第4話 貧しさが貯める幸運:大根の梅和え

 冷たい冬の風が街を吹き抜ける夕方、誠は一人でとぼとぼと歩いていた。薄手のコートでは寒さを防ぎきれず、彼の心も体も凍えるようだった。


 「なんで俺ばっかり、こんなに不運なんだ……」


 幼い頃は裕福だった家庭も、父の事業失敗で一変。今ではアルバイトを掛け持ちしながら細々と生活している。夢を追う気力もなく、ただ日々をこなすだけ。


 そんな時、ふと目に留まったのは、見慣れない古びた看板だった。「心の食堂」と書かれている。吸い寄せられるように扉を開けた彼を迎えたのは、柔らかな笑みを浮かべる料理人テルだった。


 「寒かったでしょう。どうぞ中へ。」

 テルの声に誘われるまま、誠は温かいカウンター席に腰を下ろした。


 「今日はどんな悩みを抱えていらっしゃいますか?」

 その言葉に、誠の心がざわつく。気づけば自分の口から、不満や後悔が次々と溢れ出していた。


 「俺、子どもの頃は結構いい家に住んでたんです。でも、いまはこんな状況で……なんで俺だけこんな目に遭うんだろうって思って……」


 テルは黙って頷くと、優しい声で言った。

 「貧しい時期は、運を貯める大切な時期なんです。今日はそれを感じられる料理を作りましょう。大根の梅和えです。」




 テルはまず、白く輝く大根を取り出した。それを薄く切り始めながら、言葉を続ける。


 「誠さん、お金に困った経験がある人ほど、将来大きな運を掴むことができるんですよ。」

 「そんなこと、あるんですか?」誠は少しだけ興味を持ったように尋ねる。


 「ええ。子どもの頃に苦労した人は、お金に対する真剣さや工夫を自然と身につけるんです。逆に、裕福な環境では、リスクへの耐性やお金の大切さを学ぶ機会が少なくなることもあります。」


 テルは塩を振った大根を手で揉みながら続けた。

 「例えば、辛い経験が多いほど、挑戦を恐れなくなる。その勇気こそが金運を引き寄せるんです。」


 誠はその言葉に思い当たる節があった。子どもの頃に家計が苦しくなってから、無駄遣いを避ける工夫を学び、アルバイトでは細かい管理能力が身についた。




 次にテルは梅干しを取り出し、その果肉を丁寧に叩いてペースト状にしていく。


 「この梅干し、少し酸っぱくて刺激が強いですよね。でも、それが胃腸を整えてくれるんです。」

 「酸っぱさが、助けになるんですか?」誠は不思議そうに首をかしげた。


 「ええ。人間も同じです。困難や苦しみがあるからこそ、内側の強さが鍛えられるんですよ。」


 テルの言葉に、誠は心を揺さぶられる。自分がこれまで「不運」と思っていた経験も、もしかすると自分の力を蓄えてきた過程なのかもしれない。


 「もしかしたら、俺も……?」


 「もちろんです。」テルは笑顔を浮かべる。「貧しい時期に貯めた運は、これからの人生を豊かにしてくれますよ。」




 料理が完成し、テルは器に盛り付けた大根の梅和えを誠の前に差し出した。

 白く透き通る大根に、淡い赤の梅ペーストが絡み、香ばしいごま油の香りが漂う。


 「さあ、どうぞ。」


 誠は一口食べる。さっぱりとした大根の食感と、梅の酸味、ごま油のコクが絶妙に絡み合い、口の中で広がる。


 「……おいしい。」


 その一言に、テルは頷く。

 「この料理のように、苦い経験にも必ず甘さや豊かさが潜んでいます。それに気づくかどうかは、自分次第なんですよ。」


 誠は一皿をゆっくりと味わいながら、自分の過去を振り返った。家族の支えがなくなり、一人で生きてきた苦労。それでも、そこで学んだ節約術や対人スキルが、今の自分を支えている。




 食事を終えた誠の表情は、来店時とはまるで違っていた。


 「今日、少しだけ前向きになれた気がします。俺の経験も、無駄じゃなかったのかもしれない。」

 「その通りです。すべての経験が、あなたの運を形作っています。」


 誠は笑顔で店を出ていった。その後ろ姿を見送りながら、テルは小さく呟く。

 「運は貯まるもの。そして、それに気づいた人だけが、本当の豊かさにたどり着ける。」

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