第19話 イザーク、盗み聞きする

 翌日、またコンラート・フリードルがやって来た。

 休憩時間を見計らって、ラウラが執務室を出たところで声をかけたようだ。


 俺はさりげなく移動してドアを少し開け、壁の絵画を眺めている振りをして聞き耳を立てる。


「ラウラさん、あなたにぜひ御礼がしたいと思っているんです。何か欲しいものはありませんか?」

「ええっ……欲しいものなんて特には……。それに、御礼がしたいと仰ってくださるのは嬉しいですけど、本当にそこまでのことはしていないので……」

「ラウラさんは謙虚ですね。そんなところも素敵です」

「えっ……?」

「……それじゃあ、僕がラウラさんに食堂で昼食をおごるというのはどうですか?」

「えっと、まあ、それくらいなら……」

「よかった! では、ラウラさんの都合のいい日はありますか?」

「あ、私は別にいつでも……」

「明日でもいいですか?」

「は、はい……」

「では、明日の昼休みに迎えに来ますね」

「分かりました。ありがとうございます」

「いえ、楽しみにしています!」



 ……その後、コンラート・フリードルは立ち去り、ラウラはしばらくその場にとどまった後、執務室へと入って来た。


「きゃっ! イザーク王子、こんなところで何を……?」

「……俺はただこの名画を鑑賞していただけだ。俺がここにいては何か不都合だったか?」

「そ、そんなことはないですけど……」


 そう言って、ラウラはそそくさと隣の部屋に行ってしまった。


 俺は作者もタイトルも知らない地味な風景画から視線を外すと、壁をぶん殴りたくなるのを我慢して執務机へと戻った。


 机の上に肘をつき、組んだ両手に顎をのせ、瞑想するかのように目蓋を閉じた後で静かに息を吐く。


(……だめだな。まったく落ち着かない)


 いくら平静を保とうと思っても、どんどん苛立ちが募ってきて抑えがたい。


 そもそも、あの男はラウラが礼は不要だと言っているのにしつこすぎる。

 物を贈る代わりに食堂でおごるというのもあざとい。「贈り物を断ってしまったし、食堂でごはんくらいならいいか」という心理になるのを狙っているとしか思えない。

 さっそく明日というのもせっかちすぎるし、きっとろくな男じゃない。


(ラウラも、あんな男の誘いなんて断ってしまえばいいものを……)


 くそっ、何もかもが気に入らない。


 苛立ちから、ぎりっと奥歯を噛みしめたところで、デニスから声をかけられ、俺は目を開けた。


「イザーク殿下、ご報告がございます」

「何だ?」

「コンラート・フリードルの件です」


 デニスが声を落として答える。


「そうか、ご苦労だった」

「こちらが調査書です」

「うむ」


 デニスからコンラート・フリードルの調査書を受け取り、すばやく目を走らせる。


(一度ラウラに書類を拾ってもらったくらいで、あんな誘いをかけてくるなんて、女たらしに決まっている。兄上みたいに他の女にもちょっかいを出しているに違いない)


 そんなふしだらな男をラウラのそばに近づけてはならない。俺がラウラを守らなくては。


 ……そう思いながら調査書を読んだのに、そこに書かれていたのは俺の予想とは全くの正反対の内容だった。



 ──コンラート・フリードル。19歳。フリードル男爵家の三男。

 17歳で第三騎士団の見習い騎士となり、昨年より騎士に昇格。

 騎士としての実力はまだ発展途上。休日は騎士団の訓練場で剣の鍛錬を欠かさない。

 ギャンブルや酒、女絡みのトラブルはなく、品行方正、真面目な努力家。無遅刻、無欠席。

 婚約者や恋人は無し。仲間の騎士たちと仲が良く、上司からの評価も良い──



(……普通に好青年だな)


 調査書から読み取れるのは、コンラート・フリードルが非の打ち所がない優良物件だということだけだ。

 兄のアロイスとは違い、ラウラに近づけても問題のない人物と思われる。


 ……だが、なぜだろう。

 有害ではないと分かったはずなのに、かえってこの男をラウラから遠ざけたくて仕方ない。


(あの男とラウラの食事の約束は明日か……)


 俺がラウラに上司命令で仕事を頼んでしまえば、一緒に食事に行かせずに済む。

 しかし、それではラウラに負い目ができてしまうし、さっさと「御礼」とやらを終わらせてほしい気持ちもある。


(……今回は仕方ないな)



◇◇◇



 翌日の昼休み。

 ラウラは執務室まで迎えにきたコンラート・フリードルに連れられて、食堂へと行ってしまった。


 俺は何も言わずにそれを見送り、ただ彼女の帰りを待つ──という女々しい真似などするはずもなく、執務机の椅子からおもむろに立ち上がった。

 そして、引き出しから腕輪を取り出す。


 ──これは国宝である『変幻の腕輪』。身につけると、髪や肌、瞳の色を変えることができる。


 そう、これから俺はこの変幻の腕輪で姿を変え、ラウラの様子を見守るつもりなのだ。


 今朝、王宮の宝物庫から引っ張り出してきたこの腕輪を早速はめて念じれば、髪は黒から茶色へ、瞳は赤から緑へと変化した。これで髪型と服装も変えれば、誰も俺とは気づかないだろう。


 俺は全体的に目立たない地味な印象になるよう手早く着替え、急いで食堂へと向かった。




 食堂に着いた俺は、一目でラウラの姿をとらえた。

 俺も適当に定食を注文して、ラウラたちの後を追いかける。


「ラウラさん、あちらの窓際の席に座りましょう」

「はい」


 ラウラたちは窓際の日当たりのいい席に腰を下ろした。

 俺もさりげなく近くの席に座って様子をうかがう。


 ラウラのトレーを見てみると、ハムのステーキにポタージュスープ、チーズと卵のオープンサンド、デザートのハニーケーキが載っていた。なかなかのご馳走だ。


(……ふん、俺だったらもっといいものを食べさせてやるのに)


「このメニュー、ずっと食べたいなぁと思っていたんです。ありがとうございます」

「いえ、そんなに喜んでもらえて嬉しいです。さあ、冷めないうちに食べましょうか」

「そうですね」


 それから二人は食事をしながら、この料理が美味しいだとか、何が好物だとか、趣味はなんだとか、至って健全な会話を楽しんでいた。



「……ごちそうさまでした。こんなに美味しいお料理をおごってくださって、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ御礼を受けてくださってありがとうございました。とても楽しい時間を過ごせました」

「私もです」


 食事を終えた二人が互いに御礼を言い合う。

 そろそろお開きだろう。


(……この程度の交流だったら、心配はいらなかったな)


 どこを聞いても普通の友人同士としか思えない会話だった。

 ラウラに気があるのではと警戒してしまったが、コンラート・フリードルは本当にただ世話になった礼をしたかっただけの好青年だったのかもしれない。


 しかし、そんな風に考えたところで、コンラート・フリードルが思いがけないことを言い出した。


「……まだ時間がありますね。実はラウラさんにお話したいことがあって。もう少し僕に付き合ってくれませんか?」

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