陰陽始末~出世のためなら鬼、斬ります。~

花村すたじお

序 ある法師の死

 平安の京で暮らす貴人で、呪詛を恐れぬ人はいまい。


 刀や矢を使わずとも、身体能力に特別優れた若者でなくとも、どんなに厳重に警護されている貴人であろうと呪詛ならば傷つけることができる。

 病気にしたり、命を奪ったり、子孫が絶えるように呪うことさえ可能だ。

 誰にも気づかれぬまま静かに他人の命を脅かす陰陽師の呪詛。

 天皇に仕える官人の陰陽師には呪詛を固く禁じ、呪詛そのものを重大犯罪とみなしながらも、貴族たちは民間の法師陰陽師などを私的に雇って禊祓(みそぎはらえ)をさせ、自身の穢れを清め、密かに政敵への呪詛まで依頼することもあった。

 貴族たちは陰陽師の呪い、清める力を利用する一方、自分が呪われたり、日々の罪業による穢れが蓄積して不幸に見舞われるのを常に恐れていた。


 罪業の蓄積を恐れたのは、天下を治める天皇も同じだった。

 天災や政争、騒乱が発生するのは天皇の不徳に原因があるとされる。天皇は自分の罪業の報いが降りかかることを未然に防ぐため、仏教思想で言う慈悲の心で罪人や貧民を救済しようとした。税の減免、福祉政策、恩赦、経典の転読などと同様に、なるべく死刑ではなく流刑に留めることが天皇の徳を示すことになると考えられたのだ。

 なにせ死刑は甚大な穢れを生む。

 穢れとは不浄のことであり、神や天皇の身に及ぼしてはならないが、人から人、場から人、モノから人へ伝染しうるため一度生じてしまうと厄介な代物である。本来はそもそも発生しないようにするのが望ましい。


 しかし、全く死刑を行わないというわけにもいかない。


 朝廷を揺るがす反乱が起こったときは、続く者が出ないように見せしめにする必要があった。

 貴人を狙った呪詛が確認された場合も同様だ。

 加えて、呪詛は実に多様な方法があり、物理的な制約を受けないものもある。たとえ術者本人が流刑に処されて遠くにいても安心はできない。

 呪詛によって相手の心身に害をなすこと自体重罪であるし、呪詛を受けた者の命を守り、今後さらなる被害者を出さないためにも、死穢(しえ)が生じようがとにかく術者は殺しておかねば枕を高くして眠れない、というのが明日は我が身と恐れる貴族たちの結論だった。


 ある日の六条河原にて、身分の上下に関係なく大勢の見物客が見守る中、現蔵人頭(くろうどのとう)――天皇の秘書にあたる役職で、出世が確約されたも同然だった――をある貴族の依頼により呪詛した咎でひとりの法師陰陽師が引き出されてきた。

 彼は税を逃れるために法師の服装をしているだけで、死を前にして唱える念仏はつたないものだった。

 処刑を執行するのは京の警察、検非違使である。尉(じょう)の役職にある橘経仲(たちばなのつねなか)という熊のような大男だ。

 曇天の下、河原を吹き渡る不気味な風に白い狩衣(かりぎぬ)がなびき、その下に着込んでいる紅の単衣(ひとえ)の色が際立つ。部下で検非違使庁の下級職員、看督長(かどのおさ)も立派な赤狩衣をまとい、そのそばに控えている。

 罪人の両脇を固めているのは放免(ほうめん)と呼ばれる元囚人だ。彼らは穢れの矢面に立つ検非違使の手下で、太刀に手をかけて今にも首を斬ろうとしている。


 清原尽時(きよはらのじんじ)も今年拝命したばかりの検非違使であり、経仲は彼の上司である。

 押し合いへし合いする見物客を整理しながらつまらなそうに上司の晴れ舞台を横目で見る。

(けっ。羽振りがよくてよろしいことで)

 見せしめとしての処刑は、執行人の検非違使にとってはまさにハレの場だ。

 検非違使は天皇の威光と密接に結びついている宣旨職で、容貌、体格、身なりを見栄え良く整える財力がなければ笑いものにされる。

 経仲の場合、一昨年の反乱軍鎮圧で勇名を馳せたため主上の覚えがめでたく、たびたび甘い汁を吸っている。だからこれだけの盛装ができるし、下手をすれば主上の徳に影響しかねない処刑人という大役を立派に遂行したことで彼の名声はさらに広まるだろう。

 死穢をもろに食らっても役得が勝るのだから、経仲はいいご身分である。

(あ~カネ~……カネカネカネカネ……カネさえあったらなあ……)

 法師陰陽師の下手な念仏ではないが、尽時の頭にはその二文字がぐるぐる回り続けていた。

 カネのない検非違使なんて美味しいところは処刑人に持って行かれて、憎まれ役の交通整理のあとは斬られた首を検非違使庁に持ち帰り、残りの遺骸を近親者に引き渡すという最悪の仕事が待っている。

 処刑人でもないのに死穢の直撃を食らう尽時には、何の得もない。

(……やってらんねーぜ、木っ端検非違使なんてよぉ……)

 罪人の名が読み上げられれば、ついに斬首のときだ。

 経仲が命令を発し、興奮の頂点に達した民衆のがなり声におぞましい骨肉を断つ音はかき消されて、だくだくと流れ出した真っ赤な血は砂利の下まで染みこんでいった。

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