料理が語る、お金と心の本当の物語

第1話 お金の価値を問うパスタ

　雨がしとしと降る夜。心の食堂の扉がゆっくりと開き、疲れ切った中年の男が顔を出した。

「すみません、ここ……やってますか？」

　その男、健一は仕事に追われる毎日を過ごし、過剰なストレスと自己嫌悪で疲れ果てていた。最近、職場で昇進を逃したこともあり、必要以上にお金に執着するようになっていた。

　「今日は何か温かいものでもどう？」テルは穏やかに微笑む。

　健一は戸惑いながらもカウンターに座ると、ポツリとつぶやいた。

「どうして、こんなにお金が足りないんでしょうね……」

　テルは健一のつぶやきに耳を傾けながら、冷蔵庫から小松菜と豚肉を取り出す。

　「お金って確かに重要だけど、それだけが人生じゃないだろう？」

　健一はため息をつきながら答える。

　「でも、世の中って結局お金じゃないですか。家族も守れないし、自分の価値だってお金で決まるんですよ」

　その言葉に、テルは手を止めて言った。

　「じゃあ、聞いてみるけど……君が本当に欲しいのは、お金そのもの？ それともお金で得られる何か？」

　健一は答えに詰まる。テルは微笑みながら、料理の準備を続けた。

　「今日の料理は、小松菜と豚肉の胡麻パスタだよ。この小松菜は、若さと美しさの象徴と言われているんだ。お金で手に入れたものが全てじゃないこと、少しでも感じてもらえたら嬉しいな」

　テルの手際の良い調理風景は、どこか魔法のようだった。

　「まず、小松菜をざく切りにして、豚肉には下味をつける。これが大事なんだよ。下味は、料理の基礎みたいなものだからね」

　鍋でパスタを茹でる音や、フライパンで豚肉が焼ける香ばしい匂いが店内に広がる。健一はその音や匂いに心を癒されていくのを感じていた。

　「胡麻はね、記憶を呼び覚ますと言われているスパイスなんだ」テルは黒胡麻を振りかけながら言った。

　「君の中にも、本当に大切にしたい記憶があるはずだ。それを思い出してみるといいよ」

　料理が完成する頃には、健一の心にも少しずつ変化が生まれていた。

　健一は一口パスタを口に運ぶ。その瞬間、懐かしい感覚が彼を包み込んだ。それは、若い頃に家族と一緒に食卓を囲んでいた記憶。お金の心配など何もなく、ただ笑顔で過ごしていた日々。

　「そういえば……昔はお金がなくても、家族で楽しく過ごせていましたね」健一はポツリと言った。

　テルは頷きながら答える。

　「お金は道具に過ぎない。大切なのは、その道具をどう使うかだろう？」

　健一は、今までお金にばかり目を向けていた自分を反省し、何か大切なことを見失っていたと気づく。

　食べ終わった健一の顔には、訪れた時の疲れ切った表情はもうなかった。

　「ありがとうございます。少し前を向けそうです」

　テルは静かに微笑む。

　「今日の小松菜は、君が本当に大切なものに気づくための手助けをしてくれたんだよ。お金に振り回されず、自分の心を信じて進めばいい」

　店を出た健一は、心の中に小さな光が灯ったような気持ちだった。そしてテルはまた次の客を迎える準備を始める。