第12話 明らかにかませっぽい奴

 空に巨影が現れたのは、昼のことだった。


 最初は、山が動いたのかと思った。

 しがない農民であるエノムは、朝方日課の散歩をしていると、近くのルミキル山の山頂付近で何かが動いたように見えた。雪の被っている白い部分が蠢いてまるで鳥のような形に見えた。この地方に伝わる伝説の再現のようだ。新年の祝いで飲んだ酒がまだ残っていたのかと目を擦り、散歩を再開する。

 支えなければならない家族がいる。妻と、まだ幼い息子が一人。酔っぱらって転んで死んだりしたら目も当てられない。


 昼になって新年祭が本格化する中、家族を連れて宴会を楽しんでいると、何か妙な雰囲気になってきた。皆一様に山脈の方を見て指さしている。歓声を上げる者も、悲鳴を上げる者もいた。


 そのシルエットは飛行して、こちらに近づいてきていた。ゆっくりとした動作に見えるが、あまりにも巨大すぎるだけで実際は直線距離で50㎞はある山頂からものの5分足らずで到達していたことを冷静に考えると、あまりにも速すぎる。この時点で我々が逃げられないことは決まっていたのだろう。

 朝のそれは見間違いではなかった。日が遮られ、空が暗くなる。純白で覆われた、規格外の生物だった。

 その巨体は、村に近づくにつれて速度を落とし、ついには白銀の翼を広げて村全体を回るように飛びながら、じっくりとこちらを観察している。


 "ルミキル山には天使様がいる"。村の風習に合わせていつも山を拝んでこそいたが、その言い伝えが本当だったのだと言うことをその時知った。そして、伝承には致命的な漏れがあることも理解した。

 その天使は、慈愛の心など持ち合わせていないということだ。


 最初は、天使様がついに顕現されたと称える声が多かったように思う。

 しかし、その存在を危険なドラゴンだとして、急いで早馬を出そうとした役人が、その存在の吹いた息によって血煙になってからは恐慌状態に陥った。


 緊張が、村中を覆っていた。膝をついて祈り続けるもの、自分の様に家族と抱き合うもの。取る行動は様々だが、村から出ようとする者はいない。そうすれば即座に殺されることが、数人の犠牲によって理解できたからだ。


 村長が、村の上空にいるそれにむかって声を上げる。


「天使様、何か気に障られることをしてしまったのでしょうか…!どうか、どうか今一度我らに慈悲をくださりませぬか…!」


 その言葉に、それは何も反応しない。…いや、僅かに喉を鳴らして息を断続的に漏らしている。まるで笑っているかのようだ。


 矢を射かけた狩人がいた。矢を払うために爪を振るった衝撃によって、直撃していないにもかかわらず3つに裂けて死んだ。


「天使よ、決闘を受けろ!」


 おそらく地に落とすためだろう。開けた空間で勇敢にもそう言って斧を構える若者がいた。その存在はその言葉が終わると同時に急降下してその男と交差し、若者はザクロのように弾けて終わった。それの体には傷一つなく、逃げる隙も無かった。


 そこまで経ったところで、その威容が遥か空へと舞いあがった。ここを去ってくれるのか。そう思い、安堵した。何が目的であるかもわからないが、エノムとしては家族が無事でさえ終わってくれればいい。


 白銀の翼を広げ、遥か上空にいる姿は神のように見える。いや、真に神なのだろう。自分たちの全てが、その存在の気まぐれによって左右されているのだ。


 その口が、まさに神託を下すかのようにこちらを向いた。




 そして一瞬の後、閃光が世界を支配した。






 叫び声や怨嗟の声で満ち、灰燼の舞う中、その白き竜は大地を踏みしめ震えていた。


「あぁ…やはり人間の断末魔はいい……最初はやはり恐怖を高めてからの虐殺に限る…」



 ◆



 今、私は新年祭の催しを見て回っていた。

 外が賑やかな中、部屋で本を読むのも気分が下がるし、安静にするよりは動いた方がいいと言われたのもあった。今は一人だ。ジークは"燃える玉虫亭"でバカとバカをやっていたから置いてきた。

 蒸留酒ショット賭博とかいう、酒をやたら一気飲みするルールもよく分からないゲームの何が楽しいんだ。普段と変わり映えしてないし気持ちを新たにできてないじゃないか。


 酒カス師匠はともかく、賑やかなのは嫌いじゃない。

 どんなものも高いのは玉に瑕だが、普段の仕事の報酬も安くは無いし、昨日頑張ったからとジークにもらった小遣いもあるのでまあ何とかなる。


 私が普段使ってる剣を買った店が出店を出していたので剣を見る。私は審美眼は無いと言っていいが、それでも剣には馴染んできた。露骨に悪い物は何となくわからないでもない。

 記念の飾りがついているとのことだが…たっけぇ!劣悪品じゃないがこんなもんのために倍額は払えん…。


「セツナ嬢、これは今しか買えないんだよ。このワンポイントの美しさがわかるかい?美術品美術品!」


「いらないかな。こんなんに金払ったらジークに縊り殺される」


 移動して色々見て回る。

 三分の一の確率で火を噴くブドウやカニっぽいけどカニじゃないカニより食べにくい何かなど、ホビー的な食べ物が多くて楽しかった。

 

 一通り見て回った後で"燃える玉虫亭"に戻ってみると、鼻を刺す強烈な臭いが立ち込めていて顔を顰めてしまう。吐瀉物の臭いが充満している。死屍累々の光景として倒れたり壁に頭を打ちつけたりする男たちがいたが、ジークはその中にいなかった。


 フラついている店主から適当に袋を借りて掃除をしているところで、ゲロで溺れかけていたフィッチを救う。…今私が来てなかったら死んでないか?こいつ。


 ジークがいると聞きにくいし、今、レヴィの動きを探っておくことにする。金を節約するには恩を着せるに限る。


「救ったついでに聞きたいんだけど…今のレヴィとアンナについてとか知らない?」


「オッ、アァ…レヴィは月の氷園を攻略するために数日前にここを発ってるぜ。お前らと入れ替わりくらいかな…」


 "月の氷園"……1話で最初に攻略したダンジョンだ。原作と逸脱していないようで少し安心する。これからも彼らの動向についての情報は仕入れなければ。


「うぁ〜頭いて……あんたの師匠、全員潰れたからって西の方に遊びに行ったぜ……」


 私がキョロキョロしていることに反応したのかトンブが私にジークの所在を伝えてきた。全く世話が焼ける……。


「情報ありがとう。人様に迷惑をかける前に迎えに行ってやるか……」


「俺たちは人様じゃねぇのか…」


「そりゃそうだよ、思いあがるな。というか迷惑かけられてないでしょ」




 町ゆく人にジークの行方を尋ねながら歩くが、私の足が本調子じゃないことを抜きにしてもあっちの移動速度が速い。こんな時にまでご自慢のスピードを発揮しなくてもいいのだが。

 彼はめったに見ないほど濃い赤毛に金眼、高い背と非常によく目立つ。行方を探ることが容易なのが不幸中の幸いだった。


 人でごった返している酒場で、ついにジークを発見することができた。ジーク以上に大柄な男と何か話し込んでいる。

 怪我した身でかき分けるのも面倒だし、手を挙げて声を掛ける。


「おぅい、ジー…」




 その時、よく通る大きな声が入り口の方から響いてきた。


「なぁ、ここで一番強いのは誰なんだ?」


 今入ってきたのであろうその黒髪の少年に、注目が集まった。隣で男か女かよくわからない小柄な子どもがビクビクしている。

 そしてそこに、見覚えのある赤毛が酒瓶を片手に絡んでいくのが見えた。勘弁してくれ…。


「一番強いのは、俺だぜ。"ここ"の範囲がどこまででもな」


「そうか。なぁ、手合わせしてくれよ」


「ガキが英雄ごっこしたいなら家に帰って二人でやってろぃ」


 普段ならこんなの意にも介さないだろうが、顔が赤らんでいる。あらかじめ買い込んでた酒…その中でもかなり強いのをストレートで浴びるほど飲んでるな。私が一口飲んだら昏倒するような奴だ。そこまでやってもほろ酔いなんかだら凄いもんだが……この場合は面倒だ。他人のふりをしよう。


「おぃ~セツナぁ!どこ行くんだオイ?」


 ふざけんなよ。

 私に注目も集まって逃げるに逃げられない状況だ。渋々近づいていく。


「ごめんね…君たち。はい、帰りましょうね、酔っ払い徘徊老人さん」


「あぁ?んあぁ…うん、帰るよ。こいつと話付けたらな」


「…マジでやる気?…やめてよ。あなたの暴力はそんな安くないでしょ?本来なら個人的な手合わせとか結構もらうはずじゃん」


 私の言葉に虚空を見ながらむにゃむにゃ言っているが、少年が挑発してくる。


「強いって名乗り出た癖に負けるのが怖いのか?」


「おお、いいね。威勢がいいね、大好きだ」


 あーあ、これ無理だな。

 少年の隣の子どもが震えている。可哀そうに。


「ヤバいよ……音断ちジーク、国家英雄だよ…!」


「へぇ……有名人か?」


「そんなもんじゃない!なぁんで知らないの!?」


 …ん?なんかこの感じ、どっかで見たことあるような…具体的な作品名は無いけど何十回も見たことあるような…。


「おいおい、音断ちの名を知らないとかどんな田舎者だ?赤毛に金の目、目立つ容姿だと自覚してるんだが」


 事実でも自分の名声を誇示するな。相手の無知を笑うな。悪役になるから。


「ちょっと…ほんとやめてよ、そのタイプの取り巻きにはなりたくない」


「何言ってんの?」


 逃げようかな。なんか少年が急に規格外の力使ったりしてきたら怖いし。


「負けるのが怖いのか?」


「ちっせぇガキがイキるなよ」


 お前も自分よりでかいやつに勝ちまくってるだろ!


「まぁ、さっきも言ったが威勢がいいのは好きだ。俺に挑んでくるやつも少ないし……特別に受けてやるよ。結果は見えてるがな」


 ヤバい、なんかめっちゃ負けそうだ。


「やめといた方がいいんじゃない…?」


「何だ、負けるとか思ってるのか?」


「いや、流れ的に……」


 強敵を求める名の知られていない少年に気の弱い相棒がいて、それに知名度や実力を誇示して余裕で嫌味な感じを出す……ツーアウトってとこか?




 決闘は5秒くらいでその少年は奇麗に入ったアッパーカットで空に飛ばされて決着がついた。

 剣すら抜かずに勝つんかい。なんだったんだよこの時間。


「そこそこ才能あったわ。鍛えれば俺の100分の1くらいにはなるかも」


「褒めてんのか貶してんのかわかんないよ」


「俺が俺を基準にして評価するときは超褒めてる」







 翌日、早朝に門を叩く音と同時に叫び声が聞こえてきた。


「ジーク殿!緊急です!ドラゴンが一柱、ルミキル山から人里に降り、村二つと都市が一つしました!至急対処のため同行を願います!」



 ◆



 ドラゴン。その鱗はあらゆる攻撃を防ぎ、爪や牙はどんな武器よりも鋭く、その肉体は神速を超えて活動する。そして代名詞ともいえるのが全ての竜が行うことができる一撃必殺の大技である、口から放つブレスだ。性質などに個体差はあるが大抵の場合一噴きすれば小さい町くらいなら消え去る。

 たった一つの個体によって国が滅んだことすらある、この世界における最強の種族である。食物連鎖の圧倒的頂点であるからか、個体数は非常に少なく、有史以来人間によって確認された数は記録にある限り総合してもたった2桁に収まっている。その神秘性から神として崇める宗教も存在している。

 国を挙げて対抗しなければならない存在であり、単独でドラゴンを討伐した人間は、歴史上ただ一人しか存在しない。


「その唯一勝ったことのあるあなたに竜がどれだけ強いのか聞いていい?」


「今さらミーハーみたいなこと聞くなよ。ただの空飛んで火ィ噴くだけのデカいトカゲだ。気負わなくていい」


「…続きを話しても?」


「すいません、どうぞ」


 今は魔力によって動く空飛ぶ移動手段、魔法車に乗り込んで移動しながら作戦説明を聞いていた。

 魔法車に乗るのは初めてだがかなり速い。はめ殺しの窓から外を見るが、新幹線くらい出てるんじゃないだろうか。1時間もあれば目的地まで着くらしい。

 初めてと言ってもそもそもレヴィが学生時代に作った研究をもとにしていることから実用化して間もない上、使える人間も片手で数えられる程度であるため、世界に二台しか存在していないのだから当然と言えば当然だが。ちなみに一台はレヴィの空間魔法の中だ。

 10mくらいの高さを滑るように飛んでいる。低い障害物を無視できるからか揺れなどはあまりなく、存外快適だった。


「…と、このように今回では我々は周辺被害を抑えるために尽力します。ジーク殿の邪魔はしません」


「おお、丸投げをいい言い方するもんだな。それに、アダム殿下を引っ張り出さないで単独で竜に突っ込ませるってことはずいぶん俺も高く買われてるもんだ」


「殿下にはご公務がありますし…それに、神器も急に出すには手続きが面倒なんです。ジーク殿は前例もありますし…」


「はいはい、とりあえずなんとかなるであろう俺を投入して、もし死んだら本腰入れますよっていういつものやつね。分かってるよ。国の存亡の危機にご公務優先ね…」


 そこまで話したところで、魔法使いのエリートの文官と思われる壮年の男は押し黙った。緊張しているようでどこか所在なさげにしている。


 ジークが運転席の方に声を掛ける。


「もうちょっと飛ばせねぇの?」


「あんまり話しかけないでください!事故ります!」


 運転手の青年の足が震えている。実戦投入される機会からして初めてに近いだろうし責任重大だしで大変だな、と話しかけちゃだめだから心の中でエールを送る。


 そしてなぜ戦いにろくに参加できない私がここにいるかというと、流れで家の門の前まで出たらジークに連れられ、あれよあれよと魔法車に乗せられてしまったからだ。

 乗る段階で完全に見送る体制に入っていたら首根っこを掴まれたし、定員に余裕があるからと誰も止めなかった。ちなみに戦闘の余波で死ぬかもしれないとか言われた時にはもう出発していた。この速度では降りるに降りられず今に至る。


 魔法車の中には運転手を除いて8人ほど座れるスペースがあるが、私とジークの他には4人が座っていた。みんなピリピリしている。当然だ、仮にジークが勝つことを信じていたとしても、竜がふと自分に意識を向けたら死ぬかもしれないのだ。

 その中には1ヶ月前に会った黒髪の少年もいた。隣にいた子どもも一緒だ。彼女(女だった)は聖女で、彼はその護衛兼付き人だったらしい。彼がついてきた理由は不明だ。さっきの作戦概要でも少女は組み込まれていたが、彼はそうでもなかった。彼女本体を狙われた時のためだろうか?昨日の手合わせを見るに私より弱いのに竜に対抗するには心もとなさすぎるだろう。


「よっ、ちゃんと身の程をわきまえて元気してるか?」


「こんな時にまでダル絡みしないの…」


 こんな空気で話すのは私たちだけだ。

 …まあ、ペースを崩さないのはいいことだろう。私たちの命運はジークに全てがかかっているのだから。


 少女…"鉄の聖女"がジークに返答する。


「…わたしたちは基本外に出れないから……それではりきっちゃったんだよね、この人。この前はごめんなさい」


「おい…!」


 少年の顔が羞恥で赤くなっている。初々しいな。こっちの酒で顔赤くして雑魚狩りするカスに比べたらかわいいもんじゃないか。


「……魔法をあらかじめ使っていいならもっとやれた」


「負け惜しみを言うなら、"やれる"じゃなくて"勝てる"くらい言った方がいいぜ」


 少年がぐっと顔をしかめ、俯く。しばらくそこから無言になる。


 少しして、ジークが突発的に顔を上げ、出入口に移動した。窓の外を見て車内にある地図と照らし合わせるが、まだ目的地までそこそこ距離がある。10分くらいかかるんじゃないか。


「降りる。ここからなら走ったほうが早いし……そろそろ捕捉されるぞ」


 全員が色めき立つ。運転手もビクッと跳ねたが車内は揺れない。彼のテクニックが凄いのかレヴィの理論が凄いのかは不明だ。


「えっ、じゃあこの辺で停めま…」


「いい、俺から離れとけ、撃ち落とされるぞ。セツナも今回ばかりは見学な。お前ら作戦通り邪魔するなよ、ある程度はカバーして動いてやるが、勝手にチョロチョロされて死んでも知らねぇからな」


 そこまで言うと運転手の反応も待たずに扉を開けて飛び降りた。強風が吹き込んでくる。

 ここは森の上だ。木を蹴って加速していく。


「ああもう勝手だなぁ…!」


 そのタイミングでそれまで沈黙を保って目をつぶっていた体格のいい男が声を上げた。


「…!おい、ジーク!竜が移動している!…マジか、音速を超えてるぞ、振り切られる。最寄りの村は流石に避難が進んでるが、避難先の都市にもこのままだと3分足らずで着いちまう…あれ、ジークは?」


「多分それ勘づいたからもう移動しちゃったよ」


 リアルタイムで竜の位置を特定する役目を担っていたのだ。不憫である。

 竜は本気で飛べば戦闘機並みの速度を出すことができるらしい、正に空の覇者だ。


 閉じるために近づいた開け放たれた扉から外を見て、ジークがどんどん離れていくのを観察する。…手を上に挙げてる。


「大丈夫、聞こえてたっぽい。無駄じゃなかったよ」


「慰めるな!」


「体出すの危険だからやめて下さい!」


 扉を怪我してない右腕の腕力で無理やり閉めたところでまとめ役の文官が総括する。


「我々はとりあえずジーク殿が足止めしてくれると信じて都市に先回りします。元々竜に近づいたところでジーク殿を下ろした後にする予定を前倒しするだけですね。竜の移動先が分かってる分好都合とすらいえます。大丈夫ですね、カムー君!」


「はっ、はい!」


 運転手の彼(カムー君?)に強く声を掛けると、またもやビクッと跳ねた。しかし、ちゃんと方向が緩やかに変わっていく。


「頼みますよジーク殿…!」



 ◆



 愛と言う概念はとても、とても素晴らしい。


 家族愛も、友愛も、博愛も好きだ。性愛も当然好きだ。


 例えば愛している存在が命の危機に瀕した際に取る行動一つとっても素晴らしい。

 どんな姿を見せてくれるんだろう。守るのか?見捨てて自分だけ逃げるのか?

 同じ状況でも個体ごとに結果が違う。だから面白い。どれだけ殺しても飽きない。それどころかあちらから偶に価値観を変えて味を変えることすらしてくれる。

 何万、何十万年たっても味わい尽くすことのできない、至高の娯楽だ。


 数百年ぶりに地上に出たが、胸のときめきが止まらない。これは、恋であり、愛だ。

 我は人間を心から愛している。





 だから、気づくと地上で空を飛ぶ我と並走をしていた、この不遜なる人間も愛するのだ。


 おそらく人間の実力者か何かだろう。被害が拡大する前に止めに来たか。

 相手をしてやろうかとも考えたが、そのような存在と遭遇することが久しぶりすぎて面倒になった。何人も来ても面倒だしあと数日人里で遊んだらまた寝よう。

 速度を少し落として、地上に向けて軽いブレスを放つ。空から睥睨する視界全ての平原や森が数秒で炎に包まれ、地獄と化した。


 焼死はいい、激痛に窒息に、他者への伝染に火傷による容姿の変化。火力を上げすぎると即座に炭化したり液化したりして散ってしまうのはいただけないが、それ以外は満点だ。


 これで死んだだろう。ああ、楽しい。絶対に敵わないというのにあがく人間が可愛すぎる。彼我の戦力差を理解して死ぬ瞬間はもっと愛らしい。




 速度を戻そうとした時、翼に激痛が走り、バランスを崩す。

 その速度のまま地面に擦過するほど低空飛行をしてしまった。この程度では鱗に傷一つつかないが、翼の方は問題だ。翼膜が切れている。状況を把握しなければ…。


 混乱しているところに再び翼に痛みが走り、ついに飛行できず落下してしまう。


 何が起きた?撃ち落とされた。何に?まさか同族が潜んでいたのか?


「デッケェな…」

 

 体に先ほど見た人間が乗っていた。人間に見下される…?我が…?


 体を大きく振り回し、人間を振り落とす。

 目の前にその無礼者は放り出された。


「殺す…死んだ貴様なら幾分か愛せることだろう…」


 そう言って爪と牙で殺しにかかるが、全てを捌かれる。高速飛行に適応した目であるにもかかわらず相手を見切れない。


「えっ、喋れんの!?…人間ごっこは楽しいか?白トカゲちゃん」


 …非常に腹立たしいが乗ってくるのは好都合だ。感情を乱せる。


「あぁそうだな、楽しいさ。人間の文化は素晴らしい。特にいいのは、愛だ。愛を踏みにじるのは最高の快楽だ。そうは思わないか?人間にしては強大な力を持つ貴様なら分かるだろう」


「…そうねぇ…まあ、自分を強いと思ってるやつを叩きのめすのは楽しいけど…愛は分かんね、あっ」


 返答を最後まで待たず羽ばたき、飛び上がる。左の翼膜に切れ込みが入っているが、この程度なら飛行は可能だ。


 その時その人間が、いつの間にかこちらの鱗に刃を突き立てて同行してきた。…どうやって我が鱗に剣を刺した?

 しかし何はともかく、空は我の領分である。翼も持たぬ猿もどきは竜狩りをしていたよりよほど軟弱だ。上空から落とせば死ぬし、もし何らかの方法でしぶとく耐えてきてもこちらが確実に有利になる。


 高速回転をすることで、奴を振り払う。そのまま死んでくれればよかったのだが、空に放り出した人間が、何か板のようなものに乗って空中に留まっていた。…ふざけるな!思い上がりも大概にしろ!人間の分際で、空を飛ぶだと?傲慢だ。確実に殺さなければならない。

 爪で切り裂き奴を確実に殺そうとするが、剣で受けられ、あらゆる武具より硬いはずの我の爪が欠ける。それどころか僅かに力負けすらしたと感じた。


 不快、不快、不快だ!これを解消するためには殺さなければ、人間を!


 視界の端に、都市が映った。大量の人の匂いを辿って移動していたが、僥倖だ。この状況を打開できるやもしれぬ。


「貴様は…人類の守護者なのだろう?」


 逃れることもできるというのに死の危険を冒してまでこちらに向かってくる理由などそれしかない。

 ブレスを一瞬溜め、都市に向かって放つ。滅ぼしきるには威力が足りないかもしれないが、この際構わない。

 そもそもブレスを発した際の閃光は人間が至近で浴びれば失明し、目を閉じていても行動に影響が及ぶのだ。どこかのタイミングで牽制も込めて、そして周囲の環境の温度を急激に上げて自分の有利にするためにも放つつもりだった。

 庇ってくれれば最高だが、奴の行動を制限することができれば…。


「お前勘違いしてんな、これ使命感に駆られてるわけじゃなくてお仕事だから」


 その人間は完全に都市を無視して、こちらの動きを変わらず凝視し続けている。


 一瞬隙を見せることにためらうが、そのまま放出する。

 今回は熱を圧縮したため余波も少なく、直撃した人間は即死してしまい美しくないが、背に腹は代えられない。

 凄まじい閃光と共に熱線が放たれ、都市に向かって飛んでいく。周辺の空気が急激に熱せられ、非常に強い上昇気流が発生した。



 ◆



 都市に私たちは先んじて到着した。滅んでないし、ジークもいない。ワンチャンジークに遅ぇわボケとか言われるかもとか思っていた。

 城壁の上から例の探知系魔法使い氏の指し示した方向を眺める。…いた。なんか白いのがバサバサやって、豆粒みたいなのがちょこちょこ動いてる。確かに遠目には天使にも見えるかもしれない。


「ジークは小っちゃいのにデッカ…遠近感狂うわ…本当に10㎞も先なのか…?」


「えっ竜はともかくジークも肉眼で見えるんですか?セツナさん。僕には何かシャドーしてるような感じに…」


「まあ、ここ高いから」


 やることのない私とカムー君が話している横では、文官が聖女に発破をかけている。 


「準備はいいですか?ジーク殿との戦闘で、こちらを攻撃する意思が無かったとしても、竜の放つブレスの方向がこちら側に向いた場合、本気度にもよりますがそれだけで都市の人間が死にます。兆候を感じたら合図しますので即座に防壁を展開できるように」


「わ…わかりました」


 聖女はそう言うと、おもむろに差し出された少年の腕を噛んだ。…どういうこと?普通に痛そうだし……。


「イオ…抱きしめて…」


「あぁ、分かってる。安心しろ、オレはここにいる」


 …デリケートな奴だな、見ないことにしておこう。

 目線を逸らすためにも竜の方を再び何となく見る。状況が変わって、竜もジークも空に飛び上がっていた。


 そして、竜がこちらを向いたように見えた。


「ッ、265.98.54.7!」


 そんな声が聞こえた瞬間、太陽が増えたかのような光が発された。


 一拍遅れて異常な熱と衝撃を肌で感じ、死を確信する。上空から放ったにもかかわらず、通過した空間の地面が溶け焦げ、切り取られたかのようになっていて、それは一生命体によって作られたとは到底思えない、災厄の光景だった。


 だが、少し離れた位置にすさまじく分厚い鉄の壁がそそり立ち、ブレスを受け止めていた。鉄の聖女の力だ。文官も何かしているようで呪文を詠唱し続けているように見える。轟音で耳が痛くて実際のところは分からない。


 数秒して鉄が溶けだし、貫通したと思った瞬間、文官が詠唱を完成させたのか防壁が再生する。

 1枚目を貫通するまでに2枚目が生成され、そこで鉄の聖女が倒れこんだ。

 2枚目も貫通される寸前になり、無理なんじゃないかと思ったが、そこでブレスの勢いが急激に死んだ。防壁を貫いた、僅かに勢いの溢れたブレスの残りが飛び出し、城壁にぶつかり、その部分が砕け散った。


 それで終わった。熱気は感じるが、もう衝撃は無い。

 

「やった!生き残ったぞ!」

 

 カムー君が歓声を上げ、空気が弛緩する。

 文官もダラダラ掻いていた汗を拭い、長い息を吐いている。


「みなさん、もう二度目を防ぐのは無理です…ジーク殿を信じましょう」


 そう言われ、まだ問題の根本は解決していないことに気づくが、まあ、大丈夫だろう。あの師匠から強さを引いたら何が残るというのか。こっちに向けて攻撃させるという大きな隙を晒させたんだ。どうにかなるに決まっている。


 そのタイミングで、砕けたのがちょっとズレた位置だから大丈夫だろと思っていた足元の城壁が、グラついてガラガラと崩れていく。そりゃそうだ。一部とはいえ派手に壊れたんだからバランスを崩す。


「あっやばっ」


 そこまで速いペースじゃないからみんなが走って安全な位置に逃げる中、足がまだ不自由な私は上手く逃れられずに空に放り出されてしまった。バカじゃん。



 ◆


 

 着弾音が聞こえたが、じっくりと破壊の光景を眺める余裕はない。


「何百、何千人が今の熱で死んだであろうな!?」


 ブレスを放った際の気流によってやつは空へと投げ飛ばされ、体勢も崩している。ここだ!


「どうでもいいよ、それよりお前…何かデカいくせに弱くないか?」


 なぜかその人間は空中で重力にも気流にも逆らう急加速をし、片翼を斬り飛ばしてきた。

 地面に墜落する。


 …理解した。この男には、愛が無い!

 愛が無い人間はつけ入る隙が無く、殺しても楽しくない。不快だ!関わりたくもない!走れば振り切れるか…?


「なぁ、俺に愛を教えてくれよ」


 いつの間にやら近くにいた人間に左前肢が斬り落とされる。これではもう逃げられない。死が近づいている…?


「つまり、お前も人間を殺すことを愛しているってことだよな?」


 これは、恐怖だ。ありえない、人間ごときに、人間風情に!


「それを踏みにじったらどんだけ気持ちいいだろうな…愛を踏みにじる快楽ってもんの良さを身をもって叩き込んでくれ」


「ふざけるなァッ!!」


 激高し、数万年ぶりに全力で突撃をした。反射神経、速度、大きさ、頑強さ。あらゆる全てが人間の生存する可能性を削いでいる、致死の猛攻だ。

 これは、人間に肩入れする同族を相手に殺し合いをした時以来だ。あれは非常に不快だった。何もかもが、その時と同じだ。あの時も、本気を出せばすぐさま勝利した。当たり前だ。平均的な竜に比べて倍はある体躯は、あらゆる障害をねじ伏せてきた。






 鍔鳴りがした。それが最後に聞いた音だった。


「う~ん…つまんね」



 ◆



「無事防げたか。よかったよかった、ブレスの方向をそらすために位置調節するとか進路調節するとかやるとダルかったからな」


「……溜めがほぼ無かったのと、距離が遠くて減衰したのが功を奏しました」


「死人も無し、怪我人は…バカ弟子一人か、実質ゼロだな」


 …今回ばかりは、バカ弟子呼ばわりに言い返せない。


 ジークが、城壁の前に展開している防壁を眺めながら言う。めちゃくちゃ分厚い鉄の壁に大穴が空いてどろどろになった鉄が溶けだしている。

 貫通して向こう側の城壁が崩れてこそいるが、エネルギーが城壁の一部を破壊するに留まり内部の市街地にいっていない時点で目的は達成したと言っていいだろう。

 …私は被害を受けたがな!


「ジーク殿、本当に感謝します。今回だけではありません…あなたがいなければ、今頃この国は滅んでいたでしょう」


「知ってる。聞き飽きてるよ」


「…ちょっとした小言なんだが、空を飛ばれると座標計算がめんどいからやめてほしかったかな」


「成功したならいいだろ、訓練だと思えよ。…そうだ、聖女サマありがとよ」


 ジークが鉄の聖女に声を掛け、複雑な紋章が刻まれた鉄板を近くに置いた。若干溶けている。さっき出した防壁と同じように耐火効果もあると言っていたが、耐えきれはしなかったらしい。

 この一定時間同じ場所に留まり続ける鉄板をジークに渡したのは彼女だ。遠目に見ていたが、まああれがあるから相手が隙を晒したようなもんだし、彼女の戦果と言っても過言ではないだろう。


「はぁっ、ふぅっ、ど、ういたしまし、てぇっ」


 鉄の聖女は息も絶え絶えな様子で、イオ少年に背を撫でられている。


「ありがと、イオ」


「…いいさ、オレの人生はリコのためにあるんだから」


 ……ジークが来るまでに少し話を聞いたが、まさか彼を連れてきた理由が、いないと鉄の聖女が本調子を発揮できないからとは…難儀な関係である。

 ジークがその様子を見て頭を搔いた。


「その子に依存するんじゃなくて、お前の役割も見出せよ。おんぶに抱っこじゃ恥ずかしいぜ?」


 …ジークは普段の彼の生意気さを気に入っているんだろうなぁ。


「ジーク、本当に今回お手柄なんだけど……そのイオ君に絡むときの明らかにかませっぽい言動だけやめてくれない?」


「セツナお前昨日から本当に何言ってんの?」

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