お前、それは何だ?」


 ティアラは眠たそうな目をこすりながら、私の持ってきたものに興味津々のようだ。


「私の世界で大人気の食べ物、カレーだよ」


「カレー……」


「美味しいから食べてみなよ、ね?」


 ここでの食事は基本、ドロリス配下のモブたちが作ってくれる。


 彼女たちモブは普段影に隠れており、こちらから認識はできない。でも家事はしてくれているから、確かに存在はしている。


 しかしこのカレーは特別。なんと私が自ら作りました!


 カレールーなんてなかったから錬金術魔法でスパイス調合したけど、味見ではしっかりカレーの味になった。だから大丈夫だと思う。


「勝手なことを……」


 そう言いつつも、ティアラはカレーから目が離せないようだった。


「どうぞ、召し上がれ」


「……」


 ティアラはいただきますも言わずにカレーをスプーンで掬って口へ運んだ。かなり小さいひと口だ。


「……ッ!」


 その瞬間、琥珀色の瞳が大きく開き、ぷにぷにとした腕をいっぱいに動かしてカレーを頬張り始めた。


 良かった、どうやら美味しかったみたいだね。


 ティアラはおとな一人前のカレーをものの5分で食べ終えた。


「どう? 美味しいでしょ」


「……ふん」


「こーら。ご飯を食べたら言うことがあるでしょ?」


 ティアラはうっと唸って、やがて顔を真っ赤にしながら


「ご、ごちそう……さまでした」


 はい、よく言えました。


「あ、頭を撫でるな! お前といると変だ。ドロリスの方がまだマシだった!」


「本当? ドロリスは無関心だったからこういうことしてくれないでしょ」


「……お前が過干渉なだけだ」


「もー、素直じゃないんだから」


 ティアラは食べ終えた皿を片付ける素振りも見せず、そのまま研究を再開した。


 諦めて部屋を出て行こうとした時、「待て」と小さくティアラが呟いた。


「ぁ、ありがとう、いろいろ」


「え?」


 聞き返すと、ティアラは真っ赤に染まって


「な、何でもない! さっさと出てけ!」


 怒鳴るように叫んだ。


「はーい」


 ごめんねティアラ、ちゃんと聞いてたよ。


 私は鉄扉をしっかり閉めて、つぶやく。


「どういたしまして」


 開放厳禁と書かれた鉄扉の奥から、陽気な鼻歌が聞こえた気がした。

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