第22話 イザーク、ソワソワする
「俺はこんなに意志の弱い人間だったのか……」
一日の仕事を終え、一人になった執務室の中で、俺は額に手を当てて溜め息をついた。
ラウラの兄上への想いを断ち切らせると決意したばかりだというのに。
俺はよりによって兄上たちとのダブルデートを約束してしまった……。
ラウラと兄上をできるだけ引き離すべきなのに、何をしているんだ俺は……!
初めはもちろん断るつもりだったのに、ついカップルシートの特別席だとか、雰囲気抜群の恋愛劇だとか、観劇の後はお互いに別行動すればいいだとか、兄上の巧妙な甘言に釣られてしまった。
(どうする、今からでも断るべきか……?)
しかし、ラウラが楽しみにしていたのにガッカリさせたくない。
ラウラはわずかに頬を紅潮させ、小さな声で「楽しみです」と言ったのだ。
とても可愛かった。
あんなに期待した様子だったラウラを裏切るなんて外道の所業、できるわけがない。
(……だが、ラウラと兄上を一緒にいさせたくもないし──いや、待てよ。ここは逆にダブルデートという状況を利用すべきでは?)
そうだ。兄上には他の令嬢がいるのだ。
あの女たらしのことだから、人目もはばからずベタベタすることだろう。
そんな奴の姿を見れば、いくら恋は盲目と言えど、ラウラの目も覚めるはずだ。
ショックで傷つくかもしれないが、そこは俺がフォローすればいい。
(──それで少しは俺のことも意識してもらえれば……)
あわよくばと少々の期待も抱きつつ、計画成功に向けて万全の準備を整えるべく、俺は紙とペンを用意する。
「よし、まずはラウラのために街の見所と人気の店をリストアップしなければな」
そして、今日も執務室にこもったまま、夜は更けていくのだった……。
◇◇◇
それから二日後。
今日は俺とラウラ、そして兄上カップルでのダブルデート当日だ。
兄上たちとは現地で合流することになったため、俺とラウラは王宮の外で待ち合わせて、劇場まで馬車で一緒に行く予定だ。
待ち合わせの時間より30分も早くやって来た俺は、つい何度もちらちらと懐中時計を確認してしまう。
「……なんだ、この時計。さっきから全然時間が進まないな。壊れてるのか?」
文句を垂れながら王宮の時計塔に目をやるが、懐中時計とまさしく同じ時刻だった。
王宮の時計塔の時計が狂うことはまず考えられない。よって、懐中時計の示す時刻も正しいと言える。
(……つまり、俺の気が逸ってるだけか)
まあ、それも仕方ないかもしれない。
今日はラウラとの初デートなのだから。
仕事で二人一緒に外出することはあったが、ただ遊ぶためだけに出かけるのは初めてだ。
正直、昨日の朝からソワソワして心ここにあらずという気分だった。
(ラウラが来るまでには落ち着かなくては……。昨日の厳しい訓練を思い出せ、イザーク。ラウラには、クールながらも優しい俺を印象づけるんだ……!)
そう、今日のデートで絶対にラウラから意識してもらえるよう、仕事中……ではなく、仕事の合間にイメージトレーニングに励んでいたのだ。
女にだらしない兄上とは対照的にクールに。
そして、兄上の下心が透けて見える優しさではなく、コンラート・フリードルを見習って、やましさ皆無の誠実な優しさを心掛ける。
そうすれば、兄上の女狂いに嫌気がさしたラウラは、兄上とは違う俺の魅力に気がつく……かもしれない。
そのためにも、まずはこの浮ついた心をなだめなければ。
俺は平常心を取り戻すべく、深呼吸を繰り返す。
そうして待ち合わせ時間の10分前、ようやく心を落ち着けられそうだったそのとき。
俺の目の前に、1人の天使が現れた。
「……あの、ちょっと早く来すぎちゃいました」
恥ずかしそうに頬を赤らめ、上目遣いでこちらを見つめる彼女──ラウラは、陽光を浴びて眩いほどに輝いている。
吹き抜ける爽やかな風に、彼女の亜麻色の髪がなびき、若草色のドレスの裾が揺れる光景は、どんな宗教画よりも神々しく思われた。
息をするのも忘れて見惚れる俺に、ラウラがこわごわと声をかける。
「あの、イザーク王子。やっぱり今日みたいな格好はお嫌いですか……? 劇場に行くので、普段よりしっかりお洒落してみたのですが……」
落ち込んでしまったようにシュンとうな垂れるラウラを見て、俺はハッと我に返った。
「嫌いだなんて思うものか……! その、あまりに天使……似合っていたから、尊……驚いてしまっただけだ」
……しまった。不意打ちの可愛すぎるラウラに動揺してしまい、明らかにクールとはかけ離れた言動をしてしまった。
ラウラに引かれてしまったのではと心配になって様子をうかがうと、意外にもラウラは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「それならよかったです……! あの、イザーク王子も素敵ですよ」
イザーク王子も素敵ですよ……素敵ですよ……素敵──……。
ラウラからの賛辞が胸の中にこだまする。
(ああ、気合を入れて着飾ってみてよかった……)
出かける前から、『クールながらも優しい俺』作戦は失敗している気がするが、マイナスの印象にはなっていないようなので良しとしよう。
(……まだデートは始まったばかりだ。これから挽回すればいい)
俺はラウラの白くて華奢な手に恭しく触れる。
「ラウラ、今日のエスコートは俺に任せてくれ。楽しいデートにしよう」
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