第9話 ラウラ、騙される

 その日の昼下がり。

 ノックの音が聞こえて、私は読んでいた本から顔を上げた。


 ドアのほうに目をやれば、扉の下に手紙が差し込まれている。

 ドレスの手入れで忙しそうなタマラさんを煩わせるのも何だからと思い、私は自分で手紙を拾って検めた。


『さっきは邪魔が入ってしまったので、改めて出かけよう。すぐに遣いの者が迎えに行くから待っていてくれ。──イザーク』


 どうやら、散歩が途中で終わってしまったことを気にしていたらしいイザーク王子からのお誘いだった。


「少し外を歩けただけでも十分だったのに。意外と気遣いができるのね」


 せっかくの厚意を無下にするのもよくない。

 この際、めいっぱいお出かけを楽しませてもらうことにしよう。


「タマラさん……はまだ忙しそうね。書き置きをしておけばいいか」


 タマラさんに、イザーク王子と外出してくると手紙を書き、軽く身支度を整えたところで、ちょうど迎えの人がやって来た。


「ラウラ様、お迎えに上がりました。馬車までご案内します」

「ありがとうございます。今度は馬車で出かけるんですね」

「はい、街までお出かけになるようです」

「わあ、楽しみです!」


 街なんて、謝罪のために王宮へ向かっていたときにスルッと通り過ぎただけだ。

 謝罪が済んだらゆっくりウィンドウショッピングでもして帰ろうかと思っていたのに、うっかり監禁される羽目になってしまったので、まったく観光できていない。


(この機会にいろんなところを見てみたいなぁ)


 初めての王都観光にわくわくしながら歩いていると、あっという間に馬車に到着した。


「殿下はもう少しでいらっしゃいますので、先に馬車に乗ってお待ちください」

「はい、分かりました」


 遣いの人に会釈して、馬車に乗り込む。


「うわぁ、王宮の馬車ってこんな感じなんだ……」


 今まで馬車なんて、平民の足である乗り合い馬車くらいにしか乗ったことがない。

 こんな高級馬車に乗れる日が来るなんて感激だ。


 座席にそっと腰を下ろしてみれば、バネが効いていて、まさに至福の座り心地だった。


「これならお尻も痛くならなそう……!」


 バネの反発が楽しくて、ついビヨンビヨンとお尻を弾ませていると、馬車の扉が開く音と、クスクスという笑い声が聞こえてきた。


「あっ、イザーク王子、これは違うんです……!」


 さすがに今のは子供っぽかったと思って言い訳しようとした私は、扉のほうへ顔を向けて驚いた。


「え……アロイス王子……?」


 なんと、扉を開けたのはイザーク王子ではなくて、アロイス王子だった。


「騙してごめんね。君とデートがしたくて」


 アロイス王子はにっこり笑いながらそんなことを言い、さっと馬車に乗り込んで扉を閉めてしまった。

 それと同時に馬車が動き出してしまったため、私はどこにも逃げられない。


(くっ……あの手紙は偽物だったってことね……!?)


 なんだか高級な封筒と便箋だったし、イザーク王子の筆跡なんて知らないから、まんまと騙されてしまった。く、悔しい……。


(ちゃんとタマラさんに確認すればよかった……イザーク王子にも怒られるだろうな……)


 馬鹿、阿呆、愚か者と罵られる未来を思って憂鬱になる。

 なんとか怒られずに済む方法はないだろうか。

 どこかに起死回生のチャンスは……?


(……そうだわ!)


 どうしても怒られたくない私は、最高の解決策をひらめいてしまった。


 それは『この機会にアロイス王子を魅了する』こと。


 このデート(?)でアロイス王子に色仕掛けして私の虜にできれば、このミスがなかったことになるのでは?


 罠だと分かっていたけれど、仕事のためにわざと誘いに乗ったのだと言い訳できるし、無事に魅了できれば、お仕事完了で前金の返済もチャラになり、さらに成功報酬ももらえるのでは??


(今日の私、冴えてる〜)


 これはもう流れに乗るしかない!


(たしか、『男の気を引くにはボディタッチが大事』ってヴァネサが言ってた気がする)


 ヴァネサは私とは真逆の色気に溢れた美魔女で、男性を虜にする手練手管にそれはもう詳しかった。

 私にはそういうことをあんまり教えてくれなかったけど、特に実践する機会もなかったので別にいいかと思っていた。


 でも、こんな状況になってしまった今では、もっと詳しく聞いておくんだったと悔やまれてならない。

 とりあえず、ヴァネサが酔っ払ったときにポロッと教えてくれた、ボディタッチ作戦で押してみることにする。


 少しずつ何度も触れることで、相手を意識するようになるのだ。

 よろけたフリをして抱きついたり、同じタイミングで物を取ろうとして手が触れ合う……などが鉄板らしい。


 ちょうどタイミングよく馬車が揺れてくれたので、私はよろけたフリをして、向かいの席に座っていたアロイス王子の脚に手を触れる。


「あっ、すみません、私ったら…………えっ?」


 ちょっと脚に触って、また元の席に戻ろうとした私の手をアロイス王子が引き寄せる。


 そのまま隣に座らせられたかと思えば、ぐいっと窓際に体を押し付けられた。

 慣れた手付きで顎を持ち上げられ、アロイス王子の綺麗な顔が近づいてくる。

 今にも鼻先が触れ合いそうだ。


「ラウラちゃん、意外と大胆なんだね」

「いっ、いえ、わたし、おっちょこちょいなもので……」

「ふふっ、気をつけて。またさっきみたいに揺れると危ないよ? 僕の隣に座るといい」


 色気たっぷりの声で囁かれて、頭がくらくらする。

 何とか正気を保ってこくこくと頷けば、アロイス王子は「よかった」と微笑んで私を解放した。


 私は涙目でアロイス王子の隣にちょこんと腰を下ろす。


(アロイス王子、舐めていてすみませんでした……!)


 正直、物腰柔らかそうな人だからと思って見くびっていた。

 ちょっと脚に触れたくらいで、いきなりこんなに距離を詰めてくるなんて……。


 さっき至近距離で見つめられたときの表情も、まるで野うさぎを追い詰める肉食獣のようで本当に怖かった。


(なにが『色仕掛けして私の虜にすれば』よ! 私の馬鹿!)


 こんな歴戦の猛者みたいな上級の女好き、まさに魔法でも使わない限り、私がどうこうできる訳がない。


 イザーク王子の思い込みは解けないし、アロイス王子を魅了することも出来なさそうだし、私は一体どうすればいいのか……。


(完全に詰んだ……)


 馬車の窓から見える賑やかな景色を、私は負けを悟った敗者の眼差しで眺めるのだった。

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