5 変わりゆく日常

5-1 また明日

 二学期の期末テストが三日後に迫って来た。

 テスト前最後の週末に、司達は図書館の勉強スペースを借りてテスト勉強をしていた。


「氷室、ここの問題の解き方教えてくれ」

「えー、っと、そこは……」


 どちらかと言うと理数系の方が得意な司は、佐々木達に教えを請われることが多かった。

 逆に古典などは彼らの方が得意で、古文の読み解きを教えてもらうこともある。


「氷室は数学できていいよなぁ」

「できるってほどじゃないし。まずまず、ぐらいだぞ」

「古典はまずいまずいだよなー」

「いとかなし」


 栄一と佐々木に茶化されて笑い声が上がる。

 そんな調子で楽しくも有意義な勉強会に司は充実感を覚えていた。




「それじゃまた明日ー」

「じゃーな」


 別れの挨拶を口にして、図書館を後にする。

 佐々木達は徒歩や自転車だが、司と栄一は電車で帰る。


「南、ありがとうな」

「お? なんだー?」

「グループに誘ってくれて」

「なんだよー、改まって」


 照れた様子の栄一は可愛らしい笑みを浮かべている。


「でも、ま、よかったなー。これで思い残すことはない、なーんてな」

「縁起でもない」

「まだまだ死にませーん。むしろこれからでーす」


 からからと笑って、栄一は開いたドアからホームへと降りていく。


「それじゃー、また明日なー」


 閉まっていくドアの向こうで栄一が軽く手を振った。

 司も小さく手を振った。


 電車が動き出す。

 降りる駅までぼぅっとしているのもな、とかばんを開け、本を取り出した時。

 サイレントモードにしているスマホが長く振動する。着信だ。


 画面を見ると「雨宮さん」と書かれている。

 テスト期間は蒼の夜の応援は呼ばないって言ってたのに。

 電車内なので電話は取らずに、すぐに折り返しますとメッセージを送った。


 次の駅について、司は電車を降りてホームで律にコールバックする。


『テスト期間にごめん。まずいところで蒼の夜なんだ。手伝ってほしい』


 切羽詰まった律の声に、司はすぐに人目のないところへと移動した。


『規模はそれほど大きくないけれど、駅なんだよ』

「――それは……。あ、もう大丈夫です」


 司が応えると、転移の房が光を放った。

 四方八方から押しつぶされたり引き伸ばされたりの、いつもの感覚が収まると蒼に染まった景色の中にいる。

 律が先ほど言っていた通り駅のホームだ。


 えっ、ここって――。


「氷室くん、こっちだ!」


 考える間もなく律に呼ばれる。


「よりによって駅なんて。早く何とかしないと大変なことになる」


 律は魔物の気配のする方へと走り出した。

 蒼の夜に同化して動けない人達を後目に司も後を追う。


 ホームからコンコースへと続く通路に魔物がいた。ゴリラのようにも見える大型の獣だった。太い腕を振り回している。

 遥がすでに戦闘に入っていて、腕を避けながら大太刀を打ち付けているが相手は相当タフなようであまり効いていなさそうだ。


 すかさず律がクロスボウを撃つ。赤色の魔力ということは素早さダウンのデバフだ。

 彼を追い越し、司も参戦する。

 後ろの律の魔力が高まると同時に、体が軽くなった。

 援護をもらった司は刀を抜き、ゴリラに斬りかかる。


 いつものように司が敵の目を引き付け、遥が大技を仕掛ける戦法がすぐに功を奏する。二度ほど遥の攻撃がクリーンヒットした。


 が、まだ相手は倒れない。

 どれだけタフなんだ、と司が一つ息をついた時。

 ゴリラが突進してきた。


「さっさと――」


 くたばれよっ!

 強く念じた。

 司の刀が呼応するように薄水色に輝く。


 ゴリラの腕を身をかがめてやり過ごしつつ、刀を振り上げる。

 手ごたえがあった。

 脇腹を深くえぐられたゴリラが咆哮をあげる。


「はぁっ!」


 遥の、ひときわ大きな気合いの声と、ゴリラの断末魔が夜に呑まれた駅に響いた。

 魔物が消えると、やがて蒼の夜も消失し、人々が動き出す。何事もなかったかのような風景に司達はほっと息をついた。


 すぐに電車もやってくる。


「よかった。蒼の夜が長引いたら電車同士の事故につながりかねないからね」


 蒼の夜が消失する時、それまで同化していたものと、蒼の夜の発生中にその場に入ったものは基本的には干渉しあわないようだ。

 どういう原理かは判らないので「世界が矛盾をうまく埋めている」と解釈されている。無理やり納得、とも言うが。

 それでも決まったレールの上にある電車などはぶつかり合う危険が大きいだろうと律は言う。


 今回、そうならなくてよかったと律が心底安心したと胸を押さえている。


 それは本当によかったと司も思っている。

 だが先ほどから気になっていたのは、この駅が栄一の家の最寄り駅だということだ。


 律から電話を受けたのは、栄一が降りてから一駅分近く電車が進んでからだ。その直前に蒼の夜が発生したとしたなら、栄一がここにいてもおかしくない。

 嫌な予感が湧き上がってくる。


『今どこよ?』


 メッセージを送る。

 よほどのことがなければすぐに既読になるのに、一分待っても二分待っても反応がない。


「氷室くん?」


 律と遥がそばに来たが、司は構わず栄一に電話をかけた。

 コール音が鳴る。

 だが栄一は出ない。


「嘘だろ、早く出ろよ」


 やがて留守番サービスの応対メッセージが流れだす。


「まさか、マジやめろよ」


 栄一が、巻き込まれたかもしれない。もしかするとあの化け物に……。

 体が震え、歯の根が合わなくなる。


「氷室くん、こっちへ」


 律に引っ張られて駅構内の人目につかないところに移動してから、暁の訓練スペースへと空間移動した。


「誰か、知り合いがあの場にいたの?」


 遥の静かな声に「多分」と司はうなずいた。

 もう一度電話をかけようとする司の手を、律が止めた。


「こっちで調べるよ。氷室くんは家に帰って、できるだけ普段通りに過ごしてほしい」


 万が一巻き込まれてしまっていたとして、行方不明となったことを事前に知っているようなそぶりをしていると司が「行方不明事件」に関わっていると疑われるから、と律が優しく説明してくれた。


 が、司の耳には半分ほどしか入ってこなかった。

 とにかく無事でいてほしい。

 そればかりだ。


 できるだけ普通に、など、出来るはずがない。

 司はボロが出ないようにするには、できるだけ自室にこもっていることだけだった。


 ベッドにうつぶせたままスマートフォンを握りしめ、司はひたすら栄一の無事を願った。


 時間が経つほど、絶望の気持ちが湧いてくる。

 栄一なら、あの場でメッセージに返信ができなかったとしても、スマホが使える状態になればすぐに連絡をしてくるはずだ。

 それがないということは、返事ができない状態が続いているということだ。


 それは、つまり……。

 最悪の予想しかできない。


 いや、まだそう決まったわけではないと無理やり思い込んで体を起こした。

 律からも連絡がないということは犠牲になったと決まったわけではないからだ。


 そう思った、その時。


 手の中のスマートフォンが震え、着信メロディが流れた。

 急いで耳に当てる。


『氷室くん。……南栄一くんは、巻き込まれてしまったみたいだ』


 律の沈痛な声に、司は大きく目を見開いた。


 コンコースに栄一の鞄が不自然に転がっていたらしい。

 そこからホームに向かう道筋に、もう一人の荷物が同じように落ちていた。


 それらと化け物がいた位置からして、おそらく最初の犠牲者が栄一だったのだろう。彼のそばにあの化け物が出現してしまったのだ。


 本来、犠牲者が身に着けていた持ち物も、蒼の夜が晴れれば一緒に消えてしまう。だが栄一が襲われた時、鞄が彼の体から離れたのだろう。だからそれだけが残ったのだ。


 不思議と、今度は律の言葉が嫌に鮮明に司の頭に入ってきた。

 しかし、信じられなかった。信じたくなかった。


 電話を切って、司は呆然とベッドに座りながら「嘘だ」と繰り返した。


 きっと何かの間違いに違いない。

 明日になれば何でもなかったように登校してくるだろう。

 鞄を放ってどこ行ってたと問えば「トイレー。極まっちゃってさー」などと言ってからからと笑うに違いない。


 そう信じようとした。

 だが律の声が頭に響いて希望を打ち消す。


「嘘だ」


 つぶやく。


 屋上で空を見上げて笑いながら話していた栄一を思い出した。

 次々に彼との今までが駆け巡る。

 司が元気をなくしていた時に、茶化しながらもしっかりと励ましてくれた言葉。

 カラオケで騒いでいた姿。


「それじゃー、また明日なー」


 数時間前に駅で別れた栄一の姿を最後に思い出した。

 いつも笑っていた彼の顔につられて、司の唇も笑みの形になる。


「嘘だ」


 つぶやいた司の目から涙が零れ落ちた。


 明日になれば続報が入ってくるだろう。

 明日なんて、こなければいいのに。


 司はベッドに突っ伏し、声を殺して泣いた。

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