3-2 そっち

「氷室くんの――」


 何を考えているのかと問われて遥は司の名前を口にした。

 だが彼氏に他の男の子のことを考えていたと告げていいものなのかと思うと、慌てて言い直した。


「律は、氷室くんのこと、どう思う?」


 質問に質問で返すのもどうかと思うが、誤解を招くよりはいい。


「いい素質持っているよね」


 律はさらりと答えた。

 たとえ「氷室くんのことを考えていた」とストレートに言っても彼は何も疑うことはなかっただろうと感じ取ると遥はほっと息をついた。


 しかし考えていたのは司の戦闘能力ではない。


「それは、そうね。えぇっと、考えていたのはそういう方面じゃなくて……」


 ――氷室くんがもしかするとわたしのことを好きかもしれない。


 続きは、言えなかった。

 それこそ律の気分を害してしまうだろう。

 律が自分を好きでいてくれることすら自信がないのに、波風を立てるようなことを直接口にすることなど、遥にはできない。


「違う? あぁ、そういえば、なんだか悩みがあるっぽいけれど」


 律がぽんと手を叩いた。彼の悩みを知っているのかと遥は息を詰めて次の言葉を待つ。


「もうすぐ二学期始まるし、進路かな。僕は暁に所属するって決めてたから悩まなかったけれど、普通はそろそろどこの大学とか絞って行かないといけないよね」

「そっち……」


 気が抜けた。

 律は司が遥に思いを寄せているとは微塵も思っていないのかもしれない。自分達の間に誰かが入ってくる可能性があるなどと考えも及ばないのかもしれない。

 ならば、遥からことを荒立てることもない。


 嬉しかった。

 遥はふふふっと笑った。


「え? なに? 僕おかしいこといった?」

「そういえばそういう時期だと思うと懐かしくて。わたしもあれこれ考えたなって思って」


 遥も高校二年生の秋ごろに進路について考えた。

 律と同じように暁に所属して、彼をそばで支え続けることも選択肢にあった。

 だが、両親や律は大学に行くことを強く勧めてきた。

 将来暁に所属することになるとしても、大学は行っておいた方がいい、と。


 社会人になると何かを深く学ぶことは学生のころより難しくなる。ましてや人の命に関わる未知の事象を相手にすると、どうしてもそちらを優先してもらうことが増えるだろう。

 その前に、もっといろいろなことを見ておいてほしい、とは、両親と律の共通の理由であった。


 加えて、律は別の思いも告げてきた。

 大学に通って、もしも蒼の夜に関わるよりも強い興味を覚えることがあれば、打ち込めそうな仕事があればそちらに就いてほしい、と律は言った。


「もちろん遥さんが僕の側にいてくれるのはすごく嬉しいんだよ。でも早いうちから将来の道を狭めてしまうのは、心苦しいんだ」


 そう言って律は苦笑していた。

 同い年で、自分は早々に暁に所属することを決めておいて、遥には広い世界を見た方がいいと諭すことに矛盾があると気づいているからだろう。

 だからあえてそこをつついた。


「そう言うなら律だって、大学に行ってからでもいいんじゃない?」

「僕は悩んでないから。高校をやめてでも暁に所属したいくらいだよ」


 おっとりとした性格の律の、思いもよらない強い言葉に遥は息を飲んだ。


「でも蒼の夜については親に言えないから、急に高校をやめる理由が説明できない。だから高校を卒業してからにするんだ」


 遥は何も応えられなかった。

 律がどうしてそこまで蒼の夜対策班に所属したいのか、話は聞いていたから。


「だから遥さん、悩んでいるなら、大学に行って」


 にっこりと笑う律に、遥はうなずいていた。


 大学に進学して、専攻する分野を広く深く学んで、大学で得た友人とも仲良くして……。

 高校生の頃とは違った世界を、遥は楽しんでいる。

 大学に行ってと言ってくれた律や両親には感謝している。


 だからもし、司が本当に進路に悩んでいるなら、遥は律と同じように言うだろう。


(それよりも今は別の問題なんだけれど)


 律に相談するのははばかられる。

 ならば司が何らかの意思表示をすれば、遥自身が応えなければならない。


 できるなら、これ以上は何もしないでいてほしいと願う遥であった。




 あの一件以来、司とは顔を合わせずに十日近くが経った。

 律が、夏休みの課題が終わるまで司に「出禁」を言い渡したのだ。


 正直なところ、ほっとしていた。

 どんな顔をして司に会えばいいのか判らなかったのだ。

 今日久しぶりに司に会うが、できるだけあの話題には触れないでおこう。遥はそう思っていた。


 だが。


「師匠、この前はクッキーありがとうございました。美味しかったです」


 まさか司の方からクッキーについて話されるとは思っていなかった。

 この次に何を言われるのかと思うと怖かった。だが努めて平静を装った。


「そうですか。お口にあってよかったです」

「それと、もらった時、すみませんでした」


 ……え。

 今度は表情を取り繕えないほど驚いた。


 司をじっと見る。何か吹っ切れたような雰囲気だった。

 単に失礼な物言いをしてしまったことを詫びる以上のものを感じる。

 これ以上三人の今の関係に波風を立てるつもりはない、と言いたいのか。


 希望的観測かもしれない。けれどそれでも、遥は嬉しかった。


「いいえ、わたしこそ言葉足らずでごめんなさい」


 そう、あの時に自分の言葉の意図をもっとしっかり告げていればよかったのだ。


「何があったんだ?」

「俺、前にクッキーもらった時に嬉しすぎて失礼なことを言ってしまって」

「あっ、もしかして、どこの店で買ってきたのかとかそういう感じ? 判るなー。遥さんのクッキー美味しかったからね」


 律の見当違いの納得に、司を見た。

 司もそっと遥に視線をよこした。


 そうしておきましょう。


 遥が微笑を浮かべると司も笑った。悪戯めいた笑いに、同じ思いなのだとほっとした。

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