第21話 ラウラ、自覚する

「あっ……」


 棚にしまおうとした書類が手から滑り落ちて床に散らばる。


「大丈夫か、ラウラ?」

「すみません、大丈夫です」


 気遣わしげに声をかけてくれたイザーク王子に不手際を謝り、私は急いで書類を拾い集める。


(……だめだわ、早くしっかりしないと……)


 コンラートさんから思いがけず告白された後、私は落ち着かない日々を送っていた。


 まず、男の人から告白されるなんて初めてだったから、まだ動揺が続いている。

 それに、その告白を断ったのも後から罪悪感が湧いてきて、心が痛い。


 コンラートさんは、本当にとても誠実な人で、平民で家事しか取り柄のないような私には、これ以上考えられないほどの男の人だった。

 彼からの告白を断ってしまうなんて、たかだか私のくせにとんでもなく傲慢で罰当たりだと思う。


 ──でも、気づいてしまったのだ。


 まだしっかり固まってはいないけれど、この胸にたしかに存在する気持ちに。


 ……私は、イザーク王子のことが好き、なのかもしれない。


 コンラートさんから告白されたとき、真っ先に思い浮かんだのが、イザーク王子の顔だった。

 

 どうして彼の顔を思い浮かべたのか……。

 魅了の思い込みを解かなければならないことや、前金の返済義務、専属侍女としての仕事の責任など、あれこれ理由を並べ立ててみたけれど、なぜかそれで押し通す気にはなれなかった。


 コンラートさんの真摯さに当てられたのかもしれない。


 そうだ、単純なことなのだ。


 私の心の中にある、一番大きな存在がイザーク王子だから。


 それはもう、他の男の人のことなんて考えられないくらいに、私の心を占めてしまっている。


 だから、「好きな人がいるんですね」というコンラートさんの言葉に、私は素直にうなずいた。


 これが「恋心」なのかは、まだ自信がない。


 でも、本当は温かさのある彼の人となりを知って、彼のことを好ましく思うようになった。

 そして里帰りでイザーク王子が私の過去の話を聞いてくれ、優しく抱きしめてくれたときから、彼のことを特別に感じるようになってしまった。


 仕事中もつい気づかれないように、彼の姿を覗き見てしまう。


(……こんな気持ち、不毛だって分かってるのに)


 平民で奴隷として売られたような女と、この国の第二王子。

 何がどうなったって結ばれるわけがない。


(──そうよ、期待なんてしないわ。そばにいられて、彼のために何かができれば、それで十分……)


 私はそう自分に言い聞かせて、書類を棚にしまう。


 すると、コンコンとノックの音が聞こえると同時にドアが開き、明るい声が執務室に響き渡った。


「みんな、お疲れさま! 今日もお邪魔させてもらうね」

「兄上……」


 イザーク王子が憎々しそうにアロイス王子を睨みつける。


「邪魔だと分かっているなら帰ってもらいたい」

「まあまあ、そんなに怒らないでよ。今日はいいお誘いをしに来たんだから」

「いいお誘い?」


 イザーク王子が訝しげに眉根を寄せる。


「そうそう、イザークとラウラちゃんさ、僕たちとダブルデートしない?」


「「ダブルデート?」」


 思いがけず、私とイザーク王子でハモってしまった。


「そう、ダブルデート! 僕は今度、最近仲良しのご令嬢と観劇に行く予定なんだけど、君たちも一緒に行かないかい?」

「ダメだ。兄上と一緒になど御免だ」

「そんなつれないこと言わないでさ。カップルシートの特別席だよ? 雰囲気抜群の恋愛劇だよ? 観劇の後はお互いに別行動すればいいじゃない、ね?」

「…………いつの予定だ?」


 初めは間髪入れずに断ってみせたイザーク王子だったが、結局はアロイス王子のしつこい勧誘に折れてしまったようだ。

 アロイス王子が楽しそうな笑顔を浮かべる。


「明後日の午後の部だよ。イザークなら一緒に行ってくれると思ったんだ」

「……チケットを無駄にするのは勿体ないからな。それに、日頃励んでくれている部下を労うのも上司の務めだ」

「うんうん、そうだね〜。ラウラちゃん、イザークが連れていってくれるって。楽しみだね」

「……はい、とても楽しみ……です」


 にこにことこちらを見てくるアロイス王子に、私はぎこちなく答える。

 

 だって、つい最近、好きかもしれないって自覚した人と、デ、デ、デート……!?


 もちろんダブル・・・デートだから二人きりではなくて、アロイス王子とどこかのご令嬢もいる。それに、イザーク王子は部下の労いのためとしか思っていなさそうだ。


(でも、「デート」と銘打って出かけるなんて、そわそわするのも仕方ないわよね……!?)


 楽しみなのは、本当に楽しみだ。

 観劇なんて初めてだからワクワクするし、その後でイザーク殿下とゆっくり街を観光できたら楽しいだろうなと思う。


 でも、同時に不安なのだ。

 ここ数日、ずっと落ち着かなくて、さっきも書類を散らかすようなミスをしたくらいなのに、気になる人とデートなんてしたらどうなってしまうのか。


 馬鹿みたいな失敗や、恥ずかしい姿をさらして、イザーク王子に幻滅されてしまうかもしれない。


(……でも、おかしな話ね。私はイザーク王子の思い込みを解くために、嫌われようとしていたはずなのに)


 それがいつのまにか、彼に嫌われたくないと思ってしまうなんて。


(いつかは思い込みを解いてあげないといけない。でも、まだもう少しだけ、このままでいさせてほしい……)


 私は、腕組みをして何か複雑そうな顔をしているイザーク王子をこっそり見つめて、そっと胸を押さえる。

 トクトクと高鳴る心臓の鼓動が、日ごとに募る彼への想いを訴えているようだった。

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