第8話 夢幻で現な物語
掬った胡椒をまじまじと眺める。
「商人の気持ち……」
「そう。ふんだんに胡椒を使える様になったのは、我々消費者の立場からみれば有り難い事この上ない話だけどな。だが、胡椒で生計を立てていた、彼ら商人はどうだったのだろうか」
まだ見ぬ商人へと想いを馳せる。
段階を踏んだのだとは思うけれど、金と同価値を持っていた物が、僅かワンコインに化けてしまった。そんなのはたまったものじゃなかったはずだ。
「やるせなかったでしょうね」
「それでも受け入れてくれた商人連中に感謝だよ。時勢か時流か、民草の声を聞いたのかはわからないが、それでも普及の道を選んでくれたのだから」
なんだか胡椒が貴重な品物に思えてきて、丁重に口へ運ぶ。多くの人を魅了しつつも身近となった、刺激的な香りを味わった。
「胡椒の素晴らしさを世に知らしめてくれた事がな。今のカレーへと繋がっているのだよ。ああ、やっぱり愛されているよな。カレーは」
結局そこに落ち着くんだなと呆れ返る。カツンとスプーンが空を切った。何だかんだで結局、一皿ぜんぶ食べきってしまった。
「それでだな、カレーの素晴らしい所は」
まだカレーの話が延々と続きそうだったので、逃げるようにキッチンに向かった。お皿を流し台に置きにいこう。
ふと、先輩が小分けにしていたヨーグルトを入れる前のカレーが目についた。私はいつの間にカレーを食べれるようになっていたのだろうと不思議に思い、もうひと口食べてみる。パクリと口に運ぶと──。
「辛っ!」
舌がピリピリとする。火花が出るかと思うほどの辛さだった。あまりの辛さに涙が出てくる。何これ何これ。慌てて側にあった飲み物を一気に飲み干した。
「あ、大葉くん。それは」
キッチンをのぞく先輩の声が聞こえた所で、私の意識は途絶えてしまった。
ガバっと身体を起こす。
頭がくらりとした。頭痛がする。手を当てながらゆっくりと辺りを見回す。私のベッドの上だ。もう、朝か。ぼんやりとした頭で何があったんだっけと記憶を探った。
ハッと我に返り、青ざめる。
私は昨日、とんでもない事をしたのではないか。冷や汗がどっと出る。見ず知らずの人を部屋に上げるなんてどうかしていた。勢いよく布団をめくり、身体に異常がないかと確認する。服の乱れはない。
落ち着け、落ち着けと髪を撫でた。
記憶が少しあやふやだった。あれは夢だったのだろうか。白衣、カレー。思い出すのは変な事ばかりだった。ふらつきながらキッチンを除くと洗ってある空き缶が二つ。ああ、そうだ。私はお酒を飲んだのだ。
段々と思い出してくる。
変なひとに会って、カレーの話を延々聞かされて、とても辛いカレーを口にしたのだ。辛さを和らげようと咄嗟に手にしたのが、飲みかけのまま放置していた、このきついお酒だったのだろう。
私は飲み過ぎて、そのまま意識が飛んだに違いない。うっすらと記憶に残るあの人がベッドまで運んでくれたのか、自分でベッドまで行けたのか、よく覚えていなかった。
そうだ、カギを閉めないと。
玄関ドアへ向かうと一枚の張り紙がしてあった。『カギはベランダに貼り付けておく。回収してくれたまえ』と書いてあった。
ああ、やっぱり夢じゃなかったのかと心がズシッと重たくなっていくのを感じた。時間が経つにつれ、昨日の私の醜態が鮮明に蘇ってくる。お酒って怖いな。
ベランダへ向かうと、どうやって貼り付けたのかはわからないけれど、カギがガムテープで固定されていた。まるで密室トリックを見たような気持ちになる。
カギを回収してほっとひと息ついた。
良かった、危ない人というのでもなさそうだった。もっとも、ある意味では危ない人なのかもしれないけれど。
ほっとするとお腹が空いた。冷蔵庫を開けると、見馴れないお鍋がひとつあった。取り出してみると、そこにも張り紙がしてあった。
『世界一のじゃが芋料理を味わうがいい』
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