第12話 夢じゃない

 放課後。

(結局、今日も一日、小玉ツクモに声かけられなかったな……)


 ぬるりとした風の中、コマチはため息をついて図書室の一番奥の閲覧席の机の上に、縦横厚さ400✕300✕50ミリメートルのずっしりと重い黒い表紙の特大本をゆっくりと置いた。ハンカチで顔の汗を拭いて椅子に座りぼんやり黒い本を見つめる。


(アレがただの夢で、コダマツクモとは何の関係もなかったら私、頭オカシイ人みたいじゃない? 一体どう話したら……。


 いや、そもそも。


 話したこともない人に自分から話しかけるのとか無理だし。あの夢の中では、何故かあんなにハキハキ話せたけど。どうしてだろ? そう言えば小玉くんも性格が何か違った気がする。


 やっぱり夢だから? ものすごくリアルな感触の夢だったけど……)


 コマチは頭を振る。色素の薄くなった三つ編みが揺れる。


 目の前の本には『THE BLACK SKETCH』とタイトルが書かれてある。著者はDr.М.Meier。


 コマチは特大本の表紙を見ながら昨夜のことを再び反芻した。


(夢だったとしても。

 私はもう、消えたいなんて気楽に言えなくなってしまった。

 死ぬのがあんなに怖いなんて。


 自分があんなにも生にしがみつくなんて思いもしなかった……)


 コマチは表紙をめくり本の文字列に視線を落とす。



−−−−− 



 ■完全なる分が完全なる一となり百となる。


 九十九なる分は百に値せず。


 完全なる一は完全なる分の『間』より生ずる。



 −−−−−



 ツクモは図書室に入ると、壁に沿って一番奥へ進み、棚に並んだ本をざっと見渡した。


(ねえな……。師匠も留守だし、久しぶりにあの本を読みたかったんだけどなあ。やっぱ一人は心細いと言うか……)


 肩を落とし、ふと横を向くと、窓際の閲覧席に黒い本が。ツクモはそちらへ歩き出した。

 しかし本の表紙をめくる手に気づいてツクモはキュッと立ち止まった。

 コマチは上靴の音に顔を上げる。

 目が合いツクモは一歩後ろへ下がった。


「あ……! (コダマツクモ?! どうしよ? 昨日、夢に小玉くんが出てきて……って、やっぱり話せないよ、こんなこと)」

 コマチは三つ編みを指先で弄りながら視線を彷徨わせる。


 ツクモはコマチの髪を見て、ふと思い出したように下唇を人差し指で押さえた。

ああ・・あの、一野、赤い本も、もしかして……読んだ?」


 コマチは髪からぱっと手を離し、ツクモの顔を見た。机の下の膝の上で右手で左手を握りしめ、ぎこちない笑顔で頷いた。


「……うん」


そっか……」


 沈黙。


かか・・髪の毛……」


「えっ」


いい・・いや……、髪の毛、悪かったな」


「えっ!?」コマチは立ち上がった。「昨日の夢、夢じゃないの? 小玉くん、あの時のこと覚えてる?!」


「えっ、……えーと、ええあ・・・……あんまり覚えてねえよっ。ちょっと寒そうな服だったとか」

 ツクモは口を手で覆った。顔が徐々に赤くなっていった。


「う……」

 コマチは気まずくなり、汗ばむ額を手の甲で押さえた。 


「あ……、そそ・・その本……借りたかったんだが……」

 ツクモは顔を背けながら横目で黒い本に視線を投げ指さした。


「あ……、はい」

 コマチは表紙を閉じてツクモの方へ本を押した。


「ありがとう」

 ツクモはニコリと笑い大事そうに本を抱え受付へと体を捻った。


「あ、待って! 小玉くん、アレって……夢じゃないんだよね……?」


 ツクモはコマチの声に振り返ると数回まばたき、半分首を傾げるように二回頷いた。


「小玉くんは、どうしてあの場所へ行ってるの?」


 ツクモはコマチを見つめた。

「俺は――」


 ガチャン ガチャン


「失礼します。お世話になりまーす」 

 脚立を担いた作業服の職人と教員一人が図書室へ入ってきた。

 教員は「突然で申し訳ないけど、これからエアコンの修理のために少し天井見てもらうから」と図書委員に話している。

 

また、異界で会えたら、その時、はは・・話す」

 ツクモは本を抱えて大股で受付へ向かった。

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