地球泥棒

プリズムおにく

地球泥棒



「ニュース、見た?」

「ああ、とうとうきたね。ギザのピラミッド」


 カラカラと引き戸を開けて6畳の縦に長い部室に入ると、上座に座った三隅みすみさんが早速話しかけてきたので、僕はカバンを下ろしながら答えた。


 彼女が備品のノートパソコンをくるりとこちらに向ける。

 そこには、エジプト現地の映像が流れていた。


 リポーターの背後に映るのは、何もない砂漠の地平線と、周囲を慌ただしく行き交う人々の姿だった。


 画面が切り替わり、ヘリからの映像が捉えているのは、何者かが砂漠に判を押したかのような、巨大な四角形の痕跡である。


 紀元前2500年頃に建造されたというギザの三大ピラミッド、そしてスフィンクスが、地下部分に至るまで根こそぎ消失した。


 ――たった一夜のうちに、その過程を誰にも目撃されることなく。


 こうした事件がいま、世界各地で頻発していた。


 始まりはエベレストだった。

 世界遺産・サガルマータ国立公園の一部にして、標高8800メートル以上を誇る世界最高峰。


 ――それが、一夜にして跡形もなく消え去ったのである。


 局所的な地殻変動など、様々な要因が議論されるさなか、第二の事件が起こった。


 アメリカのシンボル、自由の女神像が消えたのである。


 今度は白昼堂々、大勢の人々の前で。

 まるで手品のように一瞬で、あの巨大な像が姿を消した。


 消失の瞬間を記録した映像が多数あったにも関わらず、原因はまったく不明だった。


 それから一ヶ月ほどの間に、世界遺産、美術館、図書館といったものが次から次へと地球上から消えていった。


 建物や都市そのものが消失する瞬間、そこにいる人間が巻き込まれたケースも多々あったが――、

 その場合、不思議なことに、現場から離れた場所で忽然と発見されるのだった。

 それも、消失前後の記憶を失った状態で。


 日本国内に限っても、すでに京都・奈良の社寺、富士山、白川郷の集落などが姿を消していた。


 ただでさえ世界情勢が不安さを増しているさなか、次々と起こる謎の事件は各地でパニックを誘発していた。


「この謎を解き明かすことが私たちの責務なの、って聞いてる塚崎つかさきくん?」

「ふぁい」


 運悪く欠伸と返事のタイミングが重なってしまい、

 僕は三隅さんの殺気立った眼光で射抜かれた。


 ――解き明かす、って言ってもなぁ。


 僕はそそくさとノートパソコンを立ち上げながら、心の中で愚痴をこぼした。


 世界中の有識者が束になっても解決できない事件に対して、部員2名のオカルト同好会に何ができるというのか。


「一応聞くけど、塚崎くんはどう考えてるわけ? 一連の消失事件」

「そうだねぇ――、これは未知のテクノロジーを有する個人、あるいは組織による窃盗だよ。この先、盗んだモノと引き換えに何かを要求してくるか、あるいは単なるコレクションなのか、それはわからないけどね」

「未知のテクノロジー……地球外の知的生命体が関与している可能性はない?」

「それは飛躍しすぎ。地球の上で起こってることなんだから、まずは地球人を最優先で疑わなきゃ」

「なるほどね。丸っきりやる気がないわけじゃなさそうだ」


 ――とまあ、せいぜいこうしてありふれた空論をこねくり回すくらいしかできないわけで。

 三隅さんをそこそこ納得させたうえで、僕が二回目の欠伸を噛み殺そうとしていた、そのとき――


「お疲れさま~、入るよ~~~」


 控え目なノックのあと、とろけるような甘い美声が聞こえてきた。


「どうぞ!」


 一瞬で眠気を吹き飛ばして答える僕に、三隅さんが白い眼を向けてくる。


 引き戸の向こうからティーセットを携えて現れたのは、顧問の高安たかやす先生である。


「高安先生、いつもありがとうございます」


 三隅さんがぺこりとお辞儀をすると、高安先生は首を振りながら、


「いいの、私オカルトってまだあんまり詳しくないから、お茶を淹れるくらいしかできないし」


 眉尻を下げて申し訳なさそうに笑った。


 ――ああ、本日も麗しゅうございます。


 一ヶ月前に赴任してきた新米教師である先生は、柔らかく丁寧な物腰と、眼鏡の似合う可愛らしい顔立ちが男子生徒に大ウケしていた。


 彼女がこの同好会の新顧問に決まると、予想通り入部希望者が殺到したが――、

 そうした不純な動機で集った輩は、すべて三隅さんのしごきによって駆逐されていった。


 僕が最初にこの同好会に入り、そして今も続けていられるのは、曲がりなりにも“オカルト”に興味があり、それを記事にして校内やネットで発表することにやりがいを感じられるからだ。


 ――まあそれはそれとして、最近のモチベーションは、高安先生と過ごすひとときであることは間違いないのだけど。


「いただきます!」

「熱いから気をつけてね」


 くぅ~~~~~……ッ。

 先生が淹れてくれたお茶……最高だぜ。


 山だの絵だの本だのを盗んでるヤツ――

 何が目的かわからんが、モノの価値というものがわかっていないな。

 こんなに素晴らしいモノが地球にはあるというのに。


 先生――あなたは俺の世界遺産、登録完了です。


「また、何か気持ち悪いこと考えてるでしょ。やめてよ、顔に出るんだから」


 三隅さんの辛辣なコメントも、全然気になりませんね。

 全ッ然。

 僕が華麗にスルーを決め、ふた口目の紅茶を口に運ぼうとした――その時だった。


 がちゃりとティーカップを机に置く音が響いたかと思うと、三隅さんがパソコンに向かって震える声で呟いた。


「え……ちょっと、何これ」


 ただ事でない雰囲気に、僕も席を立ち、画面をのぞき込む。

 そこでは確かに異常な事態が起こっていた。


 まだあと800個近くは残っていたはずの世界遺産が、同時多発的に、猛烈な速度で消え始めたのだ。

 SNSは大混乱し、動画サイトには大量の映像がひっきりなしにアップされ続けている。


「先生、これって……」


 三隅さんが画面から顔を上げ、高安先生に話しかける。


 僕は、おや、と思った。

 オカルト初心者の先生に三隅さんがわざわざ意見を求めたことに、かすかな違和感を覚えたのだ。


「事態の進行が予想より早かったみたい。それで、こっちも大急ぎで動き出したんでしょうね。――悪いけど、慌ただしい出発になるかも」


 三隅さんに応えた高安先生は、かつて見たことのない表情をしていた。

 どこか冷たく、無機質な横顔に、僕は言い知れぬ不安を覚えた。


 それに気付いてか、


「――塚崎くん、ちょっと先生の手相見てくれないかな」


 先生は、いつもの穏やかな笑顔で僕にそう語りかけてきた。


 はっきり言って、話の流れ的には不自然きわまりなかったが――、

 先生の体の一部と触れ合い、合法的に凝視できる機会とあっては、逃すわけにはいかない。


 僕はお言葉に甘え、差し出された右手にそっと自分の両手を添え、穴の開くほどじっくりと見つめた。

 白く艶やかな手のひらに、「て」の字の皺が刻まれている。


 ムーッ、これは結婚線ですね。

 相手は年下、身近な男子生徒が良いでしょう……。


 その時、先生の白い手がさらに輝きを増したかと思うと、フラッシュを焚かれたかのように視界が真っ白に染まり――、


 僕は、意識を失った。



* * *



 気が付くと、僕らは地球から離れる船に乗っていた。


 窓ともスクリーンともつかないものが、ひとつの光景を映し出す。

 僕らがかつて暮らしていた世界が、燃え尽きようとしていた。


 ――地球と呼ばれた星の、最期。


「惑星の歴史がある程度まで進むと、非常に高い確率で“リセット”が起こるの。そうなる前に文明や自然、生命体のサンプルを持ち出し、アーカイブするのが先生たちの本当のお仕事」


 紅蓮の地獄絵図を指し示しながら、歴史の授業とまったく同じノリで高安先生が解説する。

 曰く、暴走した大国の放った一撃がきっかけとなり、全世界規模の核戦争が勃発したそうだ。


 なんと呆気ない最期だろう。


 僕のお腹には、先程飲んだ紅茶の熱がまだ残っている。

 それなのに、あの部室も、学校も、日本という国も、もう存在しないなんて。


「塚崎くんと三隅さんの生命は保証するから安心してね。少し窮屈な暮らしにはなるけど、できるだけ不自由はさせないから」


 先生はそう言い残すと、壁ともドアともつかない燐光の奥に消えていった。


 ――ああ、先生。


 先生とそのお仲間が、地球の宝を根こそぎ盗んだ犯人だったなんて、まだ信じられません。

 でも僕、本望です。

 こうして先生に盗まれたのだから。


 部屋とも檻ともつかない場所にとり残された僕は、ふと、共に連れてこられた三隅さんの様子を伺った。


 こんなことになって、怯えているだろうか。

 あるいは、失ったものを想い、悲しんでいるだろうか。



 彼女は――笑っていた。



「三隅さん?」

「ごめんね、塚崎くん。ずっと黙ってて」

「何のこと?」

「私、前から高安先生に推薦してたんだ。――この星のホモサピエンスの、つがいのサンプルを」


 三隅さんの瞳は、かつて見たこともない淫靡な色をしていた。

 普段とまったく別種の恐ろしさを感じ、僕は静かに戦慄した。


「――私と、塚崎くんの二人。地球最後のカップルとして、永遠に名前を刻むんだよ」



 前言撤回。

 僕を盗んだ犯人は、別にいましたとさ。





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