第9話 万人受け

 お鍋の蓋をぱかりと開けた。


 少しクリーム系統の茶色っぽいスープ。ほんのりと赤い油が浮いている。私の体はまるで操られる様にしてそのお鍋をガス台へ運び、火にかけて温めていた。


 ぐるぐると混ぜていく内に赤い油は細かくわかれ、全体的に赤っぽくなっていく。


 ふんわりと甘い香りが漂う。


 具材にゴロゴロと大きなじゃが芋が入っている。ナッツ類やチキンもひょっこりと顔を覗かせていた。ご飯も温めて、いそいそとお皿に盛りつけた。


 テーブルへと運び、改めて対峙する。


 目の前にあるのは世界一の料理。気圧されて緊張でもしたのか、ゴクリとのどが鳴った。ええと、なんだったかな。たしかマッサマンカレーとか言ってた気がする。


 スプーンでひと掬い、カレーとは思えない程にサラサラとしていた。香りを嗅いでみるとココナッツのようで、ミルクみたいに甘い香り。なんだかお菓子みたいだ。


 そう思うのはシナモンの香りがしたからだろうか。そおっと口に運んだ。


「ん、ピーナッツだ」


 口いっぱいに、どっしりとしたピーナッツのコクがじんわり広がっていく。見た目の赤さとは裏腹にあまり辛くはなかった。微かながらにピリッと感じる程度だ。ご飯と一緒にしていただく。


 お米の甘さがカレーの甘辛さと口の中で混ざり合い、マッチしていく。美味しい。異国の風が吹いていた。和食では味わえない、刺激的で馴染みのない味付けだ。


 柔らかく煮込まれたであろうチキンは直ぐにほぐれ、スウッと溶けていった。ナッツ類の食感がアクセントになって楽しい。


 そして、じゃが芋だ。


 大きくカットされたじゃが芋をスプーンで割って食べる。とても柔らかくてホクホクだった。優しくて自然な甘さを感じる。きゅっと口を引き結んだ。


 じゃが芋、美味しいじゃないの。


 世界一なのかどうかはわからないけど、だれからも愛されそうな、優しい味わいのする美味しいカレーだった。


 先輩が残した張り紙がふと目に入る。『世界一のじゃが芋料理を味わうがいい』と、その文面はどこか誇らし気な様で、自信満々で。朧気ながらうっすらと得意そうにしている顔が浮かんだ。まるで見透かされたような気持ちになって、面白くない。


 手を伸ばし、目に入らないようにくるっと張り紙を裏返した。すると裏にも文字が書かれていることに気付いた。


 そこにはこう綴られていた。


『これでも芋っぽいは、蔑む言葉かな』


 にやりとする、あのカレーオタクの顔がはっきりとまぶたに浮かぶ。わかってる。いや、わかったんだ。わかってしまったのだ。溜め息をつき、スプーンを手に取った。


 パクリ。一晩が過ぎて頭が冴えたのか。モグモグ。スパイスが脳を刺激するのか。ゴックン。カレーの偉大さだと言うのか。


 ご馳走さまと手を合わせる頃には、彼氏の不自然さが気がかりになっていた。果たしてアイツはじゃが芋を馬鹿にしたりするようなことを言うのだろうか、と。


 アイツは、素朴なお家カレーを好んでいた。同じ田舎の出で、私たちは土にまみれて育ってきた。そもそもアイツの家の畑だってじゃが芋を作っているはずだった。


 なら、違うのかもしれない。


 彼は確かに芋っぽいと口にしたけれど、カレーマニアの先輩にとっては蔑む言葉に聞こえなかったように。彼の中でもまた、額面通りの意味ではないのじゃないか。


 本当の想いがあるかもしれない。


 少し調べてみよう。お腹が膨らんだからか活力が湧いてきた。ガタッと席を立つ。側にあった小びんがぱたりと倒れた。

 

 手に取って確かめたら、昨日使ったあの胡椒びんだった。あれからずっと出したままになっていたのだろうか。ちょっとだけ違和感を感じてカクリと首を傾げる。


 けれど違和感の正体は分からなかった。気を取り直し、元あった場所の調味料ラックに戻してから彼の事を調べに行く。


 知りたかった事はすぐに分かった。

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