第2話 私、惚れ薬が欲しいんです
もしかして僕は夢を見ているのでしょうか?
「えっと。私、魔法薬を買いたくて」
僕の目の前では、少女がソファーに落ち着きなく座っています。瞳は黄色。くせ毛の目立つブラウンの長髪。身にまとうのはクリーム色のワンピース。明らかに僕より年下の彼女は、今日のお客さん第一号です。
まさか、店の扉にかけてある『CLOSE』の看板を『OPEN』に変えた瞬間、お客さんがやってくるなんて。僕がここで勤め始めて約一年。こんなことは初めてです。
いや、絶対夢だ。試しに頬を引っ張ってみよう。
…………
…………
痛い。
「あの。何してるんですか?」
「ああ、うん。気にしないで」
「?」
間違いなく現実ですね、これ。
さて、現実となれば気合を入れなければなりません。相手が少女とはいえお客さんはお客さん。しっかり商売するとしましょう。明日の食費のためにも。
「で、君はどんな魔法薬を」「弟子くーん。私の仕事服どこに置いたのー?」
僕の言葉を遮り、お店の奥から姿を見せた師匠。身にまとうのは見慣れた黒いパジャマ。どう見たってお客さんの前に出る格好ではありません。
「あれ? こんな早くからお客さんがいるなんて珍しいね」
「し、師匠! もうお店は開いてるんですから、そんな恰好で出てきちゃだめですよ! あと、服はベッドの傍にたたんで置いてます!」
「はーい、ありがとう。あなたもゆっくりしていってねー」
自分の格好など気にするそぶりもなく、師匠は少女に言葉をかけて部屋の奥へと消えていきました。
「あ、あの。今の人は?」
当たり前と言うべきでしょうか。とてつもなく困惑している様子の少女。
「今のはこの店の店主さんだよ。あと、僕の師匠」
「へ、へー。店主さんだったんですか」
「そうそう」
「何と言いますか。こ、個性的な方ですね」
ええ。取り繕わなくても言いたいことは分かりますよ。パジャマ姿でお店に現れるなんて店主さんらしくないですよね、全くもって。
僕たちは、少しの間無言で苦笑いを浮かべました。
「こほん。き、気を取り直して。君はどんな魔法薬を探してるのかな?」
「あ、はい。私、惚れ薬が欲しいんです」
「…………」
「私、惚れ薬が欲しいんです」
「いや、聞こえなかったわけじゃないよ。ちょっとびっくりしてただけだから」
まさか朝一番に「惚れ薬」なんて単語を聞くなんて思ってもみませんでした。
それにしてもこんな少女が惚れ薬? え? なんで?
首をひねる僕の前で、少女は懐から巾着袋を取り出しテーブルの上に置きます。カチャンという金属のぶつかる音。袋のいびつなふくらみ。中にお金が入っているとすぐに分かりました。
「ここに銅貨が10枚と銀貨も10枚あります。これで足りますか?」
「えっとね」
「あ。もし足りなかったら残りのお小遣いも全部持ってきますから。お願いします。私に惚れ薬を売ってください」
「あー。すごく言いにくいんだけど……」
「惚れ薬なんてないよ」
突然僕の背後から聞こえた否定。振り返ると、仕事着である灰色のローブに身を包んだ師匠が立っていました。
「な、ないんですか?」
「そ。惚れ薬みたいな他人の気持ちを操る薬は売ってない。作れるけど、ろくなことにならないから」
そう言って、師匠は僕の横に腰を下ろしました。ソファーの表面が軽く沈み、脚がギシリと鈍い音を立てます。少女を見つめる師匠の瞳は真剣そのもの。子どもっぽさなんて微塵も感じません。
「ほ、本当にありませんか? ここにならもしかしたらあるかもって近所のおばあちゃんが言ってて」
「うん。ないね」
「そんな……」
うつむく少女。漂う悲壮感。どうにもいたたまれなくて、僕は口を開きました。
「ねえ、一応聞いてもいいかな? 君はどうして惚れ薬が欲しいの?」
僕の質問に、少女は顔を上げます。潤んだ目が、僕と師匠に向けられました。
「えっと」
「あ。無理して言わなくてもいいからね」
「いえ。……実は私、好きな男の子がいるんです」
ポツリポツリと少女は語り始めました。
「彼とは幼馴染なんですけど。地味な私なんかに釣り合わないくらいかっこよくて。それに優しくて。私が泣いてるときとか、ずっと傍にいてくれて」
少女の頬に浮かぶ朱色。今その目に映っているのは、すぐ前にいる僕でも師匠でもなく、彼の顔に違いありません。
「これまで何回も何回も一緒に遊んで。『将来は彼のお嫁さんになるのかな?』なんて周りからも言われたことあります」
「本当に仲が良かったんだね」
「けど三日前。突然彼から言われたんです。『両親が二人とも国外の会社へ異動になったんだ』って」
消える朱色。現れる影。彼女にとって、その事実が避けようのない不幸であることは明らかでした。
「もしかして、その彼もついていくことになったの?」
「……はい。最初それを彼から打ち明けられた時、私、悲しくて悲しくて頭がどうにかなりそうでした。でも、『そっか』としか言えなかったんです。だって、彼も私もまだ十四歳の子どもなんですから」
十四歳。それは、一人で生きていくにはあまりにも幼い年齢。実際、この国では十六歳未満の者の労働が禁止されています。彼がご両親と離れて一人でこの国に残る選択肢は無いのでしょう。
「私、地味で何の取り柄もないから。国を出たら、彼は私のことなんてすぐに忘れちゃいます。そうなったらもう二度と会えなくなる。今まであんなに一緒にいたのに」
「だから惚れ薬に頼ろうとした、と」
「はい。彼が私に惚れてくれたら、国を出ても私のことを忘れないでいてくれる。それで、いつか国に戻ってくるきっかけになるかなって思ったんです」
少女の言葉はか細くて。握られた両拳は小さく震えていました。
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