5-7 その瞬間

 日曜日に出かける予定があることに、司は少し楽しみな気分で過ごした。

 美咲のことを恋愛対象として見ているわけではないが、鬱屈とした気分へ落ち込んでいく歯止めになってくれてありがたいと思っている。


 栄一がいなくなってしまったのに自分だけ、と思う気持ちもある。

 だが遥に失恋した時に「次に行こう」などと言って励ましてくれた彼が、司の気持ちの変化を悪く思わないだろう、と考えて罪悪感を打ち消した。


 金曜日の夕方、訓練のためにトラストスタッフに向かっていると違和感を覚えた。

 紙飛行機で遊んでいた子供達が巻き込まれた蒼の夜の発生時によく似た感覚だった。


 この近くに来るのか? と司が身構え時、辺りが暗くなった。

 司は蒼の夜の中にいた。

 発生してすぐに蒼の夜の中にいるということは、もしかするとまだ魔物は出ていないのかもしれない。


 司は辺りを見回しながら律に電話を入れた。

 律と遥がすぐに駆けつけてくれた。ちょうど訓練所にいたそうだ。


 魔物の気配は、まだない。


「魔物はまだ出ていない。これは、貴重なデータになりそうだ」


 律はスマホで周りを撮影しはじめる。


 後方から強い魔力を感じて司は振り返った。

 すぐに律と遥も同じように向き直る。


 ――まるで、空間が割れていくかのようだ。

 司がそう感じるほどに、ビシビシと音を立てんばかりの光景だ。

 空間に生じたひびがぼろぼろと崩れ、蒼の夜の中に別の景色が生まれた。

 昼の草原と思われるところから、魔物がぬっと現れた。


「あれが、異世界」


 遥がぼそりとつぶやいた。


「きっと、そうだね」


 撮影者の律もごくりと唾をのんだ。


 ひび割れた景色の隙間から狂暴そうな熊の魔物が完全に「こちら」にやってくると、穴はするすると小さくなって消えていく。

 なるほど、こうやって消えてしまうのだから異世界への通り道が簡単には見つからないわけだ。

 刀を抜きながら司は律と遥を見た。


 二人がうなずき、すかさず戦闘態勢に入った。

 律の撮影した映像で、蒼の夜の謎が解明されていけば、と願いながら司は魔物に斬りかかった。




 約束の日の約束の時間に、司は美咲と初めて会った公園で彼女と顔をあわせた。

 白のニットの上にクリーム色のハーフコート、紺色のプリーツスカート、少しかかとの高い黒のブーツに身を包んでいて、化粧もしているようだ。


 初めて会った時の美咲の服ってどんなのだったっけと司は思い出そうとした。服装は忘れたがそんなにおしゃれをしている印象はなかった。この後に誰かと会う予定でもあるのかもしれないな、と納得した。ちょうどお昼前だ。アクアリウムを司に渡して、誰かとランチをとるのかもしれない。


「わざわざ来てもらってごめんね」

「いや、こっちこそ。いきなりもらおうかなんて厚かましかったかなって」

「まだ言ってる」


 美咲は愉快そうに笑った。


「処分に困ってるのをもらってくれるんだからありがたいよ」


 それじゃ早速とばかりに美咲は鞄から小箱を出してきた。


「緩衝材も入れたけれど気をつけてね」


 うなずいて、司は箱を大事に鞄の中へとしまった。

 さてこれで用事は済んだ。それじゃ、と口にしようとした司よりも早く美咲が尋ねてくる。


「氷室くん、この後予定ある?」

「特にないよ」

「じゃあ、ご飯食べてかない?」

「えっ?」


 驚いた。てっきり誰かとランチするためにこの時間に呼ばれたのだと思っていた。


「あ、嫌だった?」

「嫌とかじゃなくて、天野さんの方にこの後予定があるのかと思ってたから驚いただけ」

「なんで?」

「なんか、おしゃれしてるから」


 司の答えに、今度は美咲が驚いている。


「そうかな。おしゃれってほどでもないよ?」


 服装に頓着のない司にはピンとこないが、本人がそう言うのだから、そうなのだろう。


「あぁ、えっと、ご飯、いいよ。俺も予定ないし」

「ほんと? やった。氷室くんラーメン嫌いじゃない?」

「うん。好きな方」

「駅前に新しいラーメン屋さんができてて行ってみたいんだけど、ハードル高いっていうか」


 美咲の友人らは麺類ならラーメンよりパスタ系らしい。ならば一人で、という勇気もないと美咲は笑った。


 店の前に行ってみて、美咲の言葉に納得した。

 順番待ちで並んでいる人達は家族や友人のグループばかりで、ここに一人で並ぶのは司にはハードルが高いどころの騒ぎではない。


「うん。俺もここにおひとり様は無理」

「やっぱりー?」


 顔を見合わせて笑った。


 順番を待つ間、他愛のない話を交わす。

 美咲もラノベやそれらを原作としたアニメも好きらしい。司はアニメ派だが美咲は原作を楽しんでいるようだ。


 俺らライトなオタクだよなーと笑っていた栄一を思い出す。

 美咲と話していると、栄一と一緒に笑って過ごしていた時のようだと感じた。

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