4-2 名前も出したくないアレ
楽しくも疲れた帰り道、スマホが着信を告げる。
律だ。蒼の夜が発生したのだろう。
ふわふわとした気分に水を差され、司はため息をついた。
『氷室くん、今大丈夫かな』
「ちょっとまってください――大丈夫です」
人目がないのを確認して返事をすると「転移の房」がほのかに光る。
空間が歪み体が押しつぶされ引き伸ばされる感覚に襲われる。
本当に何度味わっても、なんとも、この。
歪む空気に翻弄されながらまたため息だ。
景色が変わる。
住宅街だ。賑わった場所でなくてよかったが、帰宅時間なのでそこここに蒼の夜に染められた人達が固まっている。
「行くよ」
いつものように律が声をかけてくる。そばには大太刀を手に持った遥もいてうなずいている。
司も刀を抜く。
早く片付けてしまおう、と敵を探す。
「……あれ、が?」
「そうみたいだね」
「うげ……」
魔物の姿を見て司はげんなりとした。
巨大な虫だ。あえて似ているモノをあげるなら、全人類に蛇蝎のごとく嫌われているアイツだ。黒い悪魔だのとも言われるが、こいつの色はどちらかというと濃い灰色だ。その辺りが異世界の生物だと思う。
「色が変わっていても、ゴキ――」
「名前を出すのはやめましょう」
律にかぶせる遥、二人のやりとりに司は二度三度とうなずく。もちろん遥に大賛成の意味で。
「性質もアレに似ているなら素早いと思うから気をつけて。特殊な攻撃もあるかも」
そうだった、と司は気づきを得た。
よく似ているといっても異世界の生き物だ。何をしてくるか判ったものではない。
律から素早さのバフをもらって、司は巨大アレに近づく。
体高三十センチ、体長一メートルほどのソレは、威嚇なのか羽根を軽く震わせ、ジジジジッと空気揺らす音を立てる。
なんとなく、背の羽根は硬いのではないかと推測する。ならば頭か腹を狙った方がいいかもしれない。
だが腹を狙うにはひっくり返すか、飛んでいるところを下から攻撃するしかない。
ひっくり返ってくれればいいが、飛んでくるヤツを攻撃するのは気分的にかなり嫌だ。
とりあえず頭を狙おう、と司は前へ出る。
ガササササッと音を立てソイツが向かって来る。
飛び退きつつ刀を振るう。
当たらない。
再びにらみ合う。
いつもの戦法だとこうやって司が気を引き相手の隙を作って遥が大技を叩き込む。
だが相手が予想以上に素早いので司が少し距離を空けるとソレは遥の方にも向かう。
遥の動き自体は素早いが、武器が大太刀なのがこの敵に対して不利だ。すぐに間合いの内側に入られてしまって思うような攻撃ができないでいるようだ。
再び律のバフをもらって、司は果敢にソレを攻め立てる。
「次、仕掛けたらすぐに引きます」
「はい」
いい具合にソイツが司に注意を向けてきたので遥にとどめを任せる意思を伝える。
これで遥の大太刀の攻撃が当たるはずだと確信して、司はわざと大きな動作でソレに跳び込んだ。
灰色の悪魔が大きく動いた。羽根を広げたかと思うと空気を大きく震わせる。
ブオォォと低く強く響く音と振動に、司の体が固まった。
行動阻害のデバフだ。
そう考える間もなくソイツは飛び上がる。悪魔の名にふさわしく恐怖を司に植えつけた。
「うわあぁっ!」
司の口から情けない声の悲鳴が上がる。
と同時に、強い力を体の内に感じた。
「
律の声が耳に届くと同時に体への重圧が消えた。
咄嗟にしゃがむ。
司の頭のあった位置を灰色の悪魔が通過する。あのまま動けなければ顔をかじられていたのは明白だ。
「ふざけんなぁ!」
司の怒号に呼応するように、刀身を白に近い水色の光が包む。
驚いたが一瞬のこと。司は立ち上がりつつ魔力をまとわせた刃を振り上げた。
ソイツのどてっぱらに、刃が食い込んだ。
びくん、と震え、魔物が腹を上にして落下する。
とどめとばかりに、刀を深く突き刺すと、ソイツは動かなくなり、やがて消えて行った。
肉体的ダメージは受けなかったのに、蒼の夜が晴れた後、司はとてつもない疲労にしばらく動けなかった。
律に連れられて人目のない場所まで移動して、暁の訓練所へと転移する。
「アレにはまいったね。三十匹とかいなくてよかった」
律が爽やかに笑っている。そこは笑うところではないと司は苦笑を漏らした。律の「天使の笑み」が発動しているのか、少しだけ疲れが癒された気がしたのはよかったが。
アレは一匹見つけたら三十匹はいると思えと言われている。律の言う通り、一匹ですんでよかった。アレが大挙して押し寄せてくるさまを想像するのも嫌すぎた。
「よくがんばりました。魔力、戦闘中に出せましたね」
遥が褒めてくれるのは嬉しいが、あれは咄嗟に出たものでまだまだ自分でコントロールしているとは言い難い。
「火事場のクソ力的なものでしたけど……」
「それでも大きな一歩です」
さらに褒められて、司もようやく気分を持ち直す。
「色からして、氷室くんの魔力の基本属性は氷、かな。名前の通りだね」
律が言う。
魔力の練り方、放出の仕方を調整できるようになれば、氷に弱い敵にはかなり有効な一撃を繰り出せるようになるらしい。
「それじゃ逆に、氷に強い相手には効かないってことですよね」
「うん。けれどそういう時は属性効果を消せばいいんだよ」
そこまで使いこなせるようになりたいものだ。
「師匠の魔力は属性あるんですか? 白ですけど」
「光、らしいです」
遥が控えめに答えるのに、司は感嘆の声をあげる。
光属性といえば主人公クラスが使える代表格ではないか。世界観によっては希少な属性でもある。
「主人公属性だよね」
「ですよねっ」
律がにこにこして言うのに司もうなずいて、二人で異世界ものの世界観の話で盛り上がった。
そばでは遥が恥ずかしそうに聞いている。
戦闘では肝を冷やす思いをしたがこうやって律と話せるようになったのはプラスだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます