1-4 蒼の夜を打ち払う暁

 友人と寄り道して帰るから遅くなると母にメッセージを送って、つかさは再び「トラストスタッフ」を訪れた。

 今日もりつは人当たりのいい笑みで司を迎えた。


「どちらの答えを出すにしても、もっと時間がかかると思っていたよ」


 そうなのか、と司は首を傾げた。


 あの時はその言葉しか思いつかなかったし、実際考える時間が欲しかったからああ言ったが、なるほど「考えさせてください」とは一般的に体のいい断り文句とされている。その場で無理ですというのははばかられるから一旦持ち帰るふりをする、というやつだ。


「非常識、非現実的なことに直面して余裕なんてなさそうだったから、言葉通りしっかり考えたいのだと思っていたよ」


 司の疑問に対する答えを律が言う。


「それで、どうすることにしたの?」

「俺、できるだけのことをやってみたいと思います」


 司の答えを聞いて、律の笑顔が輝いた。

 同じ男なのに、とてもきれいな笑顔だと司は思った。

 いや、きれいというよりは無垢な笑顔というべきか。

 友人の栄一が可愛らしいタイプなら、律は純真を絵に描いたようだ。


「どうしてそう決めたのか、聞いてもいいかな」


 問われて、司は自分の考えを包み隠さず話した。

 本当は怖いことも、自信がないことも、このまま逃げてしまってもいいかなとさえ思ったことも。


「けれど友達と、異世界の化け物がこっちに来たらって話になって、そういうのは戦える人に任せる、って言われて。俺はそこに近い位置にいるんだなって思ったんです。もしもここに蒼の夜が来たら、友達を守れるのは俺だけなのかもしれないって。その時に、ちゃんと守りたいと思いました。……こんな個人的な感情で、すみません」


 司の答えに律は何度もうなずいていたが、最後の一言にはかぶりを振った。


「いいんだよ。個人的な感情の方が強い意志を感じられる。世界のためにとか、みんなを守るとか、格好いいことを言っても結局続かない人は多いんだ。僕の狭い人間関係の話だけれど、自分や自分の大切な人を守れるようにっていう人の方が長続きする傾向にあるんだ」


 そういうものなのか、と司は相槌を打った。


「それじゃ、改めてよろしくね。僕は蒼の夜対策班『あかつき』の、雨宮あまみや律です。この辺り一帯の蒼の夜に対処している、エリアリーダーといったところです」


 律が握手を求めてきた。

 差し出された手を握り返し、そういえばまだ自分は名前すら相手に明かしていないのだったと司も「氷室ひむろ司です」と名を告げた。


 律は蒼の夜や暁についてさらに詳しく話してくれた。

 先日簡単に話された通り、蒼の夜は異世界とのつながりでできる特別な空間だ。その中で動ける者は本来地球人では発揮できない力を手にすることができる。

 はるかの武器も魔力の具現化だという。


「雨宮さんは戦うんですか?」

「うん。僕の武器は小さなクロスボウだよ。攻撃よりは支援特化なんだけれど、あの時は僕が手を貸す前に遥さんが化け物を倒してしまったから出番はなかったな」


 律は恥ずかしそうに笑った。

 遥の話題になって、そういえば今日はいないんだな、と気づく。


 先日ここで会った時、結局彼女は一言も話さなかった。

 戦っていた時の凛々しく格好いい彼女とはかけ離れた姿で、じっと律と司のやり取りを聞いているだけだった。

 どちらの彼女が「素」なんだろう。今一つ掴みにくい人だなと思った。


 話はまた蒼の夜についてに戻っていく。


「蒼の夜の中で怪我をしても空間が消えれば傷も消える。壊れたものとかも元に戻るけれど、命が失われてしまえば亡骸ごと消滅してしまう。犠牲者が身に着けていたものも一緒にね」


 そういえばゴブリンのようなあれも、命が失われたらすぅっと消えていったと司は思い出した。

 つまり怪我は大丈夫でも死んではいけないということだ。

 司はごくりと唾をのむ。


 律は続いて、蒼の夜対策班について話し出す。


 日本で国防を担う防衛省の一部に蒼の夜の存在は知られている。だがなにせ特殊な空間の中で動ける人間は限られているので防衛省はバックアップがメインで、実際に戦うのは律たちだ。


「蒼の夜を打ち払うから、僕達のことは『あかつき』って隠語で呼ばれてるんだ」


 ネーミングは案外安直なんだなと思いながら司はうなずいた。


 律の勤めるこの「トラストスタッフ」は人材派遣会社だが政府とつながっていて、蒼の夜対策班がひっそりと置かれている。一般企業の内部の小さな部署に任せることで注目されにくくしているのだとか。


「この辺りのことはあんまり詳しく知らなくてもいいかな。政府公認の活動だ、ぐらいに思っていてくれれば」


 政府公認とは途端に話が大きくなった。

 そこでふと疑問が浮かぶ。


「……防衛省とか関わってるなんて、もしも活動に参加しないって返事してたらどうなるんですか?」


 国家権力が関わるのだ。まさか口封じに監禁されたり殺されたりとか、と考えて司はぶるりと震えた。


「あはは。今きっと氷室くんが考えているようなことはないよ」

「何考えてるか判りましたか」

「うん。僕も聞かされた時に、ひょっとして断ったら口封じ? って考えた」


 考えることは同じだったと司も笑みを浮かべた。


「蒼の夜の中で活動できる人に法則とかあるんですか?」

「ないよ。でも若い人の方が平気な場合が多いんじゃないかって話だね」


 若い人の方が総じて活力があるから、らしい。


「蒼の夜と僕達の活動については、こんな感じかな。何か質問はある?」

「今のところ思いつきません」

「何かあったらなんでも尋ねていいよ。全部答えられるかどうかは判らないけれど」


 律は肩をすくめてみせた。

 彼が知らないこともあるだろうし、下っ端に話してはいけないこともあるのだろう。


「それじゃ次に、氷室くんにこれからどうしてほしいのか、話させてほしい」


 いよいよこれからのことか、と司はうなずいた。

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