第20話 イザーク、己を恥じる
ラウラとコンラート・フリードルは、食堂を出ると建物の外に出て、庭園へと向かった。
ひと気のある表の庭園ではなく、あまり人が訪れないような裏庭と呼ばれる庭園だ。
コンラート・フリードルは、そこにラウラを連れ出して、彼女に向き直った。
(なんだ……? こんな場所でおかしなことをするつもりじゃないだろうな)
俺は木陰に身を隠しながら、いつでも飛び出せるように身構える。
(もし奴が少しでも怪しい素振りを見せたら、すぐに殴り倒してやる)
そんな風に息巻いていたのだが、コンラート・フリードルは大切なものに向けるような、優しい眼差しでラウラを真っ直ぐに見つめた。
「……ラウラさん、ここは僕たちが初めて会った場所なんですが、覚えてますか?」
「あ……はい、覚えてます」
「あのとき、ラウラさんは風に飛ばされた書類を拾った後、僕にこう言ってくれました。『お勤めご苦労様です。毎日大変だと思いますけど、頑張ってくださいね』……と」
きょとんとした表情のラウラを見て、コンラート・フリードルがくすりと笑う。
「あなたにとっては、きっと何気ない言葉だったんだと思います。でも、僕にとっては違った。……あのとき、実は色々と悩んでいたんです。見習い騎士から正規の騎士に昇格はしたものの、休日返上で鍛錬してもなかなか剣の実力が上がらなくて……。仕事も剣を使うより、調査や事務を任されることが増えてきて、このままではあっという間に後輩に追い抜かれるんじゃないかと不安でした」
でも、と続けるコンラート・フリードルの目に真剣な光が宿る。
「あなたがくれた優しい言葉と明るい笑顔が、僕の心を覆っていた暗い
コンラート・フリードルが、ラウラのほうへと一歩近づく。
「本当は、ゆっくり友人から距離を縮めていこうと思っていました。でも、今日一緒にお話ししてみて、あなたのように素敵な人は、すぐに捕まえないと他の男に取られてしまうと思って……」
コンラート・フリードルの真っ直ぐな言葉に、ラウラがたじろぐ。
「あ、あの、でも……私はただの平民で、コンラートさんのような貴族の方とは……」
「僕だって、貴族とは言っても末端男爵家の三男です。身分なんて気にしません。そのままのあなたが好きなんです」
「コンラートさん……」
ラウラが頬を染めてうつむく。
「急にこんなことを言われて困るかもしれませんが、僕は本気です。真剣なお付き合いを考えていただけないでしょうか」
(…………)
俺はずっと覗き見ていたラウラとコンラート・フリードルから目を逸らし、木の幹に背を預けて、その場にずるずるとしゃがみ込んだ。
誠実で真摯で、純粋な恋心しか感じない美しい告白。
何の小細工もなく、堂々と向かい合って想いを伝えるコンラート・フリードルの姿は、とても清廉だ。
(……それに引き換え、俺は何をやっているんだ)
国宝まで持ち出して変装し、こそこそと二人の後をつけて、私的な会話を盗み聴きするなど、自分の器の小ささに目眩がする。
コンラート・フリードルは、何の疑いようもない、正真正銘の好青年だ。
彼ならば、ラウラを一生大切に守るだろう。
ラウラからしても、男爵家の三男に嫁げるなら、普通に考えれば非常に幸運で恵まれた話だ。
しかも相手は性格も好ましく、見目もそこそこ良い。
これで断るほうがおかしいだろう。
(……権力を使って囲い込むような男より、よほどいい)
そのうえ今の俺は、ラウラへの気持ちの強さでさえ、彼に負けているような気がしている。
……いや、強さというより自信と言ったほうが正しいだろうか。
俺はラウラに強く惹かれている。
それはもう、彼女を誰にも取られたくないあまりに、こんな愚かなことをしでかすくらいに。
だが一方で、これは魅了魔法のせいで愛おしく思っているだけで、魔法が解ければこの想いも消えてなくなるかもしれないという不安をどうしても拭い去ることができないのだ。
(俺はラウラへのこの気持ちを失いたくないと思っている──……)
しかし、いくらそう願ったところで、ラウラがコンラート・フリードルの告白を受け入れるのであれば、俺の想いは捨て去らなければならない。
王族である俺が命じれば、ラウラを無理やり俺のものにすることは容易い。……正直、ほんの少しだけ考えたこともある。
だが、そんなことをすれば彼女は俺を嫌悪するだろう。
それに、幼少期に辛い思いをした彼女を強制的に支配するような真似など、絶対にしたくはない。
そんなことをするぐらいなら、俺は潔く……は無理だろうが、努力して他の男との幸せを祝福する。
(……だから、もしラウラがコンラート・フリードルとの幸せを望むなら、俺はそれを邪魔しない──)
胸を締めつける苦しさを押し込めるように、ぎゅっと右手を握りしめたとき。
「コンラートさん、そんなに私を想ってくださったなんて、ありがとうございます」
穏やかに礼を伝えるラウラの声が聞こえてきて、俺は自分の心臓が嫌な音を立てるのを感じた。
「私があなたを勇気づけることができたことも、びっくりしましたけど嬉しいです」
「では……」
コンラート・フリードルが逸るように声を漏らす。
だが、ラウラの返事は彼が期待した……そして俺が覚悟したものではなかった。
「でも、ごめんなさい……私はコンラートさんの想いには応えられません」
ラウラが申し訳なさそうに、しかし芯の通った声で断りの言葉を告げる。
「コンラートさんは、今日少しお話しただけでも、すぐに素敵な方だって分かりました。あなたみたいな方とお付き合いできたら、きっと幸せだって。……でも……」
そこから、なかなか言葉を紡げないラウラに、コンラート・フリードルが問いかける。
「……好きな人がいるんですね」
「はい……いえ、好きなのかはまだよく分からないんですけど、最近気づけばその人のことばかり考えてしまって……」
「その方が羨ましいです。あなたにそんな風に意識してもらえるなんて」
「そんなことは……」
恥ずかしそうに声を途切れさせるラウラに、コンラート・フリードルが温かな激励を送る。
「ラウラさんが素敵な恋をできるよう祈ってます。あなたには幸せになってほしいですから」
「コンラートさん……」
「僕は恋人にはなれませんでしたけど、友人くらいならなってもらえますか?」
「もちろんです」
それから二人は照れくさそうに笑い合ったあと、並んで王宮の中へと戻っていった。
ひとり残された俺は、あまりの衝撃に立ち上がることもできず、頭を抱えていた。
(ラウラに、想い人がいる……?)
何ということだろう。
すでにラウラに好きな男がいる可能性など、全く考えていなかった。
王宮に来る前からなのか?
いや、ラウラは「最近」と言っていた。つまり、王宮に来てから気になる男ができたということだろう。
(──どこのどいつだ?)
ラウラの身近な男といえば……デニスか?
だが、ラウラとデニスの様子をいつもそばで見ているが、そんな雰囲気は感じられないような……。
それなら誰が、と考えを巡らせたところで、俺は思い至ってしまった。
(
そうだ、奴しか考えられない。
最低の女好きだが、甘い言葉が得意だし、とにかく顔がいい。
当然、地位と金もあり、女たちが好むものをすべて持っていると言っても過言ではない。
ラウラがそんなものに靡くような女だとは思わないが、以前に兄上がラウラを攫ったとき、奴に何をされたか尋ねたら、ラウラは顔を真っ赤にしていた。
あのときから意識するようになったのかもしれない。
(なぜ、よりによって兄上なんだ……)
選ぶなら、あんな女たらしより絶対にコンラート・フリードルだろう。いや、できれば俺を選んでほしいところだが……。
恋心が思い通りに制御できないことも分かる。身に染みて分かりすぎる。だが、兄上だけは絶対にやめさせたい。
浮気、三角関係、四角関係、嫉妬。ラウラが不幸になる未来しか見えない。
(ラウラ、すまない……)
さっきはラウラの想いは邪魔しないだとか考えていたが、前言撤回だ。
何としてでも、ラウラの兄上への想いを断ち切らせる。
俺は固く決意し、とりあえず用済みとなった国宝の腕輪を返しに宝物庫へと向かうのだった。
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