第37話 ラウラ、初めての夜会

 目の前に夜会会場の景色が広がる。


 色とりどりの花々で飾られた煌びやかなホール。

 流行りのドレスをまとう美しい貴族令嬢に、そのエスコートをする凛々しい貴族令息。


 美味しそうな食事やデザート、お酒も用意され、階段の横では楽団が優雅な曲を奏でている。


 すべてがきらきらと眩しくて、夢のような空間だ。


 うっとりと目を奪われていると、扉の横に立っていた侍従のような人がホールに向かって声を張り上げた。


「イザーク・マクシム・ハルヴァート第二王子殿下と、ラウラ・カシュナー嬢のご入場です!」


 イザーク様のお名前が呼ばれ、会場中の注目が集まる。

 みんなどこか驚いた様子で、ひそひそと囁き合っている。

 たぶん、というか確実に、イザーク様の隣に立つ私は何者なのかと疑問に思われているのだろう。

 

 今日一日だけの身分だから気にしないでほしいけれど、そういうわけにもいかないというのも分かる。


 大勢の人たちの刺すような視線を浴びて緊張しているせいか、指先が冷えるのを感じる。

 すると、イザーク様が私の手をきゅっと優しく握りしめた。


「大丈夫だ。俺がいる」


 そう言って、私の目を見て微笑んでくれた。

 その途端に緊張が解け、指先に熱が戻るのを感じる。


(ああ、やっぱり私はイザーク様のことが大好きだわ……)


 幸せだけど、今は切なさも交じる想いを胸にそっと閉じ込めて、イザーク様に微笑み返す。


 ホールに入った後は、王族専用の席に通され、立派な椅子に座らせてもらえた。


「ラウラ、デザートもたくさん用意させたから、好きなだけ食べていいぞ」

「ありがとうございます」

「ああ、でも酒は飲むなよ。水かジュースだけにしておけ」


 イザーク様が真面目な顔で言う。


「分かりました。でも、どうしてですか?」

「どうしてかって……ラウラが酒で酔ったら、危ないだろう?」

「あ、たしかに転んだりとか──」

「今もすでに可愛いのに、ほろ酔いのラウラなんて絶対に可愛すぎるから危険極まりない。貴族の男共が狙うに決まっている」

「そんなまさか……」


 要らぬ心配をしすぎではと思う私に、イザーク様が少し顔を赤らめながら付け加える。


「それに、俺が何かしてしまうかもしれない……。だから、酒を飲むのはやめておけ」

「わっ、分かりました……!」


「何かってなんなの……!?」と思いながら、私まで顔が赤くなってしまう。

 話を逸らして誤魔化そう……。


「そ、そういえば、今日の夜会にアロイス王子はいらっしゃってないんですか?」

「兄上なら、あそこだ」


 イザーク様が指差した先には、大勢の貴族令嬢たちに囲まれたアロイス王子がいた。

 どうやらすでに楽しく参加していたようだ。


(綺麗な女性がいっぱい。アロイス王子らしいわね)


 ここを去る思い出に、アロイス王子の姿も目に焼き付けておこう。

 そう思って眺めていると、誰かから視線を向けられているような気配を感じた。


(誰だろう……。もしかして、あの人……?)


 アロイス王子を取り囲むご令嬢たちに、一人だけ雰囲気の違う女性が混じっている。


 赤いドレスをまとったその女性は、ゆるく流した長い前髪で目元が隠れ、扇子を広げているので口元も見えない。

 けれど、その佇まいからは隠し切れない色香が滲み出ていた。


(今、私のことを見ていたの……?)


 どこかそわそわと落ち着かない気持ちになって目を逸らしたあと、やっぱりもう一度よく見てみようと視線を戻すと、もうそこに彼女の姿はなかった。


(……気になるけど、今は人探しをしている場合じゃないわね)


 今日は最後の思い出作りなのだ。

 お別れの前に、イザーク様と二人で夜会を楽しみたい。


「イザーク様。せっかくなので、用意していただいたデザートを食べてみてもいいですか?」

「ああ、もちろんだ。今、運ばせよう」


 すぐにいくつものデザートが運ばれてきて、ちょっとしたカフェのようになった。


「ラウラはフルーツタルトも好きだっただろう?」

「ありがとうございます! イザーク様はこの苦いチョコレートケーキがお好きでしたよね?」

「覚えていてくれたのか。ありがとう」


 それから、二人で味の感想を伝え合ったり、私の頬にクリームがついてしまったのを、イザーク様がナフキンで綺麗に拭いてくれたり……。

 私たちは食べているデザートよりも甘くて幸せな時間を過ごした。



「あっ……」

「どうした?」

「ドレスの袖口にジャムがついてしまって……」

「ああ、本当だ。夜会はまだ続くし、ドレスを着替えるか?」


 イザーク様が気を遣ってくれたけれど、今日はずっとこのドレスで過ごしたいので着替えるわけにはいかない。


「いえ。少しだけですし、水で流せば大丈夫だと思うので、お手洗いに行ってきますね」

「ああ、分かった」


 ホールを出てすぐ近くにあるお手洗いに行き、ドレスの袖口を丁寧に洗う。

 思ったとおり、汚れは綺麗に落ちた。


(早く戻って、今度はバルコニーで一緒に星空を見ないか誘ってみようかな)


 少しでも多くの思い出を作りたい。

 そんな気持ちでイザーク様の元へ戻ろうとしたとき、ふいにお手洗いの入口の扉が開いて、誰かとぶつかりそうになった。


「あっ、すみません……」


 謝ろうとして目の前のご令嬢の顔を見た瞬間、思わずひゅっと喉が鳴った。


「あなたは……オフェリア公女様──……」

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