第17話
「またいつでも遊びにおいでね。新奈ちゃんなら私はいつでも大歓迎だから」
はい、と力強く頷いて、自然と満面の笑みが溢れていた。あれから百合亜さんとは一時間程喋り、初対面とは思えない程に居心地のいい空気が漂う中に、私は身も心も預けていた。ふと壁に掛けられている時計に視線を送ると時刻は十八時前だったので、慌てて「すみません、今日はもう時間なので帰ります」と言った。帰り際、お腹も重いだろうしほんとにここで大丈夫ですので、と何度も私は言ったが、「私がお見送りしたいんだから止めないで」と百合亜さんは笑顔を溢した。
扉を開けた途端に、刺すような寒さに襲われる。全身の毛穴が一瞬にして逆立つような気がした。百合亜さんの家に行く前から薄暗かった空は、深い闇に包まれていた。辺り一面につめたさを孕んだ夜の纏う闇が充満しており、民家のガラス窓から溢れた蜜色の明かりや街灯のまわりだけが、ほんのりと熱を持っているように感じた。
「この二日でまた一段と寒くなったわね。ねぇ、本当にそんな薄着で大丈夫?私の上着で良かったら貸してあげるのに」
「大丈夫です。施設までは、そんなに距離はないので」
「そう。新奈ちゃんがそう言うなら、無理には勧めないでおく」
それじゃあ、失礼します、と頭を下げて互いに手を振り合って、百合亜さんから背を向けた。でも、それからすぐに身体を元の方に戻した。
「あの、ほんとにまた来てもいいですか?」
心からの声だった。また来たい、と思っていた。百合亜さんが醸し出す空気感も、話しながら時折溢す笑顔も、その全てが凍りついていた私の心を温めてくれた。何よりも、私は百合亜さんに、自分自身の母の姿を重ねていた。もっと、もっと長く、話していたい。
「えぇ、勿論よ。またいつでもいらっしゃい」
頬を緩ませた百合亜さんの顔をみてから、私は小さく頭をさげ、今度こそ帰路についた。民家沿いを通り抜けてから、施設へと続く一本道を歩いていく。等間隔に置かれた街灯の小さな明かりが、闇の中での私の道しるべだった。夕暮れ時にでさえ吸いこまれそうだと感じた深い森は、しん、と静まりかえっており、時折草木の揺れる音や葉擦れ音が聴こえる度に、私はその闇の中へと目を向けた。何もみえない。黒ですらないと思った。森と夜が作り出す闇は、黒よりも更に深い何か別の色だと思った。怖い。早く帰ろう。足早に駆けていく。雪を踏みしめる音が鼓膜に触れる。街灯の明かりに視線を置きながらも、全神経を足元に集中させていた。もし、足を滑らせて森の中に入ってしまったら、私は二度と戻ってこられないのではないだろうか、そう思わずにはいられない程に深い闇だった。肺の中が冬の空気で満たされて息があがり始めたところで、ようやくぽつぽつと施設の明かりがみえてきた。胸を撫で下ろした私は門に辿り着いて、目を見開いた。門を隔てた向こうには、沙羅が立っていた。
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