第5話 カレーオタク

 この男は何を言っている。お酒のせいで私の頭が鈍ったのかなと首を傾げるけれど、そうではないと考え直した。


 そんな私を見て悟ったのか、男は語る。


「カレーを食べるといい。きみも知っての通り、カレーはもはや国民食だ。どうしてカレーはそこまで上り詰められたのか。それはな、食べると幸せになるからだ」


 自信たっぷりに言い切った。それは冗談なのか。とても笑えない物だけれど。


「きみは信用していないようだが、これは科学的にも証明されている事なのだよ」


 スプーンを持って、カレーを掬う。


「カレーのスパイスは、幸せホルモンであるセロトニンを生みだす。それに、辛さの元であるチリ、唐辛子はその痛みから、脳内麻薬を出し快楽をもたらしてくれるしな」


 ぱくりと食べた。

  

「それに」

 

 言いながら足元を見てくる。 


「空きっ腹にお酒はあまり感心しないな。酔いが早かろう。やはりきみはカレーを食べるべきだ。よし、俺の部屋に来なさい」


 さも名案とばかりに男は誘った。


「え……、イヤだけど」


「遠慮する事はない。それにカレーは酔いにとても良い。ターメリックが入っているのだよ。別名はウコン。酒を分解してくれる。カレーのあの色はな、ターメリック由来の物なんだぞ」


 一応は私の身を案じてくれているようである。男の膝元のお皿に目をやった。富士山のように丸く盛られた内側にルーがかけてある。その真ん中に見馴れないものがあった。まんまるで黄色いそれは。


「なんで玉子?」


 訊くとスッとお皿をもちあげてみせる。


「月見カレーだ。月をみながら食べるカレーもまた、乙なものだぞ。どうだ一緒に」


「やだ。カレーに玉子、気持ち悪い」


「おや」

 と驚き、ううんと首をふった。


「何を言う。きみはあの大阪難波の名店、自由軒の名物カレーを知らないからそんな事が言えるのだ。名前通り名物なんだぞ」


 手で口を覆い、コソリとこぼした。


「大阪人を敵に回したくないのなら、あまりそういう事は言わない方がいいな。奴ら、敵にまわすと厄介だぞ」


 なんだか気が抜けてしまい、少しだけ口元がもちあがる。悪い人ではなさそうだ。男はすっくと立ち上がった。思ったよりも長身だった。白衣の襟をピシリと正す。


「よし、じゃあカレーを持っていくとしよう。是非食べてくれたまえ」


「だからいいって」


 男は人の話も聞かずに自分の部屋へ戻ってしまった。ガラガラガッシャーンと、鍋とかボウルをひっくり返す音がしている。


「待ってろよ。ぜったいに美味いと言わせてみせるからな」

 という声もした。


 目的が変わっている。


 そのまま無視していても良かったけれど。普段なら絶対にそうするのだけど。お酒の力なのか、男が冴えなくてひ弱に見えたからか、それともヤケになっていたのか。


 もうどうにでもなれと思ってしまった。誰かの優しさがただ嬉しかった。一人でいたくないと、ふと思ってしまった。


 チャイムが鳴って、私はカギを開けていた。男は片手に鍋を持っていて、もう片方の手にはパックご飯も用意してあった。


 準備のいいことだ。


「お皿はあるね?」

 と笑い、

「そういや初めましてだな。梢石右近だ」

 ようやく名乗った。


 やっぱり返すべきかなと名乗る。


「はあ、大葉知里です」


「そうか、大葉くん。お邪魔するよ」


 返事を待たずにキッチンへ駆け寄り、鍋を火にかけはじめた。鼻歌まじりに鍋をかき回していたらピタリと止まり、クンクンと鼻を引くつかせている。


 こちらを向き、にこりとほほ笑んだ。


「ふむ、カレーに失礼だな。失礼するよ」

 

 何、と思う間に部屋の奥へ入っていく。


「ええ!?」

 と驚く私に、

「ああ、鍋が焦げる。かき回しておいて」

 指示が飛んだ。


 もう、何とかき混ぜながら覗くと、そよそよと入る風と共に戻ってきた。どうやら窓を開けていたらしい。


 なんなのこの人。

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