3-3 嫌な予感

 九月に入って最初の日曜日、遥は律と一緒に出掛けた。

 久しぶりのデートらしいデートだ。


 日時を決めた時、どこに行きたい? と律に問われたが遥は正直に言ってどこでもよかった。律の家でのんびりすごしてもよかったのだ。

 できれば律には休日はゆっくりとしていてほしい。

 最近、蒼の夜の発生が増えてきて、律の仕事も忙しくなってきている。ならば休日ぐらいは体も心も休めていてほしかった。


 だが律はせっかく遥と過ごせるのに家でぼーっとしているのはもったいない、と言う。

 ならばせめて落ち着いた場所がいいと考えて、水族館を提案した。


 大きな水槽でゆったりと泳ぐ魚たちを見ている律も、イルカショーを見て子供のように笑顔を振りまく律も、魚たちの説明を読んで感心している律も、いとおしい。


 まさに天使のように微笑んでいる律が、蒼の夜という恐ろしい事象には自ら果敢に立ち向かっていく人であると、彼を深く知らなければまったく想像できないだろう。

 きっと蒼の夜に関わらなければ彼も今は大学生で、たくさんの友人に囲まれて好きなことを勉強して、二年後には戦いとは無縁の会社に就職しているのだろう。


 だがそれだと遥とは接点がなかった。

 それは嫌だ。

 彼がいない「もしも」は考えたくない。


 遥と律は四年前に蒼の夜対策班で出会った。

 今でこそ笑みを絶やさないが、あの頃の律は終始うつむき加減で自信がなさげだった。

 こんな人がサポート役で大丈夫なのかと思ったのは、今でもこれからも内緒だ。


 同時に、この人は自分に似ているのかもという親近感もあった。

 だんだんと魔力を操る方法を会得して自信をつける彼を見ているのが好きだった。


 そして、出会ってから一年後に起こった「蒼の夜大襲来」でともに戦い、より強い信頼関係を得た。


 大襲来を退けて、しばらくは蒼の夜が落ち着き、会う機会が減った時、遥は自分の気持ちをはっきりと自覚した。


 会えなくて寂しい。

 一緒にいたい。

 笑顔を向けてほしい。

 そんな思いがあふれていた。


 だが自分から律に連絡を取って会うほどの行動力、度胸と言うべきか――は、遥にはなかった。


 一歩を踏み出してくれたのは律だった。


「天道さん。これからもあなたの一番そばにいても、いいですか? 蒼の夜だけでなくて、天道さんの生活の中に、僕がいる余地はありますか?」


 恥ずかしそうに、しかしはっきりとした声で、律は思いを伝えてくれた。

 すごく嬉しかった。

 あまりの嬉しさに「はい」としか応えられなかったが、きっと気持ちは十分伝わったはずだ。律はとても嬉しそうに笑った。

 その笑顔はきっと一生忘れない。


 そんなことを思い出しながら律と手を繋いで歩いていると。


「あれ、デートですか」


 声をかけられそちらを見ると、男が手を振っている。「蒼の夜大襲来」のパーティメンバーの一人だ。


 遥達より少し年上の彼、里村さとむらも暁の正式メンバーで、律とは今でもよく連絡を取っているようだ。確か隣の県で律と同じように暁の幹部候補生として働いているはずだ。

 短く切りそろえた髪に隙のない身のこなし、笑っていても何かを探っていそうな目の彼に、遥は少しだけ苦手意識を持っていた。里村と顔を合わせているとなんだか心の中を見透かされているような気分になる。


「あはは、そうです」


 律は照れ笑いを浮かべている。


「お邪魔しちゃ悪いのでちょっとだけ。詳しい話は明日しますが、大きく動きそうです」


 里村の言葉に律は笑顔を引っ込めた。

 蒼の夜関係だと遥は察した。

 最近発生が増えてきていることに関係があるのかもしれない。


「そうですか。それでは明日の連絡をお待ちしてます」


 律は里村に軽く会釈をして、遥の手をぎゅっと握った。

 遥も里村に頭を下げて、また歩き出した。


「……仕事?」

「そうだろうね。内容が判らないとなんとも、だけど、忙しくなるかもしれないなぁ」


 律は少し重い息をついている。

 また大襲来がくるとか、そんなことにならなければいいけれど。

 遥は心の中で願った。




 次の日、大学の講義を終えて遥がトラストスタッフを訪れると、律は難しい顔でパソコンに向かっている。

 少しでも気持ちをやわらげてもらおうと遥は日本茶を淹れて律の机に置いた。


「ありがとう遥さん」


 礼を言う律の顔も声も、いつもの朗らかさがない。

 おそらく元パーティメンバーの里村からの連絡が律の顔を曇らせているのだろう。


「里村さんからは、どういうお話が?」


 うん、と一呼吸おいて、律が口にした内容は思いもよらないことだった。


「蒼の夜の発生が増えてきて、暁では今までとは別の対処法も真剣に検討しはじめたんだ。つまり――」


 お茶を一口飲んでから、律が遥を真っ直ぐに見つめて言う。


「蒼の夜の発生元の世界に行けないか、って話になっているんだよ」


 里村からの連絡だけではなく、暁の本部からも通達がきたそうだ。


「発生元の、世界に?」


 なんだか嫌な予感がする。


「うん。蒼の夜での犠牲を抑えようって目的は同じなんだけど、こっちの世界でどうにかするんじゃなくて、発生元の異世界に行ってその方法を探れないかってことらしい」


 今まで、暁では蒼の夜の発生の仕組みを調べ、出現しなくなるような方法が取れないかと研究してきた。

 だが蒼の夜が出現する瞬間に立ち会うことがとても珍しいうえに、魔物が出現すれば当然退治が優先で詳しく調べようにも調べられない。

 ならば着眼点を替え、発生元であろう異世界に安全に行く方法を探し、そちらで調べる方がよいのではないか、というのだ。


 幸いにももうすでに蒼の夜の空間同士をつなげることには成功している。その技術を応用して訓練所から現場に急行したりと実用もしている。

 そこからさらに異世界の発生元と自由に行き来することも可能ではないかと考えるのは自然な流れかもしれない。


 異世界に行けば帰ってこられる保証がないので二の足を踏んでいたが、またあの大襲来のようなことがあっては今度こそ取り返しのつかないことになってしまうかもしれないと、暁は危機感をいだいているようだ。


「またあんなことが起きる可能性が、高いの?」

「ううん。今のところはそこまでの兆候はないみたい。けれど、なにせ一度しか起こっていないことだからね。次があるとしてもまったく同じとは言い切れないんじゃないかな」


 確かにその通りだ。


「それで、その方法はありそうなの?」

「向こうに行くのは問題ないと思われてる。けれど、帰ってこれる保証はない」


 行った先の世界の人達が協力をしてくれれば問題はないだろう。

 だがまず、言葉が通じるか、など基本的な問題から解決していかなければならない。


「よくある異世界転移ものみたいに、行けば言葉が通じるとか、そいういうのだったらいいのにね」


 律は肩をすくめている。

 彼は軽く言っているが、ますます嫌な予感が強くなる。


「まさか律が、……異世界に行ったりするの?」

「人選は全然決まっていないよ」


 全然安心できない答えだ。


「いや、人選どころか、まだ『そういう方針に変えていく』って通達だけだからね。実現するとしてもまだ先の話じゃないかな」


 付け足された言葉に少しだけ安堵を覚えた。


「あ、この話はまだ広めちゃ駄目だから、氷室くんには内緒で」


 遥はこくんとうなずく。


「それと……。氷室くんには次の段階に上がってもらおうかな」


 この先どうなるか判らないにしても、戦える人が限られている以上、その人には強くなってもらわなければならない。

 司はもうその段階にいるのではないかと律は考えている。

 遥も彼の考えに賛成だ。

 そしてそれ以上に、自分達も今に満足せずに鍛錬しなければならないと思った。


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