5-2 全部殺してやる

 眠れぬ夜だった。


「南栄一くんは、巻き込まれてしまったみたいだ」


 律のこの言葉だけが妙にはっきりと頭に残っている。

 繰り返されるたびに、嘘だ、と反論した。


「あれ、あんた、目赤いよ?」


 朝、洗面所にいると母親に声をかけられた。


「寝てない」


 ぼそりと答える。


「いくらテスト前だからって無理しすぎないようにね。あと、ご飯も食べなよ」


 食欲なんてない、とは言えなかった。

 申し訳程度にパンをかじって、登校する。

 いつも通りに、と自分に言い聞かせながら。


 朝のホームルームが始まる時間になっても栄一は現れない。

 報告は間違いであってほしいと願うほんのわずかな希望まで、現実に塗りつぶされてしまった。


「南、遅いなー」

「寝坊か?」


 クラスの男子が呑気に笑っている。


 担任がやってきて、栄一の不在には触れずに連絡事項のみを伝えて教室を離れていった。


「先生が何も言わないってことは南は休みか」

「テスト勉強が進まないで落ち込んでるとか」

「あいつがそんな性格かー?」


 佐々木達が笑っている。


 違う、あいつはもう……。

 考えると涙があふれそうになる。


「氷室何か聞いてるか?」


 一番仲がいいから連絡とか来てるんじゃないかと聞かれて、さぁ、と司は中途半端に笑ってかぶりを振った。


 朝にそんなやり取りはあったがすぐに皆、栄一がいないことなど気にしないで過ごす。

 今は体調不良かなにかかと信じて疑っていない彼らがもし、栄一が「行方不明」になってしまったと知ったらどんな反応をするだろうか。


 昼休み、司はいつものように屋上へと向かった。

 校舎の壁に背を預けて座り、空を見上げる。

 弁当を広げてみたものの、箸は止まったままだ。


『こーら、飯くえー』


 栄一の声が聞こえてきた気がした。


「出たなおかん」


 つぶやいた司の頬を、つぅっと涙が滑り落ちる。


 だめだ、ここで泣いたら、あいつが行方不明になったのを知ってるって知られちゃいけない。


 司はぐっと拳を握って、歯を食いしばった。


 なんでこんなことになった。

 どうしてあいつが巻き込まれなきゃならないんだ。

 よりによってあそこにあのタイミングで蒼の夜が出るなんて。

 そもそも蒼の夜はなんで起こるんだよ。

 蒼の夜がなければ。

 魔物がこっちに来なければ。

 魔物は、全部殺してやる。


 心を覆っていた悲しみは、ふつふつと湧き上がる憎しみに塗りつぶされる。

 きっとそれは、悲しみに沈み生活すらままならなくなるのを避けるための、心の防御策なのだろう。


 午後は朝よりも平静を装っていられた。


 もっと強くなる。

 強くなって栄一の仇を討つ。


 実際に彼を襲った魔物はもう倒したことも忘れ、魔物全てが友人の仇であるかのように、心の中でつぶやいていた。




 放課後、司は級友への挨拶もそこそこに教室を飛び出した。

 学校を出てすぐに暁のスタッフに訓練所を借りたいと申し出ている。


 蒼の夜を模した空間に入ると、司はがむしゃらに剣を振るい、魔力を練り上げ、放った。

 誰もいない部屋。だが司の目には魔物の姿が見えている。

 次々に現れるそれらを、憎しみを込めて斬り払う。


「氷室くん」


 声をかけられた気がした。


「氷室くん!」


 もう一度、今度はもう少し強い声。

 同時に、肩に手を置かれた。


 いつの間にか、司は荒い呼吸で床に座り込んでいた。


 司に声をかけて触れたのは律だった。

 律は司の顔を覗くように見て、驚き顔から、悲しそうに眉根を寄せて大きく長く息を吐いた。


「氷室くん、無理してるね」


 その一言に、司は目を吊り上げた。


「無理してでも、俺は強くなりたい。強くならなきゃ魔物に勝てない」

「うん、そうだね。けれど体調と精神状態がよくないといくら訓練しても思うように成果を得られないよ」

「なんでそんな――」


 なんでそんなことが言い切れるんですか。

 言いかけた司だったが、律が初めて蒼の夜に関わった時に友人を失ったという話を思い出して言葉を切った。


「立てる? かなり消耗しているね」


 立ち上がろうとして、司は思うように体が動かせない自分に驚いた。

 律に支えられて、仮眠室に連れて行かれる。


「昼ご飯は食べた? まだなら食べないとね」


 ベッドに座った司に、律が微笑を浮かべて言う。


「南も、よく俺にご飯食べろって……」


 栄一のことを口にして、もういないのだと改めて痛感して、司はうなだれた。

 悔しくて、悲しくて、涙がぽたぽたとズボンに落ちる。


「思い切り、泣いたらいいよ」


 律が司の肩に手を置いて、ささやくように言った。


「悲しいのを癒す魔法の言葉はない。自分の悲しみは、自分で乗り越えるしかない。乗り越えるには、一度心のままに想いを吐き出すのが、今の氷室くんには近道じゃないかなと僕は思うよ」


 律の優しい声に、司はずっと堪えていた苦しみをあふれ出る涙と共に吐き出した。


「今は、何も考えなくていいから」


 ベッドに泣き崩れた司の頭を律がそっと撫でてくれる。


 栄一の気遣い、優しさを思い出す。

 彼とかわした様々な言葉、他愛ない会話を思い出す。

 からからと笑う笑顔を思い出す。


『なー、いっそ大声上げて泣いちゃえよ』

『悲しいのをため込むより、吐き出した方がいいと思うぞー』


 栄一のアドバイスを思い出して、司の泣き声が一層大きくなる。


『異世界の化け物がもしもこっちきて暴れるなら、おれはめっちゃ逃げるぞ。そういうのは戦える人におまかせー』


 きっと逃げる間もなく同化し、あっという間に食われたのただろう。

 苦しみがなかったのなら、そこは救いなのかもしれない。


「ごめんな。間に合わなくて、ごめんな」


 ひとしきり泣いて、司は体を起こした。


「俺、強くなりたい。ならなきゃいけない」


 先ほどと同じ言葉を、違う気持ちで吐く。

 焦りと憎しみに彩られていた司の声は、落ち着きを取り戻していた。


「うん。できる限りのサポートをするよ」


 今度は律もうなずいてくれた。


「でも今は休むこと。体調管理も立派な戦いなんだよ」


 はいと答えて司は横になった。


 悲しみを癒す魔法の言葉はないと律は言った。

 けれど彼のおかげで、どうしようもないほどの悲しみも憎しみも、今は湧いてこない。


 まだまだきっと自分を責めたり、悲しくなったりするだろう。

 けれど立ち止まらない。これだけは、必ず守る。


 司は固く決意した。


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