第6話 世界一の美食

「やあ、悪かったね」

 

 戻ってくるなりお玉を受け取った。コンロの火を調整してぐるぐるとかき回す。私はそのままキッチンの端に座り込んだ。


 小さくなって膝を抱えた。


 梢石右近はフンフンと口ずさみながら、ただカレーだけを見つめていた。この男は本当にカレーを食べれば、私が元気になると思っているのだろうか。ぽろっと呟く。


「……何があったとかは、聞かないの?」


 意外そうに眉を上げ、

「聞いてほしいのか?」

 かき回す手を緩めずに訊く。


 私は、どうなのだろう。誰かに話を聞いてもらいたかったのだろうか。縁もゆかりもない人であってもこの想いを吐露し、気持ちを整理したかったのだろうか。気付けばコクリと頷いていた。


「ふぅむ。それじゃあ話を聞こうじゃないか。カレーを煮込む、その間だけな」


 どうやら優先順位はカレーの方が上らしい。そんな話しがいのないひとだというのに、私はぽつりぽつりと話し始めていた。


「同じ大学の彼氏が──」


 大学名を言ったところで、

「ああ、なんだ。大葉くんは俺の後輩か」

 と反応があった。


「ああ、そうなんですね。……先輩」


 すこし驚きはしたものの、それ以上の感想はなかった。今はそれどころではない。


 何があったのか、どう思ったかを話す。お酒のせいだろうか。話しはしどろもどろで纏まりがなかったと自分でも思った。話はあっちへ飛び、こっちへ飛ぶ。でも決壊してしまったダムは止まることを知らず、思いの丈をただただ晒していった。


 先輩はなにも言わずに聞いていた。


 たぶん私は先輩に話を聞かせていたわけじゃなかったのだと思う。言葉に換えて吐き出して、きっと自分に言い聞かせていたのだろう。現に先輩はなにも言葉を返さず黙って話しを聞いていただけなのに、私はすこしスッキリとしていた。


「それをアイツは、芋っぽいって」


 ぐるぐると先輩はカレーを混ぜ、食器棚から深皿を取りだして一部を取り分ける。お鍋に残ったカレーを混ぜながら訊く。


「大葉くんは辛いのはいける口か?」


 ほら。私の話なんて聞いちゃいない。口を捻りながらも答える。 


「辛いのは苦手です」


 つうっと指を差し、

「開けるよ。ヨーグルトがあるといいが」

 冷蔵庫を探り出す。


「あった、あった」


 嬉しそうに掬って鍋にひとさじ。なんだか気が抜ける。悲しさは変わらなかったけど、怒りは抜けていってしまった。相も変わらずお玉はくるくると回されている。


「芋っぽい。結構なことじゃないか」


 一応は聞いていたらしい。反論した。


「どこがですか」


「きみはじゃが芋が嫌いなのか? ホクホクとしていて美味しいじゃないか」


 だれもじゃが芋の話なんてしていない。ツンと声が尖る。


「ダサいって。大葉、垢抜けてないって言われたんですよ」


 だいたい私のどこが垢抜けてないというのか。去年の私が今の姿をみたらびっくりする程だというのに。両手を開き自分の姿を確認していると、先輩もちらりと見る。


「垢抜けないといけないものかな」


「そりゃそうでしょう。芋っぽいのなんてみんなイヤですよ」


 なにを当然のことを。しかし先輩は納得しなかった。首を振ってううんと唸った。


「大葉くん。きみはマッサマンカレーを知らんのだな。だからそんな事を言うのだ」


 またカレー。嘆息をつく。カレー嫌いの私が知ってるはずもない。力なく尋ねた。


「なんですか、それ」


「ゲーン・マッサマン。世界一美味い料理のことだよ」


 得意気にほほ笑んだ。


 なぜ得意気なのかよくわからないけど、

「世界一だなんて、そんな大袈裟な」

 鼻白む私に、ニヤリとして言い放つ。


「大袈裟なものか。CNNトラベルが発表した、『世界の美食トップ50』で堂々たる一位に選ばれているのだぞ。しかも二回も」

 ピースをしながら。

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