第2話

「確かめるってどうやって?」


 私はソファの上に膝を立てて出来るだけ冷えないようにと身体を縮こませながら、言った。純粋な疑問だった。


「村には小学校があるだろ? 俺達の授業が終わってから外出許可をもらって急いでいけば下校中の生徒に出会えるかもしれない」

「会えるかもしれないって、会ってどうすんの?」

「会って、話して、確かめる」


 湊のその言葉に、沙羅が顔をしかめた。


「え、なにそれ。私達不審者に間違えられない?」

「もう手段は選んでられないだろ」


 湊に押し切られる形で、私達はその日の作業が終わるのと同時に外出許可を貰いにいき、小学校の校門の傍で下校してくる子供を待つことにした。あの施設で暮らす私達は、十五の歳を迎えるまでは職員さんと同伴でなければ施設の外へと出ることは許されなかったし、その歳を超えてからも外出届けが必要だった。それに、同じ村に住んではいるけれど、施設の中で暮らす私達とその外側で暮らす村の人たちの間には何かみえない膜で遮られているかのような気がして、自ら話しかけにいこうなどと思った事は無かった。きっとそう思っているのは私だけではない。大げさかもしれないが、あの施設で暮らす私達は施設が世界の全てだと思って生きてきたのだ。だからその外側に住んでいる人たちは、言わば異世界で住む人種のようなもので、施設の外に出ることを恐怖にすら感じる子もいた。私や新奈のように、外の世界に興味を持つ子自体が少なかったのだ。でも、私達はつい最近気づいてしまった。世界の全てだとすら思っていたあの施設に、十年以上もの間嘘をつかれていたのかもしれないということを。


 真実を知りたい。胸の中で沸き上がる気持ちをなだめるように、おもむろに空を見上げた。夕暮れ時の、夜と昼間の狭間のような空が広がっている。冬の空気が澄んでいるのも相まってか、青とだいだい色が混在したその空が綺麗だった。時刻は既に十六時を過ぎており、中々生徒は出てこなかった。三十分程待っていると、ようやく黒いランドセルを背負った一人の男の子が出て来た。私達はその男の子の元へと駆け寄った。


「あのさ、君の名前教えてくれるかな?」


 湊が唐突に名前を尋ねると、男の子はぎょっとした表情で見上げた。私は無理もないと思った。男の子は、みたところ七歳とか八歳くらいにみえる。それくらいの年の男の子が、あと二年足らずで二十歳を迎えようとしている男女に取り囲まれたら怯えてしまうのは当然だ。沙羅も同じ考えだったようで、後ろから湊の頭を軽く叩いた。


「いてっ」

「ちょっと、それじゃあ完全に不審者じゃん!やめてよ」

「じゃあどうすれば良かったんだよ? 初めましてって俺から自己紹介すれば良かったのか?」

「そうじゃなくて……なんかこうデリカシーってあるでしょ? 湊は何でもかんでもいつも強引過ぎるんだって」

「でりかし……? なんだその、でりかしって」

「そんな事も知らないの? もっかい小学校からやり直してきたら? 丁度、目の前にあるし」


 自分から呼び止めておいて、男の子を放り出したままにいつもの小競り合いを始めた二人を、私は無視することに決めた。喧嘩をしているようにみえたのか更に怯えの色が目に混じっている男の子の前に腰を屈める。


「あっちの二人は無視していいからね。お姉ちゃん達は学生なんだけど、今学校の授業でこの村で住む子供達が普段どんな生活をしているのかっていう研究をしてるの。そうだな、君くらいの年の子だったら自由研究って言ったら分かる?」


 男の子が、小さく頷く。


「良かった。じゃあ、その自由研究でもうすぐ発表会があるから、少しだけ質問してもいい?」


 男の子が、再び頷く。少しずつ強張っていた表情が緩んでいくのが分かった。


「じゃあ、まずは好きな食べ物を教えてくれるかな?」

「……からあげ」


 蚊の泣くような声だったが、男の子はちゃんと答えてくれる。それから、私の足元ばかりに向けられていた視線が、ゆっくりと持ち上がる。眉の上で切り揃えられている髪の下にある澄み切った綺麗な目と目があった。まだ、深い悲しみも、耐え難い苦痛も知らない汚れのない目だ。出来れば、ずっとそのままでいて。そう思いながら、私は続ける。


「からあげが好きなんだ。お姉ちゃんもからあげ大好き。じゃあ、次の質問ね。学校が終わったらいつも何してるの?」


 私達が望む質問をストレートに聞いてはならない。怪しまれないように。怖がらせないように。遠回しに、少しずつ、少しずつ、聞いていこう。


「弟がいるから、庭で虫とりしたり、鬼ごっこしてる」

「そうなんだ。弟もいるんだね。いくつ?」

「五歳」


 男の子が、手を持ち上げてその数を示してくれる。私が男の子に話し掛けてから、沙羅と湊は口を閉ざしたままだった。すぐ傍から、二人の視線を感じる。


「君のこと、お姉ちゃんはなんて呼んだらいいかな?お姉ちゃんは大城新奈っていうの。にいなって呼んでね」

「僕の名前は、麻木拓人あさぎたくと

「そう。拓人くんって言うんだ。あっ、さっき教えた名前はね全部じゃなくて、本当は大城新奈 αアルファっていうんだけど、拓人くんの名前の端っこにもギリシャ文字は付いてるのかな?」


 拓人くんが、首を傾げる。


「うーん、どう言えばいいかな、名前の端にこういうアルファベットみたいなのが付いてる?」


 私は雪の上に転がっていた石を用いて、αという文字を書いた。拓人くんはずっと首を傾げたままだ。


「拓人くん以外にも、そのアルファベットみたいなのが付いてる名前の子はいないのかな?」

「いないよ」

「クラスで出席を取られた時に先生になんて言うのかな」

「麻木拓人って言う」

「それだけ?」

「うん、それだけ」


 拓人くんをみながら、山の向こうに日が落ちていくのがみえた。橙色の強い光が網膜に焼き付いて、目の奥が痛い。目眩がして、一度瞼を閉じる。その奥には、先程みた陽の光がまだ残像として残されている。ゆっくりと瞼を開けると、雪が橙色に染まっていた。


「じゃあ、最後の質問。身体測定はあるよね? その時に、血液検査ってされるのかな?」


 言いながら、服の下で鳥肌が立っていた。全て、湊の言う通りなのかもしれない。


「けつえきけんさってなに?」


 拓人くんが、不思議な生き物をみるかのような目で私をみてくる。きっと、この子がまだ小さいからじゃない。私がこの子と同じ年の頃には、血液検査という言葉も、その意味も、理解していた。


「血を……抜かれたりしないの? 二ヶ月に一度」

「しないよ。そんなのされてる人みたことない」


 確定だと思った。私達の名前の端にギリシャ文字が付いている事も、二ヶ月に一度必ず行われる血液検査も、全てあの施設だけで執り行われていることなのだ。


「……そっか、分かった。ありがとう、これで質問は終わり」


 力なく笑みを向けると、拓人くんは雪を踏みしめながら走り去っていった。その時になって、私達は初めて知った。自分達が十七年もの間不思議にすら思わなかったことが、それが全世界共通の常識だと思っていたことが、施設の外に住む人達からしてみればそれは当たり前ではないということを。ばらばらと音を立てながらそれまで生きてきた世界が壊れていく音が聴こえた。それと同時に、施設で住む私達と、その外に住む人達では、大きな壁のようなものがあることを改めて感じた。それは透明で目にはみえない。でも、確かに実在しているのだということを、私達はその境界線を踏み越えることが出来なくて初めて知った。


 それからというものの、湊は焦っていた。一刻も早く親を見つけ出し、この施設から出なければならない。逃げないと。本能がそう訴えかけてきてるのだと湊は言った。今日も女子達が明日のクリスマス会に向けて一日中装飾しているのに、男子達は笑い声をあげながら走り回ったり、トランプをしている中、湊はひとりで薪を割り続けていた。外に出て、つめたい空気の中に身を置きながら一つの作業に没頭すると、頭がすっきりするのだと言う。何か思い付くかもしれない。この施設から出る方法も。その上で、親を見つけ出す方法も。何か、何か。きっと、湊は自分の為にだけやっているのではない。口には出さないけど、私はそう思っていた。私や沙羅、そして他の子供達。皆を、この嘘で塗り硬められた施設から助け出してあげないと、とその一心なのだろう。


 沙羅もそうだった。普段と何一つ変わらぬ素振りをみせているのは、「私が暗かったり変な行動をしていたら、三島や職員達に怪しまれるでしょ?」 と今朝方二人で部屋の中にいる時に言っていた。沙羅は私と違って、誰よりも明るく、人当たりもいい。それゆえに沙羅には毎日沢山の人が話し掛けてくる。人一倍目を引く自分が、私や湊と一緒に探りを入れていると職員にバレてしまうだろうと考えているようだった。嘘が上手いのは職員や三島だけじゃないから私は私で表立って情報を仕入れるよ、と沙羅は言った。


 湊も沙羅も、それぞれが自分に出来ることをやっている。私は何もしていない。私に出来ることは何があるんだろう。自分に出来ること。そうやって頭の中にかき集めたパズルのピースは、整えてみてもそれが何かを示すことはなかった。からん。指先から何かがするりと抜けて、音を立てて地面に落ちた。装飾の玉だった。その音にふっと我に返って辺りを見回す。ツリーの周りには、もう誰もいなかった。

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