3 憂い

3-1 わたしなんか

 遥は子供のころ、背が小さかった。声も小さかった。

 運動も勉強も得意というわけではなかった。どちらかというと苦手だった。


 元々引っ込み思案だったのが、小学校二年生の時、担任教師に「遥ちゃんはおうちが剣術を教えているのに、運動ができないね」と言われたことでさらに「自分はダメな子だ」と思うようになってしまった。


 友達はいる。けれど、本音を言って心から笑い合ったり悩みの相談に乗ったりという関係にまではなれない。


 わたしなんか、そこまで必要とされていない。

 わたしがいなくても誰も困らない。

 そう思っていた。


 剣術は、自分の殻に閉じこもってしまう遥に少しだけ自信を与えてくれた。

 打ち込んでいる間は、ちょっとだけ強くなれた気がしていた。


 だが、小学四年生の冬に父親から蒼の夜の話を聞き、もしも遥が蒼の夜の中でも意識を保てるなら、その力を役に立てることを考えてほしいと言われて、うなずけなかった。


 もしもそんな時が来たとしても、自分は逃げるかもしれない。

 卑怯だと思われるだろうかと考えるとそれも怖かった。


 蒼の夜の話を聞いた数か月後、友人と遊んでいる時に唐突に蒼の夜に遭遇した。

 辺りが暗くなり、友人らが蒼色の景色に染まり動かなくなった、あぁ、これが、と思った。


 遥の手にはいつの間にか太刀が握られていた。

 稽古で愛用している木刀でもない、身の丈ほどもあるそれに遥は驚いた。


 どうしてこんな大きなものが? これがわたしにあってるの?

 うそだ、ちがう。こんなのを軽々ふってまものなんてやっつけられない。


 遥は震えた。


 やがて嫌な気配が近づいてきた。魔物だ。目が異様に赤く光った大型の四足獣だった。


 逃げたい。

 逃げよう。

 だが遥の足は動いてくれない。


 獣はうなりながら遥をけん制しているようだった。が、何もしてこないと見て取ったのだろう。遥を無視して固まっている友人を見下ろした。


 食べる気だ。


 遥の考えを肯定するように獣が大きく口を開く。


 だめ!


 体が、動いていた。

 太刀を大きく振りかぶり、獣に振り下ろした。

 獣は、あっけなく消え去った。


 手が震えていた。魔物が消えてなお、怖いという感情は残っていた。

 だがそれよりも、友人らが無事でよかったと心底思っていた。




 遥は司のことを考えて、どうして暁に所属することにしたのかと聞かれた時のことを思い出していた。


 司は遥を師匠と呼び、真っ直ぐな目を向けてきてくれていた。

 自分が師匠だなどとはおこがましい、と思うが、その呼称を頭から否定するのは、なんだか司も否定してしまう気がして、呼ばれるままになっている。


 彼はいい「弟子」だ。どんどん強くなっている。

 いずれは自分も超えていくかもしれない。

 遥は嬉しかった。


 だが、いつからだろう。

 彼の真っ直ぐな目に、揺らぎが生まれたのは。

 何かに悩んでいるのだろうということは、すぐに判った。

 しかし悩みの元までは判らないし、自分から「悩みがあるの?」と尋ねる気にはなれなかった。

 知り合ってちょっとばかりの自分なんかが、彼の何を判るというのだ。

 そう思ったから。


 司が自分で乗り越えるか、誰かの助けを得るか、何にせよ解決すればいいのに、と思っていた。

 考えもしなかった。司が自分に師弟以上の感情を持っているかもしれないことなど。


 気晴らしに作ったクッキーを、律と司に持って行った。

 司が来る前に律に渡していた。

 受け取ってすぐ袋を開け、律はクッキーを一つ取り出して口に放り込んだ。目じりを下げた彼の口からは「ふわぁ」と柔らかい声が漏れた。

 スイーツを楽しむ十代の女子のような反応に遥は思わず笑った。


 これなら司も「まずい」とは思わないだろう。

 味を保証するつもりで言ったのだ。


「さっき律も食べたけれど、まずくはないみたいよ」


 遥の言葉に司は袋を掴んだまま固まった。


「メインが雨宮さんで、あまったから俺にも、ですか」


 明らかに非難めいた声だった。


 心底驚いた。そんな反応が返ってくるなどつゆほども思わなかった。

 冗談っぽく言ってくれたなら、からかってるんだなと笑って返せたのに。


 司はしまったという顔をした。彼自身もそんな言葉を吐くつもりはなかったのだろう。


 何にせよ自分の言動が司を傷つけてしまったのだと思うと、すぐに謝罪の言葉が出てきた。


「あなたにあまりものとか、そんなつもりはなかったのだけれど、傷つけたなら、ごめんなさい」


 頭を下げた遥に、司は口ごもっていた。

 気まずい雰囲気が嫌で、遥は何でもないふうを装った。


 その時はそれで済ませたが家に帰ってあのやりとりを思い出すと、気づいてしまったのだ。

 司は、もしかして自分に好意を寄せてくれているのではないか、あれはもしかして嫉妬なのか、と。


 まさか。でも、そうだとしたら、どうしてわたしなんか。

 それが遥の正直な気持ちだった。


 それなりに長く一緒にいる律はともかく、まだ会って数か月しか経っていない司に異性として好かれる理由など一つも思い浮かばない。


 司が強者へのあこがれを恋と錯覚しているのではないかとさえ思ってしまう。


「遥さん、何を考えてるの?」


 律に問われて、ずいぶん長い間、彼を放ったらかして考え事をしていたのだと気づいた。

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