第2話 吸血鬼との出会い

「……吸血鬼?」

「何冷静装って『……吸血鬼?』とか言ってんのよ。パンツガン見してたのばれてるからね」

 思考では我慢しても、体は正直だったようで、一瞬で看破されてしまった。

 すっと詩織は少女のスカートを直す。

「でもまぁ……吸血鬼みたいね」

 あまりの急展開に詩織もまだ困惑しているらしく、顔をしかめている。

「ちょ、ちょっと飲み物取ってくるから、その子の様子を見てて」

「あ……おい!」

 逃げるように本堂から出ていく詩織。

 こんな状況で一般人を置いていかないでくれよ……。

 さっきの話的にこいつが敵意を向けてくる可能性めちゃくちゃ高いのに‥‥‥。

 とはいえ。見る限りこの大の字になっている少女がそんな存在であるとは思えないが‥‥‥。

 と言うか、自分で言うのは癪だが、パンツをガン見していた人物を残していくのもやばいだろ。

 自分で言うのは癪だが......。


 しばらくすると、詩織がお茶をもって戻って来て、吸血鬼も、少しずつ意識がはっきりしてきた様子を見せる。

「えーっと……こういう時ってどうすればいいのかしら、バレないうちに殺すべき?」

「そんなこと俺に聞かれても……」

 というか殺すって物騒すぎだろ‥‥‥。

 しばらく気まずい空気が流れるが、やがて完全に意識を取り戻したらしい吸血鬼? の少女が口を開いた。

「そこの方、ここは現世で合っていますか?」

 あ、日本語なんだ。

 いきなりよくわからん言葉で話し始めたらどうしようかと思ったが、普通に日本語で話してきたことにほっとする。

 先ほどまで気絶していたとは思えないような毅然とした態度で、見た目は幼いが、どこか気品を感じる。

「ええ、ここは現世だけど。……見たところ、あなたは吸血鬼……よね?」

 とりあえず見たところ、敵意はなさそうだ、と見たのだろう。詩織が答える。よし、ここは任せてよさそうだ。

「はい、お察しの通り、私は吸血鬼です」

「吸血鬼といえば、異界の支配層だったと思うんだけど、そんな吸血鬼が現世にどんな御用で?」

 そんな偉い感じなんだ。そりゃ気品を感じるわけだ。

 というかそんなやばい存在だったならなおさら俺だけ残してどっか行くなよ‥‥‥。

 それにしてもさっき聞いた感じだとしばらく現世と異界の交流はなかったはずだ。この吸血鬼が一体どんな目的で来たのかは気になる。

「それなのですが……」

 一瞬、吸血鬼は申し訳なさそうな顔をすると、

「お願いします! 私を助けてくれませんか!?」

 すんごい勢いで、土下座した。

 え、土下座? 土下座ってあの土下座だよね?

 今までの緊張感とはあまりにギャップを感じる行為に、思わず困惑してしまう。

「た、助けるって……?」

「と、とりあえず土下座はやめないか?」

 これ以上の急展開に頭がついていかないし、少女に土下座をされているこの絵面は、誰に見られるわけでなくとも普通にまずい。

「いえ、助けるというのも少し違うのですが、このままだとまずい状況になってしまうので、現世側の方に協力していただきたいのです」

 すっと顔をあげ、真剣な顔でこちらを見る少女。

 さっきまで気絶して呆けた顔しか見てなかったからあれだが、この子、かわいい。

 こんな状況でもそんなことを考えるくらいには整った顔をしている。

 いや、だからそんなこと考える状況じゃないんだって。

「えーっと、で、具体的には何をすればいいのかしら。その……」

「申し訳ありません。さすがにいきなりすぎましたね」

 俺のくだらない思考は置き去りに、話は進んでいく。

「私はアルトと申します。お察しの通り、吸血鬼です。さっき、支配層、と言われたましたが、私はまだ幼いので政治なんかはやっていません」

「檜山詩織です。この神社の、異界の門の管理者をしているわ」

「えーっと、俺は最上愁です。……一般人です」

 促され、自己紹介をするが、なんか俺だけ肩書がなくてダサい感じになってしまった。

 いやしょうがないでしょ。本当に一般人なんだから。

「はい、よろしくお願いします、詩織さん、愁さん。早速本題なのですが、異界と現世の交流が20年前に絶たれたのは知っていますか?」

「ええ。なんだか関係が悪くなったとか」

「うーむ、やはりそう認識していますか」

 そう言うということは、異界側は何か理由があって現世との交流を絶ったのだろう。

「ちょうど20年前のことなのですが、一人の吸血鬼が行方不明になったのです。当然彼女の捜索は行われましたが、見つからず。さらに彼女の部屋には荒らされた痕跡がありまして。吸血鬼たちは現世側の人間が彼女をさらったのだ、と結論付けてしまったのです」

「そんなことが……? でも、現世側で、そんなことをしたなんて報告は……」

「いえ、私もそれを現世の人間がしたとは思っていません。第一仮に現世の人間に囲まれた程度で吸血鬼が負けるわけがないですし」

 やっぱり種族の差的なのはあるんだ……。まぁ物語でも吸血鬼が強キャラってのは鉄板だよね。

 ということはおそらく、たまに現世に攻め込んでくるとかいう輩に、吸血鬼は含まれていないのだろう。

 それほどに強力な存在ならば、なんらかのニュースになるレベルの事件が起きているだろうし。

「ただ、頭に血が上った吸血鬼たちはそう決めつけてしまいまして。それから一方的に交流を断絶してしまったのです」

「なるほど、そういうことだったのね……」

「それで、ここからが私が現世に来た理由になります。先ほどの件について、しばらくは議論されているだけだったのですが、ついに吸血鬼たちが現世に攻め込もうとしているらしく、私はそれを止めたいのです」

「と、とんでもないことになってるな」

 先ほどの推測があっただけに、なんとなくだが事の重大さが分かる。

 今日異界の存在を知ったばかりだというのに、衝撃の事実ばかり流れ込んでくるな‥‥‥。

「でも、なんでアルトさんはそれを止めたいと思うんですか? 吸血鬼なんだったら、それに賛成してもおかしくないと思うんですけど」

「呼び捨てでかまいませんよ。それに関してなんですが、さっき言った通り、行方不明の件が現世側のせいで起こったと私は考えていません。それに、私は現世が好きでして。あちらの世界は発展度で言ってもこちらの世界には遠く及ばないのです」

「なるほど……」

 なんとなくの事情はつかめたが、それでも難しい話だ。そもそも俺に何ができるかすらわからない。

「一旦お茶を入れなおしてくるわ……」

 そう言い、立ち上がる詩織。少し考える時間が欲しかったのだろう。

「「……」」

 また沈黙の時間が訪れる。

 とはいえ先ほどとは状況が違う。怒涛の展開だったが、一旦頭の中で状況を整理する。

 うーん。どうしてこうなっちゃったんだろう。 

 まさに、地元に帰ってきたら、ファンタジー展開に巻き込まれた件について、とか言いたくなるような感じだが、知ってしまった以上、何もしないわけにもいかない。第一何もしなかった場合、吸血鬼が攻めてくるとかいう妖怪大戦争が始まってしまうのだ。

 そもそも俺は、これからどうなるのだろうか。

 『秘密を知られたからには消えてもらう!』

 的な展開になるかもしれないと思うとぞっとする。

 どうしたもんか、とか思いながら、ふと対面に座る少女、アルトへと目を向ける。

 ぐぬぬ、とか言い出しかねない顔をしている。彼女も色々と考えているのだろう。

 天を仰いだり、頭を振ったり、ころころと表情が変わる。

 パッと見た感じだと圧倒的に清楚で高貴な感じがしていたため、面白いなー。なんて思って眺めていると、突然、アルトの顔がさーっと青白くなる。

 なんかまずいことでも思い出したのかと思っていると、ぱたん。とアルトが倒れる。

「お、おい。大丈夫か?」

 さっき頭を打ったのがまだ尾を引いているのだろうか。慌てて声をかける。

「ま、まずいです……」

「まずいって……まだ頭が痛いのか?」

 気絶していたほどだ。脳震盪を起こしているかもしれない。

「い、いや、ち……」

「ち?」

「血を吸わないと……」

 血。吸血鬼なのだから血を吸って生きているのは当然のことなのだろうが……。

「そんな急に倒れるもんなのか?」

「い、いえ、ほんとは今日必要分を摂取するはずだったのですが……今回のことを知って……慌ててこっちに来たので……忘れていました」

 事情を話すアルトだが、その様子は見るからに悪くなっていく。

「血……」

 血を分け与えないとどうなってしまうのか、俺にはわからない。すぐには死なないだろうが、良くない状況になるのは明らかだ。

「このままだと……理性が……」

 どくん……。

 苦しむアルトを見て、心臓が大きく脈打つ。

 俺はとある理由があって血にトラウマがある。

 目の前の光景が、その時の情景に重なり、どんどんと鼓動が早まる。

 異常に働く心臓とは裏腹に、顔から血の気が引いているのを感じ、足が軽く震えだす。

 どうする……。詩織を呼ぶか……。

 とはいえこの状態のアルトを一瞬でも一人にすべきではないと思う気持ちもある。

 それに何より声がでない。

 やはり血をあげないと……。

 前に進もうとするが、震えた足が動かない。

 まずい……。

「……っ!」

 首筋にズキリと痛みが走った。

 何が起こった……?

 思わず痛みのもとに、手を当てようとすると、途中で何かにぶつかる。

 アルトだ。

 アルトは俺の首筋に牙を立て、血を吸っていた。

 久しぶりに感じる、血の抜けていく感覚。また『あの』光景がフラッシュバックしてくる。

 俺はただ、青ざめた顔で立ち尽くすことしかできなかった。

「ぷはぁっ」

 しばらくすると、アルトは俺の首筋から口をはなし、小さく声をあげた。

「はぁ……はぁ……」

 しばらくすると、理性が戻ったのか、はっと顔をあげ、立ち尽くしたまま、青い顔をしている俺に、アルトが声をかける。

「も、申し訳ありません! つい気が動転してしまって……。大丈夫でしたか……? 吸いすぎてしまいましたか……? いや、それより怖かったですよね……本当に申し訳ありません!」

 一言も話すことができない俺に、ひたすら謝るアルト。

 俺が怖いのは血を吸われることじゃない……。危機を脱することができたならそれでいい。

 でも、また『あの時』のように俺の血が人を殺してしまったら?

 腹の奥から何かがこみあげてくるような感覚に、ひどく不快感を覚える。

「うっ……」

 そうして俺の意識は闇へと落ちていった。


「ーぃ……ぉーい。愁ー?」

「はっ」

誰かが呼ぶ声に、目が覚める。

「よかった。目が覚めたみたいね」

「……詩織か」

 ようやく頭が周りはじめ、状況を理解し始める。

 俺はあの後気を失ってたのか……。

「ごふっ!」

 落ち着き始めたところで、ふいに腹部に強烈な衝撃が襲い掛かる。

 今日は何かと痛い目に会うな……。

 なんて思っていると、衝撃の主が、大きな声で泣き始める。

「うわぁぁぁぁあああ!じゅうざんごべんなざいー!」

 予想通り、アルトだ。

「わだじ、じゅうざんごろじぢゃっだのかとおぼって!」

「あー、大丈夫だ。ごめん、なんか」

 本当は大丈夫か確認したいのはこっちなんだが、まずはアルトを落ち着かせるために声をかける。

 頭の中で状況を整理したことで、再び具合が悪くなるのでは、とも思ったが、気絶したタイミングがピークだったようで、だいぶマシになっている。

 ていうかこいつ力つっよ!?

 アルトの腕は、俺の腹を、人間ではゴリゴリのマッチョぐらいじゃないとありえないくらいの力で締め付けている。

 そしてその力はどんどん強くなっていて……。

「……ちょっ! ぢょっどまっで……。それ以上の力で閉められたらホントに……」


 結局、アルトをなだめるのに10分ほどの時間を要した。

 永遠にも思える10分だった。

 あの力に耐えた自分の体をほめてあげたい。

 詩織が助けに入っていなければ今頃どうなっていたか……。

 バツンと真っ二つになる自分の体を想像して、冷や汗をかく。

 本当に吸血鬼なんだなぁ……。

 どこかのタイミングでパンツを見てしまったことを謝ろうかと思っていたが、やめておこうという決心がつく。

 本気で殺されかねない……。

「で、アルトは大丈夫なんだな?」

「ええ。助かりました。それと……。本当に申し訳ありませんでした。血のことも、その後の事も……」

「まぁ、そのことについては良いよ……。状況が状況だったし……それよりアルトが無事でよかった」

「本当にありがとうございます」

「そうね……。本当に……よかった」

 複雑そうな顔でぽつりとつぶやく詩織。

 詩織は俺の聞く『無事』のもう一つの意味まできっと察しているだろう。

「私が言うのもなんですが、愁さん。あなたの血はえらくおいしいですね」

「血にも味の違いとかあるのか……」

「もちろんですとも!」

 そういったきり、血液型がなんだかんだと、プレゼンを始めるアルト。そんなこと知っても血を吸わない俺には何にもないわけだが……。

 アルトの話を適当に聞き流していると、急にアルトの様子が変わる。

「どうした!? まさか……」

 やはり俺の血を吸ったのは……。

「……いんやまっずぅ……」

「は?」

「愁さん。あなた、もしかしなくても煙草吸っていますね? 今私に最悪の後味が襲ってきました……」

「お前……」

 心配して損したわ。あーあ。こちとら無理やり血を吸われた上に、俺の血を吸った影響があるのか、とか心配もしたのに。さっきみたいに旨いっていうならまだしもまずいって、それも俺の(多分)好きな煙草のせいとかぬかしやがった。

「い、いや、感謝しているのはほんとです。味も最高だったし。ただ少しもったいないというか……」

「はいお前許さんからな」

 こいつには2度と血を与えることはないだろう。

「い、今からでも煙草をやめる気はありませんか……?」

「まだ言うかこのクソガキ!」

「クソガキじゃないです! 私は愁さんの3倍は生きています!」 

さらっととんでもない暴露があった気がするが、そんなことよりこいつをぶちのめすのが先だ。

「はぁー……。やめなさいあんたら」

 ギャーギャーと騒いでいると、詩織がスッっと間に入ってくる。

「愁さんが私のことクソガキって言ったのです!」

「いや、こいつが俺の血を……!」

「それより愁。あなたは本当に大丈夫なの? 気絶までしたのよね?」

 きっと、詩織は俺が血を吸われただけで倒れたわけじゃないだろうことも察しているだろう。

「やはり吸いすぎてしまいましたか……? それか、何か私が血を吸ったらまずいことでもあるのですか……? 人間が吸血鬼に血を吸われたら吸血鬼化しちゃうとか……。」

 恐る恐る聞くアルト。

 確かに、吸血鬼に血を吸われたら半吸血鬼になったり眷属になったりする、という話はよくある。

「いや、そういうわけじゃないけど……」

 吸血鬼化の懸念は、詩織の一言で否定される。

「ただ、愁が血を分けたっていうことが……その……」

「いや……大丈夫だ。ちょっとびっくりしただけだから……。」

「……そう、ならいいんだけど」

 俺と詩織は押し黙る。今日だけで気まずい雰囲気は何度も体験したが、今回が一番重い空気だ。

「いやぁ、人から直接吸うのは初めてだったので、なんか問題があるとかじゃなくてよかったです!」

 そんな俺たちの空気は、アルトの能天気な一声に、吹き飛ばされるのだった。

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