第7話 前を向くために

「……はぁ……はぁ」

 俺は今、国火神社がある山を目指している。

 その中腹、参道を外れた所にきっと詩織はいる。

 なぜか?

 自分でもわからない。

 その場所が何か特別な場所だとかそういうわけでもない。

 それでも、そんな気がする。

 さっきから自分でも分からないことばかりが起きている。

 混乱するばかりだが、それでも動かない理由にはならない。

「……それにしても……遠すぎる」

 昔はそこまで遠く感じなかった神社がある山への道も、ひどく長く感じる。

 衰えた……いや、肺が終わっている……。

 いったん休もう……。

 そう思ったその時。

『~~♪』

 スマホから音楽が流れ始める。

「……もしもし」

「やぁ」

 名前もろくに確認せず電話を取ると、なんとものんきな声が聞こえてくる。

「清水か」

「うん。清水だよ」

 こいつは俺の友人、らしい。

 記憶を失ってから病院の関係者を除き、ほぼ唯一まともに接触した人間だ。

「里帰りしてるんでしょ? どう? 元気にやってる?」

「……あー、まぁ。色々あったけども……」

 元気にやっているかと言えばそれどころではないが、今、一から説明してやれる余裕はない。

 そもそもいえる要素が一つもないし……。

「記憶は戻りそうかな? いやぁ、僕心配でさ」

「その、なんだ……今忙しくてさ、後でかけなおすからいったん切っていいか?」

 こいつの胡散臭い話し方に気が抜けそうになるが、今はとにかく詩織を探さなくてはいけない。

「あー、立て込んでる感じ? それは悪かっ……」

 申し訳ないが清水からの電話を途中でぶちぎり、再び走り出す。

 幸い、今の短い会話の中で、少しは休憩ができた。


「はぁ……」

 気が付けば先ほどまで走っていた舗装された道とは打って変わり、周りには木々しかない。

 月明かりのみを手掛かりに、山道を駆け上る。

 やがて道をはずれ、深い暗闇の中を進む。

 そこに感じる。

 必ず詩織はいる。

「……っ!」

 何かに足元を掬われて盛大に転がる。

 木や茂みを避けながら傾斜のついている山を進むのはかなり大変で、さらに言うと視界もほとんどないのだ。

 すぐに立ち上がり、再び走る。

 どれだけ走っただろうか、そこに彼女はいた。

「……どうして、どうしてこうなっちゃうのよ……」

 木陰で一人、膝を抱えてすすり泣く彼女に歩を進める。

「……詩織」

「……ついに幻聴まで聞こえ始めたわ」

彼女は顔を伏せたまま、再び呟く。

「幻聴でも何でもない。俺はここにいるよ」

「……愁?」

彼女は顔をあげる。

「あぁ」

「どうして……?確かにあの時……」

「それは……なんでか説明のしようもないけど……」

「……幻覚じゃないわよね?」

「……見てわかるだろ?」

 今日の事ではあるが、どこか懐かしい最初の再会時の会話を思い出す。

 まぁ、状況も何もかも違うが。

 詩織は立ち上がり、ペタペタと俺の体、特に刺された部分を確かめるように触る。

「どうして……?」

「いや、それについては俺も知りたいんだけど……とにかく、なんでか助かったらしい」

 その言葉を聞いた彼女は、おもむろに自分の頬をひっぱたく。

 それに少し面食らっていると、次の瞬間には俺の胸に飛び込んできていた。

「うごっ……」

 泣いている女の子に抱き着かれたにしてはとんでもなく情けない声が出たが、かなりの衝撃だったのだ。

「うぅ……ぐすっ……本当に良かった……。また、またいなくなっちゃったと思って……」

「……大丈夫だよ」

「良かった……本当に……良かった」

 どれほどだろうか、とにかく彼女はそのまま、しばらく泣き続けた。

 

「その……取り乱してごめんなさい」

 落ち着きを取り戻した彼女は俺から離れ、少し恥ずかしそうにそう言った。

「香織に続いて、あなたまでいなくなってしまうと思って……その……」

「いや、今回刺されたのが俺じゃなくて詩織だったら間違いなく俺もそうなってたと思う……」

「とにかく……良かったわ。無事で」

「まぁ……そうだな」

「色々気になることはあるけど……今回は私のせいね。結局、あなたに自分はある程度心の整理ができた、なんて言ったけど全然だったみたい……私が余計なことを考えてたせいであなたまで失うところだった」

 俺だけじゃない。彼女も過去にとらわれているのは間違いない。

 それ自体が問題なわけじゃない。人に死というものを簡単に忘れることなんてできるわけがない。それでも……。

「ねぇ、愁。お願い。今回のことにあなたはもうかかわらないで欲しいの」

「それは……」

「きっとこれからはこんなことが何度もある。今回のことが仮に関係なかったとしても、これからあなたが踏み込もうとしている所はきっと危険にまみれているはず」

「でも……」

 言葉を返そうとすると、それを封じるかのように再び彼女は俺に抱きつく。

 それはどこか縋るように。

「……お願い。怖いの……。もうこんな思いはしたくないの……」

「詩織……」

 気持ちは痛いほど分かる。俺だって発作を起こすくらいには過去に縛られている。

 彼女がそれを味わうのは二度目だ。なおさらだろう。それでも……。

「ごめん……。詩織の頼みは聞けない」

「どうしてよ……。あなたなら分かるでしょ……?」

「分かるよ……。でも、それじゃダメなんだ。それだと逃げてるだけなんだ」

 三年間逃げ続けた俺が言えた事じゃないのは分かっている。

 記憶がなくとも、逃げていたからこそ、分かることがある。

「……さっきとはまるで立場が逆だな……」

 刺される前、詩織と話していた内容を思い出す。しかし、発作のせいで事故に遭った。俺を刺そうとする人に気が付けなかった。俺もこのままじゃいけないのだ。

「乗り越えようなんて言わない。でも、一緒に向き合おう」

「……でも」

「大丈夫。今回も何とかなったんだ。きっと大丈夫だよ」

 楽観的過ぎるかもしれない。それでも、未来に希望を持たなければ先には進めない。

「……分かったわ。……でも、お願いだから、いなくならないでね」

「あぁ……」

 そうしてしばらくした後、俺たちは家へと戻るのだった……。

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その血の味はモラトリアム @ankaketanishi

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