第3話 偵察
「……で、何がどうなったら実際に異界に行こうってことになるんだ?」
あの後しばらく話したのち、俺たちは異界へと来ていた。急展開に理解が追いついていない上に、先ほどの出来事もあってか、体には疲労感がある。
目の前には、茶色い煉瓦を主とした建物が立ち並んでいた。といっても今俺たちは路地裏のような、狭い場所にいるため、そこまで詳しくは見渡せない。空を見るに、今はこちら側も昼なのだろうか、青々とした空が、路地裏からでも望める。
異界というくらいだからもっと、現実ではありえないような景色を想像していたのだが、想像を大きく、良い意味で外れた景色だ。
突飛な感じはないが、それでも今まで見たどこの景色にも当てはまることはない。
ただ、景色に感嘆する気持ちはあれど、それ以上に話の流れそのまま来てしまった自分の浅慮さに疑問を感じる。
「やっぱり、交流が断絶されてるはずなのに、人間がこちら側に来るのは普通にまずいんじゃないのか?」
「さっきも言いましたけど、別にばれませんよ」
アルト曰く、こちら側には現世のように門を管理する人がいないらしい、いや、いないというよりは、現世のように、明確な座標に門が存在しているわけではないという。異界には空間が不安定な場所が各所に表れ、そういった場所では、一定の条件を満たせば、門として機能してしまうらしい。
「そもそもこっちの人間かどうかなんて、見てもわからないですしね」
「というか詩織は異界には行きたくないって言ってなかったか?」
「でもアルトが大丈夫だっていうから‥‥‥」
あなた簡単に人のこと信用しすぎじゃないですかね‥‥‥。
これが罠って可能性も十分に有ったわけだ。
まぁ来てしまった時点で俺も同レベルなのだが。
街ゆく人々を見ても、その容姿は様々で、ケモ耳が生えていたり、明らかに姿が違う人もいたりするが、俺たち普通の人間と見た目が違わない人もいる。
俺たちがいてもバレなそうだっていうのはなんとなく察する。
仮に異界の人しか持っていないオーラ的なのがあったら詰みなわけだが。
というかケモ耳いいな。文字通り空想の存在のため、現実で見るのはコスプレぐらいなものだが、やはり本物は毛並みが違う。めちゃくちゃ触りたい。
「愁、変なこと考えてないかしら?」
「そ、そんなわけないだろ……」
「あの、さすがに面倒ごとを起こすのはやめてくださいね?」
図星を突かれ、少し焦る。
べ、別に思っただけで本当にそんなことしようと思ってないし……。
「と、とにかくまずはこの路地裏から出よう。もっとちゃんと街並みを見たいしさ」
先ほども言ったが、俺たちは不安定だった空間から出てそのままだったため、路地裏にいる。そのため、街の雰囲気は感じられるが、限られた場所しか見えない。
「そうですね、異界がどんな場所かの視察をするために来ていただいたわけですし、早速行きましょう」
そうして俺たちは歩みを進め、表の通りへと出る。
「おぉ……」
視界に飛び込んできた街並みは、路地裏から見て想像したものと大体一致するものだが、やはり、実際に目にすると違うものがある。
街は緩やかな坂になっており、一番高いところには、一層大きい建物がそびえたっている。道ではいくつもの露店が野菜など様々な品を売っており、それを求める人々(?)でにぎわっている。
「いい場所じゃないか」
「ここらはこの国でも一番にぎわっているところなのです。平民街を出たらすぐこの国の闇が見えてきますよ……」
この国の闇って……
怖いこと言うなぁ、と一瞬思ったが、この一帯を平民街、と呼ぶからには当然貧困街や、スラムのような場所があるのだろう。
「それにしても、異界に来たのはいいものの、視察って結局何するのよ?」
「街の様子はわかったけど、これが問題の解決につながるとは思えないしな」
「確かに、そもそも吸血鬼以外の住民は現世の存在すら知りませんし」
知らないのか……。
まぁ俺も今日知ったばかりだから何とも言えんが、一層異界に来た意味が分からなくなってくる。
「とりあえずここからは移動しましょう。きっと急にいなくなった私を吸血鬼たちが探しに来ているはずなので」
それ大丈夫なのか……?
「マジでこっち来る意味なかったな……」
「まぁそういわないでください。実際に異界を見てみるというのも大切ですよ」
確かにこの景色を見ることができたというのはよい体験ではある。ちょっとした海外旅行に来たような気分だ。
まぁそれに勝る不安要素が大量にあるのだが……。
「というか、ここにいるのがまずいならもう一度現世に戻るのじゃダメなわけ?」
「それでもいいのですが、世界を行き来するというのはなかなかに体力を消費するのです。あまり短期間に移動を繰り返すのは推奨できません」
先ほど感じた疲労感はそれが原因でもあったのか……。
「そもそもさっき使った門は閉じてしまっているので、また別の門を探さなければいけません」
「それちゃんと帰れるのよね……?」
「ええ、異界なんてそもそも存在が不安定の塊みたいなものなので、すぐに不安定な空間ができますよ。まぁそれを探すのにも一苦労するわけですが」
「なるほどね」
なるほどねじゃないが……。見つからなかったらどうすんだよ……。
「あ、そうだ。出発する前にこれを着てください」
どこから取り出したのか、アルトの手には三着のローブがあった。かなりサイズが大きく、やけにぼろぼろだが、なんだか魔法使いみたいで格好がいい。
「俺たちのこの格好じゃ目立つからな」
道行く人は街並み同様、現世できていたらコスプレと勘違いされるような服を着ている。現代の日本の服を着ている俺、そして巫女服のままであった詩織は先ほどから視線を集めていた。
「私たちが着るのはわかるけどなんでアルトまで着替えるの?」
「これから行くのは貧民街です。文字通り裕福ではない方たちが住むエリアですから、いい服を着ているとそれだけで目立ってしまうのです」
たしかに、さすが支配層の吸血鬼というだけあってアルトの着ている服はいかにもいい素材でできているように見える。豪華というわけではないが、アルトのかわいさも相まって、すごく華やかだ。最初に見たとき、なぜか気品を感じたのは、服のイメージがあったのも間違いないだろう。
そうして促されるままローブを着た俺たちは、先行するアルトについて歩き始めた。
「もうこの辺りは貧民街です。さすがに吸血鬼はここまでは探してないでしょう」
歩くこと数分、俺たちは貧民街と呼ばれるエリアにやってきたのだが、現実で言うスラムのような雰囲気ではなく、薄暗ささえあれど、普通の住宅が並んでいる。
「思ってたより貧民街って感じはないな」
「ええ、異界の、特にこの国は何せ人口が多くありませんから、数百人程度なら国がする支援で生活をある程度まかなえるのです。自分で言うのもなんですが、異界における吸血鬼のカリスマは現世の独裁者の比ではありませんから、裕福な人たちや平民から相当な税金が得られるのです」
「それはすごいな……とはいえ、いくらカリスマがあっても不満の声なんかもあるんじゃないか?」
日本でも生活的に困っている人を支援する制度はあるが、その是非についてはたびたび議論になる。
「当然あります。ただ、この国の支援の形は現世とは違いまして……」
少しうつむいて、言いづらそうにアルトは話始める。
「異界において、支援を受けるということは、生活の自由を手放すということを意味します。というのも、支援を受けた人たちは、もれなく現世で言う人権をほとんど手放すことになります。政府の指示通りに働かされ、社会的地位もどん底に落とされます。支援で得た金銭の使用についても管理されるため、一生自立することができません」
「なんでそんなことに……? 政府としても、自立してくれた方がありがたいんじゃないのかしら」
普通に考えればその通りだ、支援にかける金銭は少ない方がいいに決まっている。
「それはそうなのですが、これは吸血鬼が支持を集め続けるためのシステムでもあるのです」
「なんでだ? 逆にそういう人たちがいつまでも自立できないことの方が不満を買いそうなものだけど」
自分たちが払う税金で生活している人たちが、働いているとはいえいつまでも自立しない、というのは誰でも気分がいいものではないと思うが。
「この国で貧民に認定された人は手の甲に烙印を押されます。そして、この国において烙印を押されている人は……それ以外の人に何をされても歯向かえないという決まりがあるのです」
「「!」」
何をされても歯向かえないということは、それこそ犯罪行為だって……。
「……なるほど」
とても悲しいことではあるが、人とは残酷な生き物だ。
そもそも異界に住んでいる存在を人と同列に見ていいかは置いておいて、人は自分より下の存在がいて、それが虐げていいものだとなると、徹底的に虐げる。きっとそれは人間ではないこちらの人々にも共通しているのだろう。
なぜか、と問われるとわからないとしか答えられないが、本能的にそういうものがあるのだろうか。
確か現世でもそういう社会実験があった気がする。
「貧民街についての説明はこんなところでしょうか……。すみません、重い話になってしまって……。私も何とかしたいとは思っているのですが、なにぶん発言力は無に等しいもので……」
異界に行く、という時点で、自分たちの世界とは違う、と思っていたはずではあった。
それでも実際に生活している人たちを見て、その現状を知ると、考えさせられるものがある。
「お二人が貧民街について悩まれる必要はありませんよ。話しておいてなんですが、これは私が何とかするべき問題なので」
「そういわれてもな……」
いくら自分には関係がないとはいえ、そんな境遇にある人たちの話を聞いて、何とも思わない人はいないだろう。
「私もここの問題については何とかしたいとは思うけど、とりあえずは目下にせまった問題をどうするか考えましょう。それだけで私たちには十分荷が重いわけだしね……」
詩織の言う通り、もともと異界に来た理由は、吸血鬼の現世襲撃を食い止めるためだ。ここで暮らす人には申し訳ないが、このままではここをどうこうしている間に現世と異界の戦争が始まってしまう。
「とりあえず、どこか落ち着ける所はないか? こんなところで立ち話するのもよくないだろ」
「そうですね、近くに知っている店があるので、そこに行きましょう」
そうして俺たちは、神妙な面持ちではあるが、再びアルトの後ろをついていくのだった。
「いらっしゃいませー」
からんころん、という小気味良い音とともに開かれたドアの奥から、女の子の声が聞こえる。
俺たちは、すぐ近くにあるカフェへとやってきていた。
「どうも」
「あ、アルトさんじゃないですか。いらっしゃいませ」
店のカウンターの中から、金髪の女の子が駆け寄ってくる。
「おぉ」
その少女を見て、俺が思わず感嘆の声をあげてしまったのは、何と言ってもその特徴的な容姿を間近で視認したことが原因だ。
ケモミミである。
少し大きめの、言うなれば狐のような耳だ。
素晴らしい。
久しくしていなかった感動を俺は今味わっている。
「グッ」
瞬間、詩織の肘と冷たい視線が俺へと突き刺さる。
いや違うからね? 人間誰でも素晴らしいものを見たら感動するでしょ?
「今日は珍しくお一人じゃないんですね」
「ええ、今日は友人と一緒に来たんです」
俺の感動と痛みは置き去りに、アルトたちは話を続ける。
この二人がどんな関係かはわからないが、おそらく一般人であろうその少女に、俺たちの正体を告げるわけには行かない。
そもそも告げる意味もあんまりないし。
「へぇ、アルトにも友達がいたんだねぇ」
そんなことを考えていると、カウンターの中にいた、もう一人の女性が遠巻きに声をかけてくる。
大人な雰囲気を感じさせるその女性は、にっこりとアルトに視線を向けた。
容姿的には黒髪のロングで、少し詩織に似てないこともないが、圧倒的に雰囲気が違う。
なんというか独特で、妖艶な雰囲気だ。
「わ、私にも友達の一人や二人いますが……?」
「あれ、ついこの間友達がいないって私に泣きついてきたのはどこの誰だったっけ」
「ちょっ……! そのことは言わない約束では……!?」
アルト……お前そんな悲しい奴だったのか……。
「と、とにかく。お席にご案内しますね……?」
一瞬何とも言えない雰囲気になったのを察してくれたのだろうか、ケモミミの少女が話の流れを断ち切ってくれた。
「私はアイスコーヒーを」
「じゃあ私も」
「俺も」
席に着いた俺たちは、注文をする。
メニューを見る限り、コーヒーや紅茶など、カフェにあるような物は一通りそろっており、スイーツなんかもあるらしい。
らしい、と言うのも俺たちにはメニューの文字が読めなかった。
普通に喋ることができているあたり、音韻や文法的な差異はないだろうが、五十音、ないし漢字などがまるまる別のものになっていると思ってくれると分かりやすいだろう。
逆に、説明を聞いた感じでは聞いたことの無いようなものもあるが、これは異界特有の物なのだろうか、それとも俺に知識がないだけなのかはわからない。
「かしこまりました」
注文を受け付けた少女は、カウンターへと戻っていく。
「貧民街にもこういう店があるんだな」
先ほど聞いた感じだと、このような雰囲気の飲食店が存在しているとは思わなかった。
「いえ、この店が特殊なだけで、本来この辺りにこういう店は他にありません。そもそも店があったところでこのあたりの人は利用できませんしね」
支援を受けている人は金銭の使用を管理されているという話があったが、まぁそういうことなのだろう。
なおさらなんでこんなところに店を構えたんだ……?
「まぁ逆にこんな場所にある店だからこそ、私も頻繁に来ることができるのでありがたいですけどね」
「知名度があると目立っちゃうものね」
「いえ、私は政治に関わってないのもあって有名とかそういうわけではないのでそこは問題ないのですが……。どちらかというと他の吸血鬼が私の外出を快く思わないもので……」
「確かにさっき急にいなくなったアルトを探しに来てるかも。みたいなこと言ってたな」
それに、平民街にいたとき、周りの視線を集めていたのはアルトの存在ではなく、変わった格好をしていた俺たちの方だった。
「まぁ、私たちは知ってるけどねぇ」
「うわっ」
普通に詩織が嫌そうな声をあげる。
それは流石に失礼じゃない……?
いやまぁ嫌な感じがするのは同感だけれども。
先ほどまでカウンターにいたはずの女性がいつの間にか俺たちが座っている席のすぐ横に移動していて、声をかけてくる。
「彼女はこの店の店主でして、様々なことに詳しいのでよく相談しているのです」
「フウカという。よろしくね」
フウカと名乗ったその女性は、えも言えぬ不安を感じる笑顔でこちらを見る。
「愁です。どうも」
「詩織です。よろしくお願いします」
「いやぁ、それにしてもアルトの友人とは恐れ入った。……それもこの世界の住人でないとなれば尚更……ね?」
「「……っ」」
なんでわかった?
いやそれよりもなんなんだ。さっきから感じるこの独特のいやな雰囲気。
そもそもアルトの話によれば異界と現世の話を一般人は知りえないはずだ。いろいろ相談しているとはいえ、そんな機密情報まで話すだろうか。
「……そこらへんにしてくださいフウカ。二人が警戒しているじゃないですか」
「ははは、悪いね」
「愁さん。詩織さん。驚かせてしまってすみません。先ほど言った通り、私はフウカに色々相談事をしているのですが、今回も、現世に行く前にフウカに伝えていたのです」
「なる……ほど。初対面でこんなこと言うのもあれだけど、その人大丈夫なのよね?」
先ほど同様、詩織がそう思う気持ちにはまったくの同感だ。
「安心して下さい。頭がやばいのは確かですが、ちゃんと信頼できる人です。本人が嫌がりそうなので言いませんが、ちゃんと理由もあります」
「そう……なのか?」
まぁアルトがそこまでいうなら信頼してもいいかもしれない。
「そういうことだね。二人も何かあったら相談したまえよ」
そう言い残し、颯爽とカウンターへと踵を返し戻っていくフウカさん。
「いつもあんな感じなのです。ですからあまり気にしないでください」
「ふーん」
なんて言いながらカウンターへ帰って行くフウカさんをぼーっと眺めていると、突然、視界からその姿が消える。
「あ痛っ!」
それと同時に情けない声が店に響き渡る。
「「え?」」
その声の元を視線で追うと、床に大の字で横たわるフウカさんの姿があった。
「ちょ、大丈夫ですかオーナー!?」
慌てて駆け寄るケモミミの少女。
「な、なんでこんな……。せっかくかっこいい感じだったのに……」
「ここら辺はアルトさんが来る前掃除しててまだ拭いてなかったので滑りやすくなってるんですよ」
「さ、先に言ってくれたまえよ……」
いてて、なんて言いながら頭をさするフウカさんを、俺たちは何とも言えない表情で見る。
なるほど……。先ほどまで感じていた雰囲気は、どうやら作っていたものらしい……。
「彼女、読んだ本に影響されやすいタイプなのです……」
「ちょうど昨日読んだ本にああいうキャラがいて、やってみたかったんだ」
キリッとした表情でこちらにウインクするフウカさん。
床に転がったままされてもカッコ悪いよ……。
「とにかく、悪い人じゃなさそうなのはわかったよ……」
「お待たせしました。アイスコーヒー三つになります」
しばらくすると、ケモミミ少女がアイスコーヒーを持ってきてくれた。
かわいらしい猫のような動物を模したコースターの上にアイスコーヒーを置いてくれる。
「っ」
丁寧な所作を眺めていると、ふとその手に描かれた紋様が目に入る。
これは……。
「愁さん、余りまじまじと見るものではありませんよ」
俺の視線に気づいたのだろう。アルトが声をかけてくる。
「あー、申し訳ない。つい……」
「この店に来た時もじろじろ見ていたものね。まったく」
それとこれは見てた意味が違うが……。
「す、すみません.......これ、ですよね……」
少女は申し訳なさそうに右手の甲をこちらに見せる。
やはりその手には禍々しい紋様が刻まれている。手の甲に刻まれた紋様、それがこの異界で意味するものは俺の知る限り一つしかない。
貧民の烙印だ。
「ごめんなさい。お見苦しいものを見せちゃって」
少女はポケットから手袋を取り出し、着ける。
「い、いや、そういうわけじゃないんだが」
「サツキさん。この人たちは気にする人じゃないから大丈夫ですよ」
「ああ、申し訳ない。意識させちゃって」
「いえ、大丈夫です。お察しの通り、私は貧民です。本当はこういう仕事もできないのですが、オーナーの計らいによってこの店で給仕をさせていただいてます」
ちらりとフウカさんの方を見ると、ニヤリと笑みを返してくる。
本当に何者なんだろうこの人……。
「いやぁ、サツキはとぉっっってもかわいいだろう? そんな子にひどい仕事をさせるなんてまぁ許せない話だ。どうにかしてあげたいと思うのが自然じゃないかい?」
確かにそれはそうだ。こんなケモミミ美少女を酷使するなんて許されるはずがない。
まぁこの国ではそれが許されているわけだが……。
しかし、そんな理由だけで貧民のシステムを変えるような真似ができるものなのだろうか……?
「確かに、とってもかわいいわね。耳もすごく素敵だし。ちょっと触ってみてもいいかしら」
「いいですよ」
あっさりと許可を得た詩織は、いかにもモフモフそうで、きれいな毛並みの耳に手を伸ばす。
俺も触りたい!!!
そう強く心の中で念じたものの、当然何ら効果があるわけではない。
当たり前だが口に出せるわけでもない。
異界においてどうなのかはわからないが、もし日本で初対面の異性に耳を触りたいなんて言ったら警察が飛んでくる。
「……」
俺には口をつぐんで詩織がモフモフを堪能するのを見ていることしかできない。
「うわ、すっごい触り心地良い!」
「ひゃっ」
「ごめんなさい、強すぎたかしら?」
「いえ、私感覚が敏感なので……。ちょっとびっくりしちゃっただけです」
「……」
目の前でとてもうらやましい景色を見せつけられ、かつ何もできないこの状況。
ある種の拷問と言えよう。
くそ、世の中とはなんて非情なのだろう。モフモフを目の前にして触るのを耐えられる人間がいようか、いやいない。それにも関わらず、我慢しなければいけないとは……。
「ありがとう、とてもよかったわ」
「いえ、満足していただけたようで良かったです」
不貞腐れてコーヒーを流し込みつつ、しばらく待つと、ようやく俺にとっての拷問の時間は終わりを告げたようで、ケモミミの少女は再びカウンター裏へと戻っていく。
「さて、一息ついたところで今後について話していきましょう」
「ああ」
ケモミミを堪能できなかったことは今後一生引きずるだろうが、それはそれとして、本来異界に来た理由を忘れてはいけない。
「結局、私たちは何をするべきなのかしら」
「吸血鬼を止めたいってのはわかるんだが、今俺たちがやめてくださいって言ったところで何ら意味がないだろうしな」
「そうですよねぇ……。私がその辺を考えるべきなのですが、なにぶん勢いでここまで進めてしまったので……」
しばらく沈黙が訪れる。
「……まぁそこらへんは全員で考えよう」
「とりあえず、吸血鬼が怒っている主だった原因、というかきっかけって吸血鬼が失踪したことなのよね? だったらそのことについて私たちでも調べてみない?」
「確かに、現世側でしか得られない情報もあるだろうしな」
アルトの話を聞く限り、現世側のせいだと一方的に決めつけた吸血鬼たちが、現世に協力を依頼したとは考えにくい。
「とはいえその情報をどう調べるかについては考えなきゃいけないけどね」
「では、今後は現世側で主に活動することにしましょう」
「それがいいと思うけど、アルトは現世にいて大丈夫なのか?」
「ええ、まぁよくはないと思うのですが、私普段から頻繁に家を空けるので、結局はいつもの事かって思われるだけだと思います。見た目に関しても、羽なんかは隠せますから、あんまり問題はないと思います」
家をよく開けるって……。結構おてんばなのか?
「現世に行くのかい?」
「うわ」
再びいつの間にやら席のそばにやってきていたフウカさんが声をかけてくる。
「うわとは失礼だね」
遂に咎められてしまった。
「フウカ……。そのいつの間にか近くにいるやつやめた方がいいですよ。私はもう慣れましたけど」
「いいなぁー現世。知っているだけで、行ったことないんだよねぇ」
彼女が何歳かは知らないが、そもそも一般人には秘匿されているもう一つの世界の存在。たとえ断交される前からその存在を知っていても、行ったことがないというのは割と普通の事だろう。
「ま、私が急にいなくなったら大事になっちゃうから行かないけど」
含みのある言い方をするフウカさん。
「それはそうとして、フウカ。何か言いたいことがあるから話に来たのでしょう?」
「そうだね。まぁ私も情報集めには協力するよってこと。まぁ異界でだから成果は期待しないでほしいけどねぇ」
「それはありがたい話ですが……いいのですか?」
「うむ。勇気ある若者を応援したいのさ」
「私が言っているのはそう言うことでは……」
「好意は気にせず受け取りたまえ。それと、もうすぐこの近くに門ができるから、早く帰ると良い」
「……わかりました。では、みなさん行きましょう」
少し腑に落ちないような表情をしたアルトが席を立つ。
それに続くように俺たちも店を後にする。
カッコつけながら戻っていこうとし、再び足を滑らせたフウカさんの悲鳴を背に受けながら。
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