5-8 混乱必至

 食事を終えて店を出て、今度こそ別れの挨拶を口にしようとした時、ポケットのスマホが震えた。


「ちょっとごめん。――もしもし」

『氷室くん、今いいかな』


 律の声は、いつもより少し硬い。


「はい。出たんですか?」


 蒼の夜という単語は使えないなと省略したが、なんだかお化けでも出たみたいな言い方になったなと笑いそうになった。


『ううん。でもその関連で話があって。こっちに移動してもらって大丈夫かな』


 蒼の夜関連の話とはなんだろうかと首をかしげる。

 ふと、隣の美咲を見る。

 彼女にも話される内容なのだろうか。


「今、天野あまのさんといるんですけれど」

『天野さん?』

「隣の県の、暁の」

『あぁ、里村さんのところの。それじゃ一緒に話を聞いてもらおうかな。人目のないところに行けたら、天野さんと手をつないで』


 司が持っている蒼の房で呼び出すので、美咲には接触しておいてもらいたいと律が言う。


 移動手段として手をつなぐだけなのにすごく「いけない」ことのように思えて、司は困惑しながらも事情を美咲に説明した。


「それじゃこっちかな」


 美咲はなんでもない様子で細い道に入って手招きする。

 緊張してしまった自分がなんだか一人で舞い上がっている間抜けな奴に思えて苦笑を漏らし、司も早足で移動した。


 人がいないことを確認して、美咲が司の手を掴んでくる。

 転移中に離れてはまずいので、ぎゅっと握り返した。


「お願いします」


 司が言うと、いつもの圧迫感が全身を包む。

 数秒後には見慣れた訓練所に立っていた。


 暁の訓練所で司は律と対面する。


「こんにちは。お出かけ中の呼び出しになっちゃってごめんね」


 律がにこやかに言う。

 彼の視線がまだつなぎっぱなしの手に向いているのを感じて、司は慌てたように手を放した。


「えっと、そういうのじゃなくて」

「ん? そういうの?」

「あ、いや、なんでもないです」


 これは意地悪なのか天然ボケなのかと、そっとため息をついた。


「氷室くんのリーダーさん、面白い人ね」


 美咲が囁いてきたので司の苦笑が深まった。


「それで、本題なんだけれど」


 律の声に緊張が交じり、表情も、まるで戦う前のものになる。


 どきりとした。

 すごく重大なことが告げられるのではないかという予感がした。


「蒼の夜のことを、世間に公表することになったんだ」


 予想以上のおおごとだった。

 隣で美咲も目を見開いている。


「蒼の夜の発生頻度が増えて、もう隠し通すのは無理だという判断が下されたみたいだね」


 公表する理由には、司は納得した。

 しかしそれにしても急な話だ。


「世間に、って、蒼の夜というものがありますよ、って、大々的に?」


 司がとぎれとぎれに発した質問に律はうなずいた。


「来年に入ってからすぐ。多分お正月の三が日以内に」

「そんな時に」


 美咲がつぶやいた。司も同意見だ。

 新年に入って間もないおめでたい雰囲気を壊さなくても、という考えだ。


 だがそのタイミングに公表する狙いも想像できる。

 おそらく、新しい情報への注目度あいだ。

 三が日あたりは家でのんびりテレビを流し見しながらおせちを食べて、という家庭も多いはずだ。年配層はもちろん若年層も比較的テレビからの情報に触れやすいはず。テレビでなくても家でごろごろしながらスマホやパソコンでネット、という人もそれなりにいるだろう。


 事前に「一月何日何時に政府からの重大発表があります」などと告知しておけば、新年の雰囲気として「おめでたい」発表があるのかもという期待で注目されやすいかもしれない。


 だとしたらギャンブルだな、と思った。

 期待した吉報が凶報だったとなれば大パニックになってしまう可能性もあるのだから。


「どんな情報が出されるんですか?」


 美咲の質問に、律はうなずいて応えた。


「今決まってるのは、蒼の夜というものがあること、異世界とつながること、魔物が出てくること、暁という対策チームがあること、だね。メインは」


 あとはそこからつながっている情報と注意喚起だと律は言う。


「蒼の夜に入ったらほとんどの人が蒼の夜と同化して動けなくなる、というのは?」

「その辺りは今話し合われてるんじゃないかな」


 不安をあおるような情報はできるだけ出したくないのが政府の方針のようだが、あまり小出しにするのも得策とは言えないだろうと律は言う。


 ふと、怪獣映画で描かれた、未知の恐怖に対する政府の初期対応を思い出した。

 できるだけ事を荒立てずおおごとにせず、というスタンスだったなと司は苦笑した。あのような感じになるのだろうか。


「それでも、きっと大騒ぎですよね」


 自殺や犯罪が増えるかもしれないと思うと憂鬱になる。


「混乱は避けられないね。だから、暁に関わっている人達には先に報せが届いたんだ」


 蒼の夜が世間に公表されれば暁の活動もやりやすくなるメリットはある。口外してはならないというプレッシャーから解放もされる。

 だがいいことばかりでもないだろうと律は言う。


「暁として心配なのは、戦っている人のことが世間に広がってしまうかもしれないというところだ」


 事象のただなかで同化しなかった人が魔物と暁の戦いを撮影してインターネットに投稿されてしまう可能性がある、と律は懸念している。


「たとえ善意でなされたこととしても、その情報を善意で受け取る人ばかりじゃないからね。できるだけ対策を講じてもらうことになっているけれどその手のトラブルにあったり質問されたりしたら暁のスタッフに報告してほしい」


 はい、と応えながら司は違和感を覚えた。

 だがそれよりも、自分が戦っている映像などがネットに拡散されたらどうしようという心配の方が上回って、違和の正体に気をまわせなかった。


「また何か判ったら連絡するよ」


 律の締めくくりの言葉にうなずいて、美咲と一緒に訓練所を後にした。


「なんか、大変なことになってきちゃったね。ネットにさらされるなんて嫌だな」


 美咲の表情は硬い。

 司も一番身近な心配は、そこだ。

 うん、とうなずいてから、それでも、と司は美咲を見つめて言う。


「俺は、俺にできることをするよ。けど天野さんは女の子だし男より身バレは怖いだろう。今のうちに手伝いをやめるのもありじゃないかな」

「あー、そっか。やめてもいいんだね」

「うん。手伝いだし。無理することないよ」

「考えてみる。氷室くんはやめる気ないんだ? どうして?」


 問われて、栄一の言葉を思い出す。


『そういうのは戦える人におまかせー』


 栄一の言葉にうなずいて、答える。


「戦える人だから」


 司は、栄一のことを美咲に話した。

 とても大切な友人だったこと。その彼が「もしもそういうのが来たら戦える人に任せる」と言っていたこと。その彼が、蒼の夜の犠牲者になってしまったことを。


「まだ将来的にどうするかまでは決めていないけれど、少なくとも暁の手伝いは続けると思う」

「そっか……」


 共感してくれたのか、美咲は悲しそうな顔で声を漏らした。


「今日はいっぱいいろいろありがとう氷室くん」


 それじゃあね、と美咲は気分を切り替えるように笑って、手を振って歩き去る。


 司も家路についた。


 来年の初め、あと十日ほどしかないが、それまでに自分もあれこれ考えておこう。


 とにかく、戦うのはやめない。

 それだけは揺るがなかった。

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