2-3 大事件

 夏休みに入った。

 司はできる限り暁の訓練所に足を運んだ。律の仕事の都合でなかなか三人が訓練所に揃うことはないが、戦法の確認だけは律の執務室で頻繁に行っている。


 蒼の夜は一週間から十日に一度ほどの割合で出現している。

 三人での戦いも、以前よりは息があって来た。

 それはいいが、思っていたより結構頻繁に蒼の夜が現れることに司は驚いている。


 訓練所から律の執務室に戻って、司はふとそんな感想を口にした。


「そうだね。ちょっと最近増えてきたかもしれない」


 律がいつもの笑顔を少し曇らせている。


「また大規模な襲来が来なければいいのだけれど」


 遥のつぶやきに、司は驚いて彼女を見た。


「三年前、蒼の夜が大規模に発生したことがあって、暁では『蒼の夜大襲来』って呼んでるんだ」


 三年前、律と遥は高校二年生だった。ちょうど今の司と同じ年だ。


 後に大襲来と名付けられた現象は、地球全体が蒼の夜に包まれてしまうという大規模なものだった。


「地球全体!?」


 司の声が裏返る。


「うん。動ける人だけで蒼の夜の中心にいる巨大な魔物を倒して、蒼の夜は晴れたんだ」


 とても壮絶な戦いだったと律はいう。遥も眉根を寄せてうなずいている。


「どれぐらいかかったんですか?」

「実質、数時間かな」

「……どれぐらいの被害が?」


 司の質問に律と遥は顔を見合わせ、眉根を下げた。


「氷室くんはアメリカのカリフォルニアの『謎の大量失踪事件』って知ってる?」


 言われて、司ははっとした。

 三年前、カリフォルニアで数十人が忽然といなくなってしまったと騒がれたことがあった。

 遠い国でのニュースで続報はあまり入ってこなかったと記憶しているが、きっと情報統制されたのだろうと今なら判る。


 あれがそうだったのかと司は律と遥を交互に見た。


「発表では数十人ってなってるけれど実際は少なくとも百人は超えてたんじゃないかな」


 実際の数は律達も判らないが、下手をすれば数百人かもしれない、という。


「そんなにいなくなったのによく騒ぎがすぐに収まりましたよね」

「アメリカ政府も暁もかなり四苦八苦したらしいよ」


 どのような手段が講じられたのかは律も知らないそうだ。

 おそらく関係者に「飴と鞭」を使ったのだろうとは想像できるけれどと律は苦笑している。

 飴は、いわゆる口止め料だ。

 鞭は、口外すれば厳しい罰則を、といったところか。


 おそらくそれだけでは情報を完全に消し去ることはできないだろうと司は思った。他にも何らかの手で無理やり事件を隠したのだろう。


「話を戻すけど、その大襲来の前にも蒼の夜の発生件数が増えていってたんだよ。最近、少し発生件数が増えてるから、また大規模襲来にならないか心配だね」


 律がため息をついた。


「蒼の夜って異世界とのつながりなんですよね?」


 司の質問に律は首肯した。


「どんな世界とつながってるとか、判らないんですか?」

「暁でもそこに着目して、調べようとしているんだけれど」


 魔物が元の世界からやってくる時には異世界とつながっているのは確実らしい。だが蒼の夜の発生の瞬間に出会うことがほぼないうえ、直面したとしても魔物への対応を優先するのでその間につながりが閉じてしまう。


「つながった時に向こうの世界に行ったと思われる人が数人いるけれど、帰って来たって報告はまだないよ。その人達が戻ってこられたらすごく進展するんだろうけれど」


 異世界に行った人がいるらしい、という言葉にもう司の情報処理能力が置いてけぼりだ。


「とにかく今は、蒼の夜で現れた魔物を倒して被害ができるだけ出ないようにするしかないね」


 律の締めくくりの言葉に司はうなずいて、別れの挨拶をして部屋を出た。


 トラストスタッフのビルを一歩出たところで、次の訓練の予定を決めていなかったことを思い出す。

 後でメッセージでやり取りしようかとも思ったがせっかく近くにいるのだから今確認しておいた方がいいかと思い直して、司は律の執務室に引き返した。


 ノックをして中からの反応を確かめてから扉を開けると、椅子に座る律のそばに遥が立っていた。

 机の上には、弁当が広げられていた。薄緑色の弁当箱はいかにも家庭的なそれで、中身も手作りのおかずばかりだ。


「……あ」


 思わず声が漏れた。

 律も遥もごく自然に体を寄せていた。表情も、いつも見る彼らとは違って見えた。

 二人がそばにいることがとても当たり前のような空気を感じたのだ。


 遥は少し恥ずかしそうに笑った。

 その笑顔が司の想像を肯定している。


「氷室くん、忘れ物?」


 律の声にようやく我に返った司は、次の訓練の予定を、とできるだけ普段通りの声をと意識して絞り出した。

 自分でも判るぐらい、不自然だった。


「氷室くんの都合が悪くなければ次は週末かな。それまでに何かかれば連絡するよ」


 律は何も思うところがなかったのか、いつも通り屈託のない笑顔と声だ。


 司は「はい」と返事だけして、逃げるように部屋を出た。

 あれは、あの雰囲気は、仕事上のパートナー以上だ。

 弁当は遥が作ったのだろう。それが二人にとって当たり前なのだ。


 さすがに気づいた。

 遥の今まで見たことのない柔らかい表情や雰囲気は、蒼の夜と戦う「暁」のメンバーでもなく、司の師匠ではなく、一人の女性だった。

 司が驚いて二人と弁当箱を見比べた時に見せた恥じらいの笑顔は、デートのさなかに知り合いに見つかってしまった恋する女性の笑顔だ。


「なんだよ……」


 つぶやいた。


 自分でも判らない、もやもやとした嫌な気持ちが胸に渦巻いている。


 遥のことは暁の先輩としても師匠としてもとても尊敬しているし、律と遥の二人と一緒に戦えることは誇らしかった。

 だがいつの間にか、それ以上の感情が芽生えていたようだ。


 次に彼らに会う時、どんな顔をすればいいんだろう。

 大きなため息が漏れた。

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