第4話 実家

「わぁ、すごく大きいお家ですね!」

「これ全部家っていうわけじゃないけどな」

 現世へと帰ってきた俺たちは、最上家の前へとやってきていた。

 現世で活動するならば、どこに滞在するべきか話した結果、詩織の家では、異界について知っている親に遭遇してしまう可能性があるため、俺の家が主な拠点に決まった。

 幸い、俺の実家は旅館経営をしており、従業員用の寮のうちの一部屋が俺用になっているため、問題になる可能性は低い。

「もしかして愁さんすごいお金持ちだったりします?」

「いや、そんなことはないよ。うちは宿屋をやっているから、今見えている大きな建物はそれだな。俺の部屋自体はここからみて宿の奥側にある建物の一室なんだ」

「話は変わるけど、アルトって能力は使えるの?」

「まぁ一応使えますよ」

「能力?」

「確か異界に住む人たちは種族に応じた能力が使えるって聞いたことがあって」

「か、かっけぇ」

 能力なんて言葉、誰しも一度はあこがれを抱いたことがあるだろう。

「つかえる状況にある程度縛りがあったりするのでそこまで万能なものでもないですけどね……」

「いや、それでもすごいな。どういうのが使えるんだ?」

「私は自分の血を操ったり、ある程度姿を変えたり……色々できますね」

「へぇ、そんな色々できるものなのね」

「何種類も使えるのは珍しいですけど……一応吸血鬼ですので」

「良いなぁ……一つで良いから俺もそういうのほしい……」

「はぁ、馬鹿なこと言ってないで、さっさと行きましょ」

 なんだよ馬鹿なことって……男のロマンだぞ!?

「あ、ちょっ、家主を置いていくなって!」

 そうして、すたすたと歩き出してしまった詩織を、俺たちは追いかけるのだった。


「ここも変わらないわね……」

「意外と整っていますね」

 俺の部屋へと入った二人は口々に感想を言う。

「まぁ三年以上使ってないわけだからな。ってか意外とってなんだよ」

「いえ、失礼ですがなんか部屋汚そうなイメージだったので」

 失礼だなこいつ!?

「俺の何を知ってるっていうんだよ……。まぁ、適当に座ってくれ。俺は飲み物入れてくる」

「どーも」

「ありがとうございます」

 二人を座布団に座らせ、台所に向かう。

 飲み物といっても、先ほど言った通り三年は使ってなかったため、ペットボトルなどは当然ない。

 お茶の葉などはあったが、それも三年前のものだ、どうしようか……。

 飲み物を入れると言って何も持たずに戻るのはなんか気まずい。

 とはいえこの状況ではしょうがない。水だけ出すのもなんか気が引けるし。

「……すまん、なんもないの忘れてたわ、なんか買ってくる。二人はゆっくりしててくれ」

 そう言い残し、財布を取ってから部屋を出る。

 一応すぐそこが旅館なわけだから、自販機なんかも置いてある。そこでお茶でも買えばいいだろう。


「…………って言ってるでしょ!私と愁が……なんて!」

「でも…………ですよね。…………じゃないですか!」

 なんかやけに騒がしいな……。

 お茶やジュースのペットボトルを10本ほど抱え、部屋の前に戻ってきたわけだが、二人がワイワイと話している声が、外まで聞こえてくる。

 この寮結構防音性能良いはずなんだけどな……。

 とりあえず入るか。

 ドアを開け、部屋の中に入る。

「とにかく!そんなんじゃないから!」

「どうしたんだ? そんな騒いで。部屋の外まで声がもれてたぞ」

「しゅ、愁!?」

「お、おお。そうだけど。何? どうしたんだ本当に」

「実はですね、今詩織さんとしゅ……モガッ!」

 何かを言いかけたアルトの口を、詩織がすごい勢いでふさぐ。

「余計な事言わなくていいから! 何でもない! そ、それより皆温泉入りにいかない?」

 めちゃくちゃあからさまに話題変えるな……。

 いったい何の話をしていたのだろうか。

「温泉? 温泉があるのですか?」

 詩織の拘束から解放されたアルトが、目を輝かせる。

「ああ、一応旅館だし、従業員なんかは自由に入れるよ」

「温泉は知ってるのか」

「まぁ異界にも温泉はありますからね。といってもこちらのように特別なお湯、というわけではなくただ大きいお風呂を温泉といっているだけですが、現世の温泉は異界の比ではないとか、お湯によって効果は違いますが、入るだけでバフがかかるという話を聞きました」

 バフって……。

「そんな大げさなものじゃないけどな……」

「でも、お肌がつるつるになったりするのは良いわよね。はぁ、実家が温泉入り放題ってうらやましいわ」

「前までよく俺の家に遊びに来て温泉入ってただろ? 最近はどうかわかんないけど」

「それでも毎日入れるのはうらやましいわよ」

「そういうもんか?」

 毎日温泉に入っていたため、感覚がマヒしているのだろう。

 俺も記憶を失うまで、一人暮らしをしていた時は無性に広い風呂に入りたくなることもあったのだろうか。

「それにしても、詩織さんよく遊びに来てたんですね」

 にやにやとした視線を詩織に送るアルト。

「いい加減にして。 本当に違うから!」

 必死になって否定する詩織。

「違うってよく遊びに来てたのは本当だろ?」

「そうじゃなくて……。あーもう、良いから温泉行くわよ!」

 スタスタとドアに向かって歩き出す詩織。

 何にそんな怒ってるんだ……?


「ほぇーーー」

 肩まで温泉に浸かると、自分でもびっくりするぐらい変な声が出る。

 やはり温泉は日本人の心。俺も無意識に温泉を求めていたのかもしれない。

 広い風呂でしか味わえない解放感は最高だ。足をゆらゆらと揺らしながら、体の芯に熱が伝わるのを感じる。

 それにしても、今日は本当に色々あったな……。

 風呂に入ったことで、今までより強く疲れを感じる。

 一人暮らしの家を出たときは、帰郷するための移動だけで疲れそうだなぁ、なんて思っていたわけだが、それどころかとんでもないサプライズが俺を待ち受けていたわけだ。

 吸血鬼と出会い、異界に行き……。なんて想像できるわけがない。

 というか今でもあまり実感が沸かない。

 何なら夢なんじゃないか、なんて思っている自分もいる。

 記憶を失うとともに、何かの幻覚でも見ているのではないだろうか。

 それはそれで嫌だな……。

 疲れたとはいえ、とても新鮮な一日ではあった。

 空想でしかないと思っていた存在に触れるなんていうのはまさに非現実そのものだ。

 記憶を取り戻すために、過去の記憶と向き合うという本来の目的からはかなり逸脱した一日ではあるが、濃い一日であったことは間違いない。

 中学生くらいの自分に言ったら、どれほど羨ましがるだろうか。

 それにしても……。

「アルトが出てきたときはびっくりしたなぁ」

 異界の門を見たときも衝撃的ではあったが、まさかそのあとに衝撃(物理)が襲い掛かってくるとは……。

 さらにそれが吸血鬼って言うもんだからとんでもない。

 昼に駅で煙草を吸ったときには、現代人は情報社会に生きているのだから、立ち止まる時間が必要、なんて考えていたが、今日俺の頭に入ってきた情報量は、現代人においても致死量だろう。

 いくら記憶が抜け落ちてメモリに空きがあるとはいえ、パンクしてもおかしくない。

 吸血鬼が出てきて、異種族大戦争を止めなくちゃいけなくて……。

 今日一日で、俺は一般人という肩書を捨てる必要があるかもしれない。

 別に一般人でありたいわけではないけれども。

 昔はこんな非日常にあこがれを抱いていた。とはいえ、自分にさほど力があるわけでもないのにいざ当事者になると、難しいものだ。

 一体俺に何ができるのだろうか。

 そもそもなぜ俺は異界の門が見えてしまったのだろうか。

 いくら考えても、それらしい答えは見えてこない。

 とにかく、自分でできることをやっていくしかない。

 それに、俺がそもそもここに帰ってきた理由も忘れてはいけない。

 めちゃくちゃやること増えたけど‥‥‥。

 そうして俺は、ふぅと一息をつき風呂から上がるのだった。


「あ、愁さん」

「アルトか」

 男湯の暖簾をくぐり外に出ると、ちょうどアルトも女湯の暖簾から出てくる。

 ふわりと花の香りが鼻に触れる。

 男湯も女湯もシャンプーなんかは同じはずなのだが、絶対に俺からはしないような匂いだ。

「ちょうど一緒のタイミングだったんですね」

「そうみたいだな」

 しばらく静かな時間が流れる。

 そういえばアルトと2人だけで話すタイミングって無かったな。

 強いて言うのであれば、アルトに血を吸われたタイミングであろうか。

「愁さん」

 沈黙を破ったのは、アルトだった。

「ん?」

「あの、後悔……していませんか」

「後悔? 何がだ?」

「今回の件についてです……。詩織さんと違って、愁さんはそもそも異界の存在を初めて知ったわけですし、私に協力する理由があるわけでもないじゃないですか」

「後悔、か。それは別にないな。理由がないと言えばそうなんだけど、逆にこんな経験普通はできないしな」

「経験って……だって、何が住んでいるかもよくわからない世界に行って、危険な目に合うかもしれなかったわけじゃないですか」

「それはまぁ、そうかもしれないけど。別にまだ何か危険な目にあったわけじゃないからな。自分が危険なことをしているかもって意識があまりないのかもな」

「……というか今日一日で一番危なかったのってアルトに血を吸われたことなんだが」

「うっ……痛いところをついてきますね……」

「次点で門から飛び出してきたアルトと正面衝突した奴だな。あれは痛かった」

「そう考えると危ないのは異界じゃなくて私ですね……」

 ガックシと肩を落とすアルト。

「でも、それなら猶更、なんで私に協力してくれるのですか?」

「なんでか……そういわれると難しいな」

 明確になぜと問われると、ちゃんとした答えがあるわけじゃない。

「別に、女の子に助けを求められたら誰だって助けたくなるものだろ? それだけだよ」

「なんかあしらわれた感じがしますね……ちょっとむかつきます」

 なんで!?良い感じの返しだと思ったんだけどなぁ……。

「そ、それで、吸血された時のけがとかは大丈夫でしたか?」

「ああ、傷とかは大丈夫だ」

「それでも、まさか気を失うとは思わなかったので……正直かなり心配しました。あの後も異界に行ったり色々あったので……」

「あー、確かに疲れはしてる」

 普通に吸血云々なくてもへとへとになるような一日だ。

「それより、逆にアルトは血を吸ってから何ともないか?」

「私ですか? 特に何ともありませんが」

「そうか、ならよかった」

 『あの時』の記憶が少し脳裏をよぎり、一瞬背筋がぞくりとするような感覚を覚えるが、何ともないのならばそれに越したことはない。

「? 変なことを聞きますね」

「あーいや、別に何でもないならいいんだ。ほら、理性が飛ぶくらい危ない状況だったわけだろ?」

「それに関しては大丈夫です。愁さんの血の質はびっくりするぐらい良かったですから。現世の人の血ってみんなあんな感じなのでしょうか……」

「それはちょっとわからないけど……」

 そもそも血の質の良し悪しが何で決まるのかもわからない。

「ただ、俺の血は血液型で言ったらかなり珍しいな」

「へぇ、珍しい血液型ですか。どうなのでしょうか……。私もそんなに多くの種類の血を飲むわけじゃないので。……まぁぶっちゃけおいしければ原因とかどうでも良いですけど」

 どうでもいいのかよ……。

「今の会話めちゃくちゃ不毛だったじゃねぇか……」

「いえ、不毛なんかじゃないですよ。私が言いたいことはですね、私はおいしい血が飲めればそれで良いのでぜひとも喫煙のほうをですね……」

「お? 昼の続きと行くか?」

 聞き捨てのならない話に思わず反応してしまう。

「冗談ですよ……これでも感謝しているのですから」

「そうか……とにかく何ともないなら良かった。」



「ふぅ、良いお湯だったわ。久しぶりだったから、つい長湯しちゃった」

 部屋へと戻ってきた俺たちは、お茶を飲みながら、一息ついていた。

「いやぁ、堪能できました」

「そりゃ良かった」

「そろそろご飯にしない? なんだかんだあって昼食も食べれてないからおなかペコペコなの」

 確かに、異界やらなんやらのおかげですっかり食事を忘れていた。

 せっかくだしカフェでなんか食べればよかったな……。

「そういえばアルトって食事は血を吸うだけなのか?」

「生命維持的な観点から見たら血だけで十分ではあります。まぁ娯楽としての食事はしますけど」

 栄養としては血だけで十分なのか。吸血鬼の体の構造がどうなってるかわからないが、食事を娯楽と言い切るからには、おそらく俺たちと同様の食事では摂取できない何かを必要としているのだろう。

「まぁ一応食べれるのか、そしたらなんか出前でも……」

 頼もうか。そう言おうとした瞬間。

 ピンポーン

 部屋のチャイムがなる。

「……?」

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