2 揺れる心

2-1 転移の房

 七月の初旬に学校では期末テストが行われた。

 二年生になって二度目のテスト、しかも中間テストよりも科目が増えて、司は勉強時間や内容の配分に四苦八苦した。

 さすがに試験前になると律や遥が「今は勉強に集中して」と訓練を休みにしてくれたが、日頃の勉強量が圧倒的に足りていないと痛感した。


「もっと普段からやっておけばな、とは思うけど」

「そう思うのはテスト前後だけ、ってねー」


 司のぼやきに栄一が付け足して、周りが笑った。

 栄一の友人らのグループと行動するのも慣れてきた。

 返却されたテストをみんなで見せ合う、などとやっているともう「栄一の友人」ではなく自分の友人だと言っても嫌な顔をされないよな、と思えるようになってきた。

 それもこれも、栄一が気を回してくれたからだ。感謝しかない。


「氷室は夏休み予定ある?」

「俺は――」


 きっと暁の訓練所に行くことが増えるだろう。

 だが蒼の夜関連のことは口外無用なので、言えない。


「特にないかな。南は?」

「親がお盆辺りに実家に帰省するとか言ってるけど。今年はついてくのやめとこうかなーって」


 父親の実家付近は娯楽施設がなくて、ついていっても特にやることもないし、はっきり言って退屈なのだと栄一はからからと笑った。


「向こう行ってゲームやってるんじゃ、家といるのと変わらないからなー」


 なるほど、と司は相槌をうつ。


「そうだ。おまえ泊まりにくる?」

「おまえんとこに?」

「そう。親がいない時に。ちょっと面白そうじゃね?」


 大人の目を気にせず栄一とゲームしたりアニメを見たり、という場面を思い浮かべて、司はうなずいた。


「確かに」

「よーし決定ー」


 もうすっかり確定したかのような栄一の笑顔に司も笑った。




 暁の訓練所で遥との稽古を終える。

 テストが終わって久しぶりに体を動かして、気持ちいい汗をかいた。

 訓練を始めた頃は基礎の運動だけでもへばっていたのに体力がついたと感じて、ちょっと嬉しくなる。


「今日は律のところに寄ってから解散にしましょう」


 遥に言われて、司は「はい」とうなずいた。


 トラストスタッフの執務室で律が笑顔で迎えてくれる。

 相変わらずこの人の笑顔は癒しだなと司の口元も緩んだ。


「わざわざ寄ってくれてありがとう。遥さんからは訓練の様子を聞いているけれど、氷室くん自身がどう感じているのかも時々聞いておこうと思ってね」


 促されて、司は訓練の感想や自分で気づいた課題などを告げた。

 遥から見た感想と指摘が加えられる。

 師匠はおおむね満足しているようで、司はほっとした。


「そろそろ、氷室くんも実戦に出てもらってもいい感じだね」


 律も満足そうにうなずいている。


「それじゃ、これを渡しておこうかな」


 律は小さな蒼い房の付いたキーホルダーを差し出してきた。


「これは?」

「転移の房。蒼の夜につながるアイテムだよ」


 受け取ろうと手を伸ばしていた司はぎょっとなって思わず手を引っ込めた。


「律、説明不足です」


 遥が微苦笑を浮かべると律はあははと笑って謝った。


「蒼の夜は、もう何十年も前から時々起こっているのは聞いている?」

「はい。師匠から聞きました」

「うん、いつどこで発生するか判らないし、中で活動できる人は限られている。暁が発足してからも、蒼の夜への対応は遅れがちだったんだ」


 蒼の夜の発生場所を特定することは、暁が発足した十年後ぐらいにはできるようになっていた。蒼の夜は特殊な空間ゆえにそのエネルギーさえ把握することができればよかったのだ。


 それでも十年もかかったのか、と司は落胆に似た感情を覚えた。


「次の問題は、発生場所が判ってもその近くに対応できる人がいるかどうかということだ」


 律が話を続ける。


 蒼の夜が発生してから向かっても、暁のメンバーが到着する頃にはもう蒼の夜は消えてしまっているということも多かった。

 蒼の夜は中にいる魔物を倒せばすぐに消失することはわかっているが、それ以外は謎の空間だ。

 考えられるのは、中の魔物が元の世界に戻っていけば蒼の夜は晴れるだろう、ということだが、魔物がいつどうやって元の世界に戻っていくのかも判らない。


 そこで考案されたのが、疑似蒼の夜空間と、転移の術だ。


「疑似空間は蒼の夜を研究するのに役立つし、転移の術はそこから編み出されたものなんだよ」


 このキーホルダー、正確にはそれにつけられている房に、蒼の夜へと飛ぶ魔法が込められているのだと律は言う。


 なるほど、とうなずきながら、司は今度はためらいなくキーホルダーを受け取った。


 数十年かかっていても、蒼の夜への対策が進んできていることに、先ほどとは逆に安堵を覚えた。


「蒼の夜が出たら、まずは電話連絡で君が対応しに行けるかどうかを確認するよ。行けるとなったら即、転移を発動させることになる」

「戦闘は、一人で?」

「ううん。一人で任せることは基本的にないよ。どうしても誰も一緒に行けない時は、そうなるかもしれないけれど、それももっと先の話だ」


 初めて蒼の夜に遭遇してしまった時や、子供達が蒼の夜に巻き込まれた時を思い出して、司はほっとした。あの頃よりは戦えるようになっているはずだが、最初の体験というのは強烈に印象に残っていて拭い去れないものだ。


「これからは僕達と一緒に蒼の夜に対応することになるよ」

「今のあなたならきっと大丈夫です」


 律と遥の言葉に、今までの訓練が評価され期待されているのだと感じて身の引き締まる思いだ。


「はい。よろしくお願いします。足を引っ張らないよう頑張ります」


 司は受け取ったキーホルダーをぐっと握って、頭を下げた。

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