第6話 一休み...?

「ふぅー」

 何とかアルトを落ち着かせたのち、俺は逃げ出すように外に出てきていた。

 肺にためた煙を吐き出す。

 今日の昼、駅前で煙草を吸ってからまだ半日も経っていないにもかかわらず、随分と久しぶりに煙草を吸う感覚だ。

 とはいえ、自分的には殆ど吸った記憶がないにも関わらず、体が煙を求めるというのはなんとも不思議なものではある。

「……愁」

「……詩織か」

 いつの間にか背後にいた詩織に声をかけられる。

「煙草……吸ってるのよね。アルトが言ってたから知ってはいたけど」

「まぁな」

 流石に自分が喫煙者であることを知られるのには多少なり抵抗感がある。

 じゃあ煙草を吸うのをやめるか、と言われればそうではない。

 だって体は煙を求めているのだから。

「なんで吸い始めたの?」

「なんでか……俺にも分かんないんだよな」

 まぁ記憶ないし。

「言いづらいわよね……。もしかしてあの件が原因だったりするの?」

「いや、そういうことじゃなくてだな……俺、大学に入ってからつい数週間前までの記憶が無いんだ」

 別に打ち明けるつもりだったわけではなかったが、特段隠す理由もないため素直に打ち明ける。

 詩織は少し驚く様子を見せるが、そのまま続ける。

「……なるほどね。だからここに帰ってきたの?」

「まぁそうだな。とはいえ記憶どころの話じゃなくなったわけなんだけどね」

「それは……まぁそうね。で、どうして記憶を失ったわけ?」

「どうやら交通事故にあったらしい。実際、病院で目が覚めたときは包帯でぐるぐる巻きにされてたし」

「なるほどね……」

「なんとなく原因は分かってるんだ。記憶がなくとも、大学に入ってから俺があの一件をずっと引きずってたのは間違いない。ぼーっと歩いてたんだろうな」

「……あれはあなたのせいじゃないでしょ?」

「いや……俺のせいだよ」

 忘れもしない。

 高校三年生の冬。

 あの日、俺は……

 人を殺した。

 

 どくん

「うっ......」

 『あの時』を鮮明に思い出そうとすると、拒絶反応なのだろうか、めまいが襲ってくる。

 火がついたままのタバコを手放してしまう。

 一瞬火種が手の甲をかすめるが、その熱さに俺の意識が向けられることはない。

 視界が歪む。体が熱い。

 どくんどくんどくん

 求めてもいない血を心臓が勝手に全身に送っていく。

 『あの時』と同じ感覚。

 血は十分に回っているはずなのに、むしろ顔からは血の気が引いていく。

 体が、血がまるで自分の物ではないかのようにふるまう感覚は、『気持ち悪い』としか言い表せない。

 やがて、視界のゆがみによって自分の手元さえ確認できなくなる。

「……ぅ」

「……愁!」

「っ!」

 気が付くと、先ほどまでの不快感はどこかへ消え去っており、目の前には俺の肩をがくがくと揺らす詩織がいた。

「わ、悪い……」

「……大丈夫?」

 心配そうに顔を覗き込んでくる詩織。

「あ、あぁ」

「思い出すとああなるの?」

「そう、みたいだ」

 あの出来事からの記憶がほとんど無いため分からないが、俺はずっとこうだったのだろうか。

 そう考えれば交通事故に遭うのも仕方ない気がするが……。

「無理に思い出す必要は無いわ……つらいだけよ……」

 そう俺に優しく告げる詩織。

「でもっ……」

 一番つらいのは詩織じゃないのか?

 その言葉は、口を手でさえぎられたことで出てこなかった。

「香織のことは皆悲しんでる。でも、あれからもう三年もたった。香織はいつああなってもおかしく無かったわけだし、私も少しは気持ちの整理はつくわ。もちろん、あの日を忘れた日は一日たりとも無いけどね」

「……」

 香織。

 詩織の妹であり、俺のもう一人の幼馴染であり、そして……俺が殺した人物の名前だ。

 詩織の口から久しぶりに聞くその名は、懐かしさと苦しさを同時に運んでくる。

「あなたが殺したなんて誰も思ってないわ。こう言ってそう思えるならこうはなってないとは思うけど、それでも、私は本当にそんなこと思って無いわよ」

「……俺もそう思いたい。けど、あの光景を見てそう思わない奴なんていないよ……」

 何も無いのに人が病院のベットに仰向けに寝転がったまま、全身から血を吹き出すなんてことは普通ならありえないだろう。

「……それでもよ。確かにあれは異常以外の何者でも無かった。でも、あなたが意図してしたことでも無いじゃない」

「それはそうだけど……」

 それでも、自分が輸血した相手が直後に異変を起こし、そのまま亡くなってしまうなんてことが起きて、平然としていられる人間などいない。

 それもただの異変では無いのだ。

 臓器移植における拒絶反応なんかはよく聞く話ではあるが、そもそも現代において輸血での重篤な拒絶反応はほとんど起きないし、ましてや全身から血を吹き出すなんて言うのは、拒絶反応なのかも怪しい。

「やっぱり、俺の血を輸血したことが原因なのは……」


「……原因なのは間違いないだろ?」

 目の前でそう言う愁の口ぶりからして、やはり彼が意図的にあの現象を起こしたとは考えられない。

 それよりも気になるのは先ほどの愁の様子……。

 昼にアルトが血を吸った後気絶した時もそうだったが、愁が発作のような物を起こしたとき、間違いなく理の改変が起きていた。

 理の改変は、文字通り現実では起こりえないはずの現象が起きるときに発生する。

 アルトが能力を行使する時が良い例だ、まぁ彼女たちは存在自体が理に影響を及ぼしてるけど。

 あと、異界に行ったときなんか、そもそも理という物が存在していないレベルだったわね……。

 それだけ、今日一日は理の改変に触れる日だったけど、それでも愁が理の改変を引き起こすのはおかしい。

 私は国火の巫女の末裔なのもあって、お母さんから巫女を引き継いでからは門周辺における理の管理を行ってきた。でも、前提として理の改変などそうそう起きない。

 『普通』だから『理』なのであって、理が簡単に変化してしまうのであれば、今頃世界はめちゃくちゃだ。

 思い返せば、『あの時』も理の改変が起きていた。だけど、その頃の私はそれを愁が起こしたものだとは思わなかった。

 まだ修行が終わっていなかったのもあって、理の歪みの正確な発生源が分からなかった上、愁がそんなことを起こせるとも考えられなかった。

 しかし今日、愁が門を視認できたのも不自然だし、発作によって実際に周囲の理が歪んでいたのを見るに、やはり愁には特別な何かがあるのは間違いない。

 そう思い、再び周囲に意識を巡らす。

 愁に注意を向けるが、先ほどとは違い特に理の変化は見受けられない。

 しかしながら、愁の背後。それもすぐ近くに『何か』を感じ取る。

「……!」

 急いで目を向けると、そこには刃物を手にした男が立っていた。

 その目は虚ろで、口からはかすかに唾液をこぼしている。

 いつからそこに? いや、それよりもこの男は明らかに普通ではない、と全身が告げていた。

 次の瞬間。

「……みぃつけた」

 男は小声でそう漏らすと、手に持った刃物を勢いよく振りかざす。

「愁!」

「……?」

 後ろ!

 と言おうとしたその時には、その男は刃物を愁の背中に突き立てていた。

「がっ……」

 鈍い音とともに、愁の胸を貫通した凶器が刀身をのぞかせる。

 銀色のはずのその刀身は、愁の血で真っ赤に染まっていた。

 その鮮血は刃を濡らすだけにとどまらず、私の頬に嫌な感触とともに付着する。

「……ひっ」

 思わず口から悲鳴がもれそうになるが、何とか理性を総動員し、思考の停止を押しとどめる。

 なんで気が付かなかった?

 いやそれよりも愁は……?

 どう見ても助からない。

 肋骨に引っかからないよう、横に向けられ差し込まれた刃は完全に愁の体を貫いている。

 位置は……おそらく心臓付近。

 とめどなく血があふれ、愁は戸惑うしぐさを見せつつも、膝から崩れ落ちていく。

 流れ出る愁の血に比例するように、脳裏に絶望が広がっていく。

 どうして?

 どうして?

 どうして?

 まともに思考を回すことができなくなっていく。

 いや待て、あの男は?

 顔を上げると、男は虚ろな表情のまま天を見上げていた。

 私を狙うつもりはない……?

 愁を刺し、満足したかのようなその様子は、明らかに最初から愁のみを狙った行動であることを示している。

 瞬間、絶望の他にこみあげてくる感情があった。

 怒りだ。

 こいつが愁を?

 何の目的で?

 いや、そんなことはどうでもいい。

 ギリギリ耐えていた理性がはじける。

 ただ許せない。

 目の前の男を。

 どんな理由であれ、愁をこんな目に合わせた奴を野放しにすることを私は許すことができない。

「……っ!!」

 気が付けば、私は握りしめた拳を全力で振りぬいていた。

 男がそれに気づき、避ける様子はない。

 そのまま私の拳は男の顔面に吸い込まれ、骨と骨がぶつかった音を残した。

「はぁ……はぁ……」

 固いものを殴った拳の痛みによって、少しだけ冷静さを取り戻す。

 目の前に立っていた男は、気絶したのだろうか、だらしなく四肢を投げ出し横たわっている。

 いや、それよりも愁は?

 再び視線を向けるも、目の前には絶望しか残されていない。

「愁!」

 呼びかけ、肩を揺らすも返事はない。

 それどころか呼吸すら止まっている。

 どうしよう……。まずい。

 思考が回らない。

 うまく呼吸ができない。

 救急車......? いや、それでも間に合わない。

 それがわかるほどに致命的な傷だった。

 最悪を覚悟しながらも、愁に手を伸ばす。

「だめ……!止まって!」

 溢れ出る血をなんとか止めようとするが、無情にも血溜まりは広がっていく。

 そして手から伝わるその灯火は少しずつ、しかし確実に熱を失っていく。

 目を伏せ、打ちひしがれることしかできない。

「うぅ......どうして......どうしてなのよ......」

 気がつけば涙が頬を伝っていた。

 どうして愁が?

 それしか考えることができない。

 あの男がなぜ愁を狙ったのかもわからない。

 しかし、あの瞬間、間違いなく理に干渉する力を感じたのは確かだ。

 私がもう少しでも早く気づけていれば助けられたかもしれない。

 そもそも、今日の昼の時点で私が愁を見回りに誘わなければ、彼はこんなことに巻き込まれなかったかもしれない。

 自分のせいかもしれないという事実はあまりにも苦しく、仮にそうじゃなかったとしてもその思考を捨て切ることはできない

 愁もこんな気持ちだったのかもしれない。

『〜〜♪』

「......?」

 何かが私を思考の海から引き揚げる。

 音の出どころを探ると、愁のポケットからスマホが出てくる。

 画面には『茜』と表示されている。

 外に出たままなかなか戻ってこない兄を心配したのだろうか。

 導かれるままに通話を開始するボタンを押そうとした。

 しかし、その手はすんでのところで止まる。

 今この電話に出たとして、私は茜に何を言えばいい?

 ただ外に出た。そして死んだ?

 そんなことを私は伝えられるのか?

 私がその場にいたのに?

 どんな顔をして彼女に話しかければいい。

 私にはできない......。

 やがて愁の携帯は振動をやめ、画面は暗転する。

 顔も合わせられない。

 話すこともできない。

 いや、できないというより自分が許せないというのが正しいだろうか。

 とはいえ、愁をここに放置するわけにも行かない。

 いつの間にか、思考はどこまでも冷えていた。

 ロックがかかっていなかった愁のスマホを再び開き、メッセージ画面を表示する。

 茜に対しいくつかの文言を打ち込むと、画面を閉じる。

「......ひどい顔ね」

 暗転した画面に反射した自分を見てそう呟くと、スマホを置き、立ち上がる。

 もうまもなく茜たちがここに来るだろう。

 私はここにいられない。

 少しでいい。時間が欲しかった。

 自分勝手かもしれない。

 いや、自分勝手だろう。

 気がつけば、私は走り出していた。

 どこへ?

 わからない。

 それでも私の足は止まらない。

 どれほど走っただろうか。

 足がもつれ、その場に倒れ込む。

 呼吸は乱れ、服装もめちゃくちゃだろう。

 大量に浴びていたはずの血も、道中何度も転んで付いたはずの土も、何も気にならない。

 ただただ、言いようのない感情だけが渦巻いている。

「ゔぅ......」

 嗚咽が漏れる。

「ああああああぁぁぁぁぁぁっっ!!!」

 私の声に何が答えることもない。

 それでもただ、私は泣くことしか出来なかった......。


「……ぃ……のままでは」

「……のか!? 一体……ってるんだ!?」

「……を早く……いと!」

 ……。

 これは……?

 荒々しく声を挙げる人々に囲まれている。

 ここは……病院か?

 鼻をつく消毒液の匂い。

 俺はこの光景を知っている……。

 これは……あの時の……。


「……さん!」

「愁さん!」

「……っ」

 目が覚める。

 今のは……夢?

「愁さん! 大丈夫ですか!?」

「……っ!」

 嫌な寒気がして、思わず自分の胸に手をやる。

「……あれ」

 しかし、そこには異常を感じられなかった。

 いや、正確に言えば異常はある。

 俺の服が確かに切り裂かれている。

 俺は……。

 あの時間違いなく何者かに胸を貫かれたはずだ。

 しかし、俺の胸には傷どころか、血さえ見当たらない。

 どういうことだ……?

 ふと周りを見渡せば、そこには心配そうな表情を浮かべているアルト、サツキ、そして茜がいる。

 そして、俺が横たわっていたすぐ後ろに、気絶している男とナイフがある。

「これは……一体……」

「私が聞きたいよ……」

 状況に混乱していると、茜が口を開く。

「お兄ちゃんから連絡があったから来てみれば、こんなわけのわからない状況で、連絡をよこした当の本人は気絶してるし、もう何がなんやら……」

「連絡……?」

「ほら」

 茜にスマホを見せてもらい、そのあとに自分のスマホを確認する。

 間違いなく俺から連絡を送っている。

「詩織がお兄ちゃんと話すって言ってそのあとなかなか戻ってこないから電話したらでなくて、そのあとこの連絡が来たから駆け付けたってわけなんだけど……」

「そうだ……詩織は?」

 あたりを見回すが、詩織の姿はない。

「それが、いないんですよ」

「愁さんと話すと言って部屋を出たのは確かなんですが……」

「いや……俺が意識を失う前まで一緒にいたはずだ……」

 会話の内容もしっかりと覚えている。

「それがどうしてかいなくなっている……というかそもそもなんでお兄ちゃんは気を失ってたわけ?」

「何というか……」

 刺された、と言って信じられるだろうか。

 血も出ていないのに?

 とはいえ隠したところでどうにもならない。

「信じられないとは思うんだが……多分刺されたんだと思う」

「刺された……?」

「ああ、ほらここ」

 そう言って貫かれた痕跡の残る服を見せる。

「どういうこと……?」

「服を切られてびっくりして気絶したってことですか……?」

「い、いやいや! 違うから! ほら、多分後ろ側も穴あいてるでしょ?」

「確かに……」

「でも、血とか出てないですし……人間の身でそう早く回復するとも思えません……」

 それはそう……。

 というか自分でもどうしてこういう状況になっているのか分からないのに、他人を納得させられる説明ができるわけがない。

「いや……待ってください。この辺り、確かにわずかですが……血の匂いと……そして理の改変が行われた気配があります」

「理の改変……?」

「世界の道理を捻じ曲げることです。例えば私がさっき出していた槍なんかは、理に干渉することで発現させているんです」

「なる……ほど?」

「まぁ、吸血鬼なんて存在自体が理にかなってないですけどね」

「うーむ……とにかく、それがここで起きたってことか?」

「そう……ですね……そうだとすれば愁さんの話にも筋が通りますが……」

「だとしても……なんでその……理の改変? が起きたわけ?」

「そうですね……一番自然なのは誰かが理に干渉したっていう可能性なのですが……」

「となると……誰が?」

「うーん門の管理者である詩織さんならできる可能性はありますが……本人がいませんから……」

「……とりあえず詩織を探すしかないな」

 状況も気になるが、それ以上にどこかへ行ってしまった詩織の方が気になる。

 刺されてすぐに気を失ってしまったから分からないが、相当ショッキングな光景だったに違いない。

 その後詩織が取った行動は分からないが、彼女の精神的なダメージは計り知れない。

 俺を助けるために何らかの現象を起こしたのかもしれないが、どちらにせよ、早く詩織に会うに越したことはないだろう。

 俺は自然と立ち上がり、旅館の敷地外へと歩を進める。

 うん、体は大丈夫そうだ。

 あれだけのことがあって大丈夫なのは違和感どころか普通に怖いが、なんにせよこの状況で動けるのはありがたい。

「ちょ、お兄ちゃん動いて大丈夫なの?」

「ああ、多分……。詩織の居場所はなんとなく心当たりがあるからちょっと探してくる」

 そのまま駆け足でとある場所を目指す。

「って愁さん! この状況のままいなくならないでくださいよー!」

 後ろからアルトの声が聞こえる。

「悪い、ちょっと頼む!」

「不審者以外の当事者が全員いなくなっちゃいましたね……」

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