1-8 暁に協力する理由

「今日はわたしと対戦してみましょう」


 師匠の一言につかさは目を輝かせた。


 この数度の訓練ではるかの操る小石とも渡り合えている。まだまだ全勝というわけにはいかないが、三本に一本は小石を叩き落とせるぐらいにはなっているのだ。そろそろ遥とも試合をしてみたいと思っていた。


 遥から木刀を渡される。

 だが彼女は無手だ。


「師匠は木刀なしですか?」

「はい。まずはこれで」


 つまり今の司相手に武器はいらないと踏まれている。

 かっと頭の中が熱くなる。

 勝てる気などしない。たがハンデありでも余裕だと思われるほどもう弱くはないとも思っている。


「氷室くんはわたしの胴か頭に刀を当てたら一本。わたしは氷室くんの木刀を手から離させたら一本としましょう」


 リーチが違いすぎる。ますますハンデが大きくなったと司は思う。


「判りました」


 判ったが納得はしていない。とにかく師匠から一本取って、大きなハンデを付けなくてもいいのだと認識を新たにしてもらわないといけない。司は意気込んで木刀を正眼に構えた。


 打ち込むと回避された。

 横薙ぎにすると手で刀の腹を弾かれた。

 軽く上げた刃を振り下ろし、すくいあげると左右へのステップでいなされた。


 当たらない!


 司はなおも踏み込み、攻め立てる。

 ナメられていたのではない。これが二人の実力差だ。

 実感した時、遥がぐいと間合いの内側に入ってきた。

 あっと思った時には手をしたたかに打たれ、余りの痛みに木刀を取り落としていた。


「一本」


 涼やかな遥の声が、逆に司の心と頭をさらに熱くさせた。


「もう一本、お願いします!」

「ではまいりましょう」


 結局、三度対戦したが司の全敗だった。

 司はすっかり息が上がり床に座り込んだ。

 今までより疲れるし、汗もたくさんかいている。


 考えてみればもうすぐ六月だ。空調の効いた部屋とはいえ、運動をすればかなりバテやすい季節になってきた。


「氷室くんは、落ち着いている性格に見えて結構熱いタイプなのですね。でも前に出るばかりではいけません」


 疲れ切っている司に対し、少々呼吸が速くなっただけの遥が言う。


 蒼の夜の中での戦いで相手を討つ、犠牲者を出さないという強い気持ちは大事だが、はやる心で前へ出すぎては今のように体力を無駄に消耗するし、攻撃が単調になって敵に動きを読まれやすい。


「波のように、よせては引いて、相手の思考を裏切るのです。今の氷室くんは引き潮のようにいったん下がることを覚えないといけませんね。引いた後に満ちる潮こそ大きな力が発揮されるのです」


 遥に指摘されて司は悔しい気持ちをぐっとこらえてうなずいた。

 悔しいが、同時にすごいと思う。

 一体この人は、いくつの修羅場をくぐったのだろう。

 どれだけの魔物を討ったのだろう。どれだけの人を助けたのだろう。


「師匠、一つ聞いてもいいですか?」

「はい。なんでしょう」

「師匠はどうして暁に所属することにしたのですか?」


 遥はうーん、と声を漏らしてから答えた。


「そうですね……、一つは家の意思、一つはわたしの意思、ですね」


 遥の家は剣術を教えている。遥も幼い頃から鍛えられていた。ある程度力をつけると遥自身も上達したいと思うようになり一層稽古に励んだ。

 元々剣術は好きだった。

 どちらかというと引っ込み思案だった――今もそうだが――遥にとって、剣術の稽古はそんな自分が少しだけ積極的になれる時間だった。

 ちょっとだけ、自分に自信がもてる気がしたのだ。


 小学四年生の頃だった。ふと、疑問に思ったことを父親に尋ねてみた。

 どうしてうちは剣道ではなく剣術の道場なのか、と。


「父はわたしの質問に、複雑な笑顔を向けて『蒼の夜』のことを話してくれました」

「ということは、蒼の夜に対抗するために剣術、なのですね」

「はい。父はわたしがどうして剣術なのかと疑問に思った時に応えようと決めていたらしいです。父の予想より早かったのか遅かったのか、尋ねていないので判りませんが」


 どちらにしても、おそらく、ついに来たかと父は思ったのだろうと遥は微笑した。


「父は、もしもわたしが蒼の夜の中でも意識を保てるなら、その力を役に立てることを考えてほしいと言いました」

「それが、きっかけですか?」

「……いいえ。覚悟を決めたのは、もう少し後です」


 父にそのように言われても遥には抵抗があった。

 戦うことに、ではない。自分ごときが戦っても誰も助ける事なでできないのではないかと思ったのだ。


 彼女の言葉に、司は自然とかぶりを振っていた。

 あんなに颯爽と魔物を斬り伏せる遥はきっと、今までたくさんの人達を助けてきたのだろうと簡単に想像できるからだ。


「もちろん今は、それなりに戦える自信はありますよ。……初めて蒼の夜に遭遇したのはその話から数か月後でした」


 すぐにこれが蒼の夜だと判ったが、遥は動けずにいた。

 怖かったのだ。

 だが、実際に蒼の夜の中で何も知らずに同化している人が魔物に襲われそうになっているのを目にして、遥の体が弾かれたように動いた。


「魔物を初めて斬った時は手が震えました。でも、それよりも、襲われかけた人が無事なのが、嬉しかった」


 遥の柔らかい笑みに、司はどきりとした。


「今でも戦うのは、少し怖いです。それでもわたしが戦うことで救われる命があるなら出来る限りのことはしようと思っています」


 自分の恐怖心をも乗り越えて太刀を振るい、戦えない人達を守る。

 強くて優しい人だ、と司は思った。


「――さぁ、そろそろ稽古に戻りましょうか」

「はい。よろしくお願いします、師匠」


 師匠の呼び名を、今までより敬意を込めて口にした。

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