第3話
「表向きは児童養護施設として、裏では抗体を持つ子ども達から血液を抜き取り解毒薬を作ればいい。そうやって生まれたのがあの施設なんだよ」
「……嘘」
沙羅が自らの腕をさすりながら、そう呟いた。物心ついた時から何度も採取されてきたその傷口を消し去ろうとするように。私はそれをみながら施設の職員が放った言葉を思い出していた。
──何考えてるんですか? あれ以上やってたら……この子は死んでましたよ。この子は
沙羅が連れて行かれた日に、職員が三島に放った言葉だ。
──齢四歳にして血液中に強い抗体反応あり、よって大城新菜を
三島の部屋で盗みみたファイルには確かそう書かれていた。名前の端にαという文字がつくのは私と湊だけ。偶然にも私達は雪が降っても記憶を失わない。もしそのギリシャ文字が抗体反応の優劣によって分けられていたのだとしたら。そう考えると全身の毛穴が泡立った。
「分かったか? あの花さえ無ければ、こんな悪魔の所業が行われることも無くなる。いや、穴だ。あの花そのものを別の世界から運んできたあの穴が無ければいい。だから、もしあれば別の次元へと通じる扉なのだとしたら、何としてもその扉を閉じなくちゃならない」
「いつ知ったの」
聞きながらずっと疑問に思っていた事だった。
「いつって」
「だからその施設の成り立ちとかだよ。いや、いつでもいいや。どうしてもっと早く助けにきてくれなかったの?」
「すまない。お前達には本当に申し訳なく思ってる」
父が深々と頭を下げてはくれてはいたが、そんなことで私の気は晴れなかった。どんな理由があれ、たとえ施設がそんな場所だと知らなかったのだとしても私を捨てたのは事実だ。頭を下げられたくらいで気が晴れる訳がない。沙羅も湊も神妙な面持ちで父をみてる。恐らく私と同じ気持ちなのだろう。
「俺が知ったのは、ひと月程前だ。もうここまできてしまえば正直に言うが、俺はもう死のうとしていたんだ。妻に我が子を思い出してもらう為にと十五年もかけて研究してきたことが、あの穴をみて全て無駄だと分かった。俺にはもう……どうすることも出来ないと思って自暴自棄になってた。だが、そんな時にある女性から電話があった」
それから話してくれたことは、その女性は父が雪忘花の研究をしていることを知り、あるジャーナリストが同席の下会うことになったということだった。小さな喫茶店の中で、ジャーナリストに「これを読んで下さい」と紙の束を渡された。それは、篠原貴一の研究日誌をみつけてしまい罪悪感に駆られた遺族がそのジャーナリストに預けた代物だったそうだ。
「あの穴を何としても塞がなくちゃならない」
目の奥に強い光を宿しながら父が言った。
「でも、どうやって?」
「こいつを使う」と父は鞄から何やら長方形の機械を取り出した。それには赤や黄色のコードが無数に繋がっていた。
「なにそれ」
「手製の爆弾みたいなものだな。半径二〜三メートルくらいのものなら木っ端微塵にするくらいの威力は持ってる。まあ、この世界のものですらないあれにこんなものが意味をなすのかどうか分からないけどな」
首を捻りながら父が言う。確かにその通りだ。あの穴は全てを呑み込むと聞いた。その爆弾事呑み込まれたらなんの意味もない。海を燃やそうとしてマッチ棒を投げ入れるようなものだろう。でも、と思う。どんな結果になろうとも、何もしないよりはましだろう。そう意気込んで、立ち上がった。その時だった。
「それをや」
言い終える前に「新奈っ!!!」と叫ぶ沙羅の鋭い声に遮られた。気付いた時には私の前には沙羅が立っており、目があった。その目の中で宝玉のように輝く綺麗な瞳が、金属が破裂するような音と共に大きく揺れる。瞬間、私の顔や服に生ぬるい何かがしぶきをあげてかかり、沙羅はぷつりと糸を切られた人形のように倒れた。何が起きたのかわからなかった。ぼやけた頭のまま手で顔を拭い、目の高さまで待ち上げた。赤い。赤かった。
「なに、これ」
その真紅に染まった指の隙間から目の前のガラスには小さな丸い穴が空いてるのがみえた。そこを起点として大きな亀裂が入っている。その窓の向こうに、小さく人影がみえた。三島だ。何故か、それだけは分かった。銃を構えている。その瞬間、やっと理解した。沙羅は撃たれたのだと。
「いやゃゃぁぁぁ、沙羅っ! 沙羅!」
「新奈! 頭を下げろ」
私はその声と共に湊に突き飛ばされていた。次いで、鼓膜に切り裂くような銃声とガラスが粉々に砕け散る音が鼓膜に触れる。床に打ち付けられた衝撃で右の肩が痛い。でも、そんなことはもうどうでもいい。私はすぐさま身体を起こし、這うようにして沙羅の元へと向かった。沙羅はうつ伏せに倒れており、左肩の辺りが真っ赤に染まっている。その身に纏っている白い服が、少しずつ赤に侵されていく。
「沙羅っ、沙羅。いやっ、駄目」
「……にい、な」
身体を抱きしめると、うっすらと目を開けた沙羅が消え入るような声で呟いた。訳も分からず傷口を抑えた。残されていた私の白い肌が、一瞬にして真っ赤に染まっていく。
「駄目。嫌、こんなの、とまれっ! とまれっとまってよ」
指の隙間から次々と溢れ出てくるそれに向かって叫び続けた。再び金属が破裂するような音が聴こえたと認識した時には、頭よりも少し上の壁が粉々に砕け散り、木片の雨が降ってきた。地に落ちていくそれらの欠片が、時の流れ方が変わってしまったかのようにゆっくりと落ちていく。
────ほんとむかつくんだけど! 女が女と付き合ったら駄目って誰が決めたの? ってか私達のこと病気とか言ってたよね? そんな病気があるなら病名を教えて欲しいんだけど。新奈、気にしなくていいからね。あんなの勝手に言わせといて相手にしなかったらいいよ。
「なんで」
指の間から染み出てくる血の海を、虚無に沈みかけた目でみつめた。
──今日みたいに雪が降っちゃうとさ、私は明日になったら全部忘れちゃうでしょ? だから、その日に起きた覚えておきたい出来事とか私が新奈に言ったこと、言われたことを、全部そのメモ帳に書いておくの。
「こんな、駄目だよ」
無意識に呟きながら、どうして私は今この瞬間に沙羅との思い出を思い出しているのかわからなかった。
──新奈、愛してる。
「いやっ、いやゃぁぁぁぁ」
泣き叫びながら、天を仰いだ。
「新奈!」
肩を掴まれた。それから揺すられる。
「まだ死んでないっ、沙羅は……生きてる。だから、ここから逃げるぞ」
視界が滲んでる。けれど、湊がぐしゃぐしゃに顔を歪ませながら泣いているのが分かった。私の肩に添えられた手が大きく震えてる。
「お前達、伏せてろよ!」
空気を切り裂くような父の声が鼓膜に触れてから程なくして、内蔵にまで驚くほどの爆発音がした。強烈な風と振動に身体が大きく揺らいだ。硝煙の香りが鼻につき、煙が目に染みる。窓の向こうが煙に覆われており、木々が所々からその姿をのぞかせている。
「……爆発物ですか、おもしろい。一つアドバイスがあります。発信機を切るのであれば、これからは信号が消滅させた場所に留まるのは辞めた方がいい」
普段の抑揚のない声からは想像も出来ない三島の張り上げた声がその煙の中から聴こえた。
「あといくつあるんですか?獣との命のやり取りを思い出します。いや、それ以上だ」
乾いた笑い声が、雪原に響き渡る。割れた窓の隙間から三島の姿を覗こうと頭をあげたその瞬間、湊に身体を抑えられた。銃弾が打ち込まれたのはそのすぐ後だった。
「楽しみましょうよ、私は一人です。ついさっき上の人間から連絡がありました。この一年の間の施設からの脱走者の数は目に余るそうです。情報漏洩を恐れた上の人間は、私を処分するそうですよ。私は……この研究に生涯を捧げてきたというのに、こんなのあんまりだ!」
銃弾が打ち込まれる。その度に頭の中で耳鳴りがし、私は泣きながら歯を噛み締めた。
「全ては、葉山凜花」
銃弾が打ち込まれる。
「木島愛莉、湯原亮太、佐藤沙羅、大城湊」
木片の雨が飛び散り、私は湊と共に沙羅の身体に覆い被さった。父は窓枠の下に身を潜めながら、誰かに電話をかけている。
「そして、大城新奈っ! お前達のせいだっ」
金属の破裂音。それが鼓膜に触れるより少し前に壁が飛び散る。身体中が木片にまみれていた。頭の中で鳴り響く耳鳴りの音に混じって、片栗粉を踏みつけたような音が鼓膜に触れた。きっと三島の足音だ。雪を踏みしめたのだろう。近い。そう思ったその瞬間、「湊ーー! 皆を連れて逃げろっ!」と父が血走った目でこちらをみていた。その目がぐるりと上を向き、既にガラスはほとんど飛び散った窓枠からお父さんが飛び出していった。あまりにも一瞬の出来事に、私達は誰一人として身体を動かすことが出来なかった。銃声が鳴った。聞いたこともないような男性のうめき声が鼓膜に触れた。父がどうなったのかは分からない。ただ、静かだった。
「新奈、逃げろ」
耳元でそう呟かれた時には、湊は走り出していた。唸り声をあげ大きく腕を振りあげ向かったその背中に、待って、という私の声は届かなかった。それは当然だ。私は胸の中でそう叫んだだけで、声には乗せていない。私は湊に背を向けた。咄嗟の判断だった。もしここでまた身体を動かすことすら出来なかったら、私は湊の想いすらも無駄にしてしまう。その考えが頭に思い浮かんだ時には身体が勝手に動いていた。沙羅の身体を無理やり起こし、引きずるようにして家を出た。目の前の道は開けている。こっちは駄目だと、家のすぐ真横の斜面から山の中に入っていくことにした。
「にい、な。痛い。さむいよ」
沙羅は意識が朦朧としており目は虚ろだ。だが、自分の足で立ってくれた。私は沙羅の身体を肩で支え、もう片方の手で木々を掴み、必死に駆け上がった。枝や葉で手や肌は擦り切れ、身体中が痛い。
「沙羅、頑張ってね。絶対に助けるから」
それでも声をかけ続ける。息を吸い込む度に肺がきりきりと痛み、荒ぶった息を吐き出すと空に白い靄がかかった。
「にい、な」
耳元で、消え入るような声がする。草木が擦れる音の方が大きいくらいだ。
「大丈夫。大丈夫だから」
言ったそばから雪に足を取られ、足を滑らせた。咄嗟に沙羅の身体を支える。
「私を、おいてって」
「置いてかないよ」
「お、いてって」
「駄目っ! 沙羅、そんなこともう二度と言わないで。絶対、絶対に見捨てないから」
木々を掴み、斜面を登り続ける。時折、顎先から滴が垂れて、そうか私は泣いているのかと思い出す。いつから泣いているのか分からない。とにかく今は少しでも三島から離れなければならない。私と沙羅の為に、湊と父は時間を稼いでくれた。だから、だから、と必死に足を動かした。遠くの方で銃声が聴こえた。最初は一発。それから少し遅れてもう一発。途端に目の淵から涙が溢れたが、私は振り返らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます