第2話 蓮の実に託すもの
霧のかかった夜、ひとりの女性がふらりと街を歩いていた。美緒は数年前、家族の保証人になったことで多額の借金を背負い、今はその返済に追われる日々を送っている。
「……疲れた」
歩き続ける中で見つけたのは、「心の食堂」という小さな店。何かに引き寄せられるようにドアを開けると、柔らかな光に包まれた店内と、カウンター越しに立つ料理人・テルの姿があった。
「お疲れさん。何か温かいものでもどう?」
彼の声には不思議な安心感があり、美緒は無意識のうちにカウンターに座っていた。
美緒が無言でうつむいていると、テルは静かに問いかける。
「ずいぶん重いものを背負ってるね。話してみない?」
最初はためらっていた美緒だったが、テルの落ち着いた態度に促され、少しずつ自分の状況を話し始める。家族を守るために始まった借金生活、夢も希望も薄れていく日々、そして「自分なんか」という自己否定の念。
テルは彼女の話を黙って聞き終えた後、穏やかに微笑む。
「そんな君にぴったりの一杯を作るよ。蓮の実ジャスミンティーって知ってる?」
彼は鍋に水を張り、蓮の実とジャスミンティーの葉を取り出す。その手際は優雅で、まるで魔法を使っているかのようだった。
「蓮の実はね、心を落ち着け、不眠を癒してくれる力があるんだ。そしてジャスミンティーは、霧の中で隠れていた光を見つける手助けをしてくれる」
美緒は不思議そうな顔をしながらも、どこか期待していた。
出来上がった蓮の実ジャスミンティーを一口飲むと、美緒はふと懐かしい香りに包まれる。同時に、心の奥深くに眠っていた記憶が次々と蘇った。
それは、家族と過ごした穏やかな日々。借金の原因となった事故の後、必死に働く中で失われていった笑顔――そして、いつの間にか自分を責めるようになった心の声。
涙が頬を伝う美緒に、テルは優しく語りかける。
「お金はね、人を縛ることもあれば、自由にすることもある。でも、心を縛るのはいつだって自分自身だ」
美緒はその言葉にハッとする。自分が苦しんでいるのは借金そのものではなく、「自分には価値がない」という思い込みだったのではないか、と気づく。
テルは美緒に蓮の実ジャスミンティーをもう一杯差し出しながら言う。
「心の霧を晴らすには、まずその霧の正体を知ることだ。君の中にある一番の恐れは何だろう?」
美緒は深く考える。そして、自分が最も恐れているのは「誰からも必要とされなくなること」だと気づく。テルは静かに頷きながら、料理をし続ける。
「必要とされたいのは、君が誰かを大事に思う気持ちがあるからだよ。それなら、その気持ちを大事にしてあげればいい」
美緒は蓮の実を一粒手に取り、それを見つめる。「家族のために借金をしたことを後悔してはいけない」と、自分自身に言い聞かせるようだった。
蓮の実ジャスミンティーを飲み干した美緒の表情は、来店時とは別人のように晴れやかだった。
「テルさん、ありがとう。この味を忘れません」
店を出ると、霧が少し晴れた街並みが目に入った。美緒は静かに、しかし力強く前を向いて歩き出す。
テルはカウンターの向こうで蓮の実を片付けながら、微笑んで呟いた。
「蓮の実に願いを託した君が、また笑顔になれますように」
料理が語る、お金と心の本当の物語 からだ @panndamann74
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