第8話
全てを聞き終えてから、室内を満たしていた全員の息遣いが波を打つように大きくなって聴こえた。
──全てを終わらせにきた。
その言葉の持つ意味を、その内容を知った私達は全員が言葉を失っていたのだ。
「嘘でしょ……だって、あの花は子供の頃から当たり前に」
途切れ途切れになりながらも必死に言葉を紡ぎ、その沈黙を破ったのは沙羅だった。未だに口元を手で抑えたまま、目を開いている。衝撃を隠せないといった様子で、恐らく私も同じような表情をしているのではないだろうか。けれど、気付いた時には手を握りしめていた。まるで、家族を殺され復讐を誓い続けてきた相手が見当違いだと分かり、本当に復讐を果たすべき相手は一番身近にいたかのような強い憤りを感じた。物心ついた頃から私を孤独にし、世界から断絶してきたもの。それは、雪では無かったのだ。
「この村で生きる人間は雪が降ると記憶を無くす。俺はそのある種呪いのようなものを解く為に村を出て、それから十五年に渡り独学で研究してきた」
お父さんは私達に視線を配らせながらそう言って話し始めた。愛する妻に我が子の顔を思い出してもらう為。その一心でこの村の人間が記憶を無くす原因を調べ始めた結果、手掛かりはすぐにみつかった。この村の土地や気候、それから緯度経度、村に伝わる風習などありとあらゆる情報に目を通した結果、この村にはあって他の場所にはないものが一つだけあったのだ。それは雪が降る日にだけ花を咲かせる
大量の花粉を雪に付着させることで受粉させる為に、限られた気象条件でしか子孫を繁栄させることが出来ない水縹草は、通常の植物の何百倍もの花粉を発することが分かった。そして通常の花粉の大きさが20から40
「俺には自然免疫があり、俺の子である新奈と湊には遺伝でその免疫が保持されたのかもしれない。だが、それだけでは説明がつかない事もある。これはきっと、俺たちには想像もつかない力が働いてるんだ。何か大きな力が」
そこまで言って、父は顔をしかめながら首を横に振った。
「いや、この話は後でいいか。それよりも先にこの村で起きている呪いのような現象が起きている理由を話すよ」
父と目があった。
「いいか、人間の記憶はまず脳の中にある海馬と呼ばれる部分に保存される。たとえば今この瞬間の記憶は、古びた家の中で、俺が、記憶にまつわる話をしたというような、いつどこで誰が何をしたかという情報が視覚や聴覚や味覚それから触覚や嗅覚、心の動きと共に映像としてある種のデータのような形でそこに保存される。だが、海馬に収めることが出来る容量には限りがある。湊、昨日目が覚めてから眠りにつくまでに見たもの、触れたもの、感じたことを、細部に至るまで全て話してくれ。出来れば日記のような感じではなく、一秒事で頼む」
父がそう問い掛けると、「はあ? そんなの覚えてる訳ねぇだろ」と湊が声を荒げる。そんな湊をみて父は口元の両端を持ち上げた。
「そうだ。覚えてる訳がないんだ。人間は五感全てでこの世界を感じ取りながら、日々膨大なデータを脳内で処理している。全てを記憶として残してしまうとパンクしてしまうからだ。勿論、そのデータが必要か不必要かという仕分け作業は瞬間瞬間でも行ってはいるが、それだけでは処理が追いつかない。だから人間は毎日眠ることで記憶を処理し、必要だと判断されたものだけを圧縮し脳の
「こいつが空気中に振りまく花粉はその過程の邪魔をする。人間が膨大なデータを処理する為に睡眠は必要不可欠だということは言ったな?」
全員が息を呑んで頷いた。
「レム睡眠とノンレム睡眠。この二つを波を打つように繰り返しながら俺たちは眠り、それによりデータの処理をする。レム睡眠の間に海馬と呼ばれる一種の記憶の箱のようなものから脳内にある神経細胞が記憶の処理をする訳だが、水縹草はその神経活動を飛躍的に活性化させるんだ。それは、本来大脳皮質に送られるはずだった必要と判断された記憶すらも処理されてしまうことを意味する。雪が降る日、あの花は嘘みたいに綺麗な水色の花弁を開き、花粉を空気中にまき散らす。俺たちはそれを酸素と一緒に吸い込み、血液中をその花粉が駆け巡る。そして、その身体の主がレム睡眠に入り特定の脳波を発したその瞬間、当日の記憶が詰まった箱を全て空にする。これが、この村で生きる人間が雪が降ると当日の記憶を失う原因だ」
全員の目にゆっくりと視線を配らせてから、お父さんは手にしていた水縹草をぐしゃりと握り潰した。
「こいつに、水縹草なんて綺麗な名前はふさわしくないんだよ」
吐き捨てるようにそう言ってから、お父さんは膝の上に置いた拳をぎりぎりとうっ血するまで握りしめている。それからこう続けた。「この呪いの花を、俺は
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