第3話 燃える玉虫亭

 私は今、最高に浮かれていた。


 非常に苦い顔した町長から報酬をもらった時は少し罪悪感を覚えたが、ジークから銀貨20枚をポンと分け与えられたら、そんなものは吹き飛んだ。


 一家という単位では所有したことはあるが、個人が自由に使える金として手に入れるのは初である。頬擦りしたい気分だ。


 何を買おうか、やっぱりファンタジー世界なんだし、"ファンログ"でも描写のあった魔道具を買い集めてみたい。いや、久しぶりに美味しいものを食べてみることに使ってもいいな。現代日本級とは言わずとも、農民のバカみたいに貧しい同じものしか食べられない生活よりはマシだろう。


 装備品や必需品の分はジークが出してくれるし、これは娯楽に回すことができる。夢が止まらない。


 う〜ん、金は心を豊かにしてくれる。


 ジークが微笑ましい物を見るような目でこちらを見てくる。もう私のものだから返さんぞ。


「自分で手に入れた金ってのは、やっぱ嬉しいよな。銀貨20枚なんて肉だって買えるし、数ヶ月は食える」


「へぇ…生ける伝説でもこの気持ちわかるんだ」


「そりゃ俺だって生まれた時から竜を斬れたわけじゃない。虫や木、土の味だって知ってるさ」


 私は知らん。共感する流れでより不幸な過去を出すのはやめてほしい。


「まっ、王都に着くまでは取っといた方がいいぜ。あそこなら何でもあるからな、物価は高いけど」


 それはそのつもりだ。そもそも王都まではそんなにのんびり店を見るようなことはできないだろう。


 ちなみにワーウルフに負わされた脇腹の傷は、ジークに渡された何か凄い秘薬を飲んで一日寝たら、完治とはいかずとも塞がっていたし動けるようになっていた。


「ちょいちょい気になってるんだけど、ジークってやたら色々薬持ってるよね」


「魔法が使えないから、装備とか所持品で色々工夫しないと搦手に対応できないんだよ。あとは…家族が薬師なんだ。知識もあるし調達も簡単ってこと」


 知らない情報だ。そもそも作中においてはジークは特殊な首飾りをしていることへの説明はあったが、薬の使用シーンは無い。サブキャラの家族構成なんて説明もあるわけないしな。分からなくて当然か。




 ◆




 それからの道中は私が3回吐いたのとマメが潰れたくらいで特にトラブルも無く、ついに王都に肉薄するに至った。


 まだ数時間歩かなければならないくらい遠くからでも城壁が見えるほど大きい。


 王都──正確にはリストエクムノヒテクナという国を讃える名前があるけども、みんな長いし覚えづらいしで王都とだけ呼んでいる。


「セツナは初めてにしても、俺も帰ってくるのは一ヶ月ぶりくらいだな」


 いつものごとくめちゃくちゃ足が速いので私に答える余裕はほとんど無い。小走りでハァハァ息を切らしてる声だけを返す。


「着いたらとりあえず俺は所用で城まで行かなきゃいけないから、そっちはそれが終わるまで俺の家で待機な。暇なら適当に探検してくれてもいい」


「えっ…いきなり家に招待してくれるの?ていうか単独行動するの?」


「そりゃお前宿無し家無しだろ。知り合いもいないだろうし」


「うん、まぁ…」


 後見人という意味では目の前の男以外頼りの綱は何もない。


「流石に礼儀作法も習ってないやつを身内扱いで王城に入れるとなるとリスクがあれだしな。迷子になってもいいなら外ぶらついててもいいぜ」


 まあ私は身だしなみも整えてないし普段の特訓で手や足はボロボロだし、髪も一切手入れなんかされてない。不敬扱いされても反論の余地はないかもしれない。


「こっからラストスパート掛けるか」


「ハァ!?まだあんなに遠っいのに…!?」


「瞬間的に全力を出せるようにするのは大切だぞ」


 ジークが早足になる。つまり私は全速力を出さないといけないということである。


 だが体力も若干はついてきた自信はある。距離としては弟子入り初日のそれよりも長かったが、それでも最後まで速度を落とすことなく走り切ることができた。


「ひゅっ、はぁっ、どうだ…!私もやればできんだぞ…!」


「満足してるとこ悪いけど体力はあくまで前提だぜ?」


「褒めて伸ばせや!」


 


 ◆




 王都は、それまでの地方都市とは一線を画す賑わいを見せていた。


 特に大通りは人通りもめちゃくちゃ多く、世界中の人間がここに集まっているかのようだった。目が回りそうになる。


 幸いだったのは、そんな中でもジークは背が他の人より抜けているし、目立つ髪色をしているから見失う心配は無いということだ。


「おうジーク、帰ってきたのか!うちで飲んでけよ!」


「嫌だよバーカ!酒不味いんだよてめーんとこは!」


 ちょいちょいジークが、通行人や屋台、店の客引きから声をかけられている。町民にとってはそんな気安い感じなのか…と横顔を見つめると、前の人とぶつかりそうになり、ジークに肩を抱き寄せられた。


「はぐれんなよ、置いていくからな」


「あっ、うん…」


 その様子を周りに見られ、恥ずかしくなってさっと離れる。人を掻き分けながら進み続けると、段々と人通りが少なくなっていく。顔に出ていたのかキョロキョロしていたからなのか、ジークがなぜなのか説明してくれた。


「こっちは裕福な奴らが住むエリアなんだよ」


 確かに家が豪華になっている気がする。そこから少し歩くと、一軒の家の前で足を止めた。


 ジークの家は、貧民のそれと比べればそこそこ大きかったし庭もあったが、貴族の家としてはかなり小さいものであるようだった。一人暮らしで、手伝いも偶にしか雇わないから広くても使わないし手が回らないからだそうだ。


 門を開け、鍵を開けて中に入っていく。埃の匂いがしたが、放置していたにしてはそこまででもない。


「一応今回の留守には週一で掃除してくれるよう頼んでたから、まあまあきれいだな」


 前はひどいことになってネズミが湧いてたから…と言うが、そんなにここには留まることが無いのだろうか。


「空いてる部屋を一つ貸してやるよ。ここを自室にしろ」


 そういって彼に案内された部屋は、手狭とは言われたし、家具も今運び込まれたベッドくらいで他は机と椅子しかなかったが、それでも自分が元々農村で暮らしていた家全体より若干小さいくらいの大きさはあった。


「おおお…あなたについてきて一番嬉しいかもしれない…」


 もう寝藁の上で雑魚寝しなくていいなんて…しかも自分だけのプライベート空間だ。これだけで弟子をやる価値があるかもしれない。


「じゃ、出てくるわ。2時間もありゃ戻ってくる」


「あ、入っちゃいけない部屋とかある?」


「そういうとこは鍵があったり簡単には入れないようになってたりするから大丈夫だ。まあ勝手に物壊したりはすんなよ」


 そう言って彼は家を立った。


 …これから住む家なんだ。間取りを把握するためにも調べるか。装備を外して机の上に置いて、軽くなった体を少し捻る。パキパキと小気味いい音がした。


 この家は二階建てになっていて、私が貸し与えられた部屋は二階の、階段を上ってすぐにある場所だった。


 とりあえず廊下に出て、二階から探索する。部屋は4つあるようだった。しかし、その内2つは鍵がかかっているのか開かない。開かない部屋の一つにはプレートが貼られていて何かしらが書かれていた。読めないが、片方の部屋には明らかな警戒色とエクスクラメーションマークがあったため、不用意に入ることを試みるべきではないだろう。


 私の部屋を除いて残りの一つの部屋は、居室になっていた。ジークの部屋かとも思ったが、化粧台は女性向けの物だし、ベッドの本体は私の部屋に入れられたが、残った寝台の装飾は全くらしくない。


 クローゼットを開けても中には服が入っておらず、今は使われていないようだ。かつて誰か別の人物が利用していたようだった。


 一階に下りる。エントランスに出るが、美術品などが置かれていることもなく閑散としている。ジークらしいとは思う。


 一階には6つの部屋があり、どこも解放されていた。炊事場兼食堂、応接室、ジークの部屋、武器庫、浴室、物置(?)があることが把握できた。


 炊事場兼食堂と思われる大きい部屋を色々漁ったが、酒と思われる飲み物以外は出てこなかった。この世界の今の時代では、保存技術も発展してないし長いこと家を空ける予定だったんだから当然ではある。小腹を満たせないことは不服ではあるが。


 応接室はあまり使われた形跡が無く、先ほどのエントランスの様子と合わせてあまり客が来ることがないのだろうと感じた。


 武器庫と思われる部屋では、大量の剣とナイフがあった。その中には明らかに装飾が豪華なものが7本ほどあり、実益を好む彼の趣味に合っているのか疑問に思う。表彰などで与えられたものだろうか?


 浴室は、水回りが楽だからなのか手洗いも兼ねていた。よく利用することにはなると思う。浴槽というには小さく、水浴びで体を清めることがメインなのだろう。


 物置…と思われる小さな部屋には、使い道の無さそうな物品が転がっている。例えば、小さな木彫りのトカゲや、よくわからない人型?の像などがあった。


 ジークの自室だと思われる部屋(入っていいのか)に入ってみて意外であったことは、本棚がありかなりの数の本を所有していたということである。机の上に出ていた一冊を手に取ってみる。


 ……私は字が読めない。竜が表紙に書かれていた本をタイトルも分からず中を開けるが、やはり読むことはできない。それを置いて本棚からもう一冊を取り出して読んでみる。


 本に触れるのは前世ぶりである。読書は嫌いではなかったし、本をめくるという行為に対する懐古の念に駆られていくつか読む。


 その中で絵が多く、おそらく物語であろう本の内容が何となく読めたため、取って借りていくことにした。


 そこまで調べたところで自室に戻る。取ってきた本をパラパラとめくって懐かしい感覚を楽しんでいると、王都に来たことで未知の感覚があり麻痺していたが、疲れが出てきた。ジークが帰ってくるまで寝ることにする。本を畳んで机の上に置いてベッドに横になる。




「お前大物だな。俺から盗みを働こうとするとは」


 ジークの声がして飛び起きる。私は何度も叩き起こされているうちに、彼が私に声をかけたら起きられる習慣が身につきだしていた。


「へあっ、おっ、お帰りなさい」


「おはよう。この本持ち出してるけど、お前字読めるのか?」


「い、いや…。でも、本っていいよね。なんかこう…自分の知らないことが知れて」


「ふぅん…?」


 ジークが本を手に取り、それを開いて読み始めた。ジークも何かを懐かしんでいるようだ。


「本が知識の集積であることを理解している時点で、お前は本を読んだことがあるだろ。もしくは知識人から何か説教でも聞いたか」


 まずい。確かに文字すら読めない人間は本の価値など知るはずもないだろう。寝起きで頭が回らないからか言葉選びを間違った。


「『勇者サムの栄光と悔恨』。この国の建国にも関わった英雄の物語だ。戯曲とかにもなって、よく演劇の題材にも使われる。…読みたいか?」


 パタン、と音を立てて本を閉じ、こちらをじっと見つめてくる。試されているのか…?


「……そりゃ、できるなら」


「いいぜ。俺がお前に、読み書きを教えてやる」




 ◆




「ねぇ…どこに向かってるの?」


「"燃える玉虫亭"」


 暗号か?意味がわからない。


 ジークが城から帰ってきた後、時間も日が傾き始め、夕時にちょうどよかったので食事をとりにいくことになったのだが、明らかに治安の悪い地区へとずんずん進んでいくため不安になってくる。本を持ち出したことを怒っているのか?


 道端に座り込む浮浪者などが目に入り、もしかして私を犯罪計画に加担させるために弟子にしたんじゃ…とまで考え出したところで、一つの建物の前に止まった。寂れているし、ボロボロだ。出している看板の絵柄とマークからして酒場ではあるだろうが…字が読めないため詳細は分からない。


 その建物のドアを躊躇なく開き、そこにいる一つのテーブルを囲んでいる2人の姿を確認したところで、ジークが声をかけた。内装は小さな酒場のようで、他に客はいない。


「よぉ蛆虫ども。英雄様のお帰りだぞ」


「やっとかよ。焔の魔女を殺してくるなんて大手柄じゃねぇか。しっかし今回やけに長くなかったか?こいつは弱いし、お前がいないと賭けが盛り上がらないんだよ」


 そこにいた禿頭で大柄な男が机上から顔を上げずに答える。何かを広げているようだ。コマなどから見て盤上遊戯だろうか。


「おいちょっと待て!ジーク…女連れとはいいご身分じゃねぇか」


 その対面に座っていたボサボサの髪をした、明らかに身なりが汚い男が、少し高い声を上げて私を指差した。


 この男を私は知っている。もちろん一方的にだし、王都には初めて来たんだから面識なんてあるわけがない。当然かつての自分の記憶だ。


 名前は憶えてないが、王都で一番の情報屋という触れ込みの存在だ。作中では主人公にダンジョンなどの情報を売っていた。


 そのタイミングで禿頭の男も私に視線を向けてくる。少し驚いているようだった。


「意外だよ。ラミゼル以外の女を侍らせたことの無いお前が、こんな地味な女が好みだったとはな。そりゃ貴族の縁談を断るわけだ」


「なわけねぇだろ…こいつは弟子のセツナ。そういうのは戦場が絡むことには持ち込まんし、好みでもない」


「どうだか。弟子とか言って囲い込んでるだけじゃねぇのか?」


 彼らは、私を使ってジークをからかうことをしたが私そのものにはあまり興味が無いようだ。すぐに盤面に視線を戻して遊戯を続ける。


 ジークは適当に近くのテーブルの椅子を取ってそこに付けて座った。私にもジェスチャーで適当に座るよう促す。


「それより、お前らだけか?店主はかき入れ時にどこいってんだよ。エノウとトラビスは?」


「店主のやつは飯を食いに出た。エノウの奴は何か裏の大物の娘に手を出した上に、その父に脅されたらイラッときてうっかり殺しちまったせいでその組織に追われてるらしくて、最近ここにはあんまこない」


「クズしかいねぇのかよ」


 話しながら盤上のコマを禿頭の男が動かす。ルールは分からないが、2人の様子からしてこちらの方が優勢であるらしい。余裕が感じられる。対面の男が頭を掻きむしりながら長考する。


「あと、トラビスは死んだ。言葉の魔女を追ってたのはお前も知ってるだろ?奴に精神操作されて、発狂して自殺した。踊りながら逝く間抜けな最期だったよ」


「……そうか、残念だよ。俺も見たかったな」


「仇はもう取ったぜ」


「そりゃ良かった」


 ジークはそこで立ち上がり、カウンターの中に入って酒を2瓶手に取った。何の遠慮もなしに酒瓶の口をそれぞれ片手で開け、コップを置いて酒を同時に注いで混ぜ合わせる。


 突然の行動にぎょっとしたが、誰も注意しない。


「えっ、今店主さんがいないんでしょ?勝手に触っていいの?」


「営業時間中にいなくなるやつが悪い。後で払うから適当に拝借することにするわ」


 作った自作カクテルを飲みながら、ジークはカウンターを漁り出した。


「おっ、いいねぇ。クソ店主よりお前の作る飯の方がうまいからな」


「金貨でも貰わないとてめぇらに振る舞う分は作らねぇよ。…碌なもんねぇな」


 慣れた手際で裏に入り、食材を取り出して火をつけ、料理を作り始める。二人から離れていそいそとそちらに近づいていく。私の動きなんて誰も気にしていないようだった。


「とりあえずこの店?と、あの二人について説明してほしいんだけど…」


「ん?ああそうだな。さっきも言ったがここは"燃える玉虫亭"。星の数ほど酒場がある王都でも指折りで質の悪い掃き溜めみたいな場所だ。酒も飯もまずいし客もまず常連の4、5人しかこない」


「…なんでそんなとこに…?口ぶり的にジークも常連の一人なんだよね…?」


「……う~ん、話すと長くなるし重要でもないから詳細は省くが、友人に紹介されてな。こいつもクズなんだが、それでそこにいたやつらと意気投合して、ここが溜まり場になってたんだ。俺もまあ居心地が悪くなくて、今もそいつらとつるむためにここを利用してるってわけ」


「別の場所に集まるとかは?」


 そこで決着がついたらしく、例の情報屋の男が奇声を上げる。禿頭の男がこちらの会話に混ざってきた。


「なんかどこも合わなくてな。底辺には底辺の居場所があるってことよ。それにここなら他のやつらに気を使わなくていいしな」


 ジークが私にサンドイッチを出してきた。かなり大きくて、これだけで十分な食事になる。よく焼けた美味しいベーコンとカチカチの劣悪なパンのコントラストが秀逸だ。よく分からない飲み物もコップに出されたが、ジークのことだから有害と言うことは無いだろう。口をつけるが、水の中に薄い苦みがある味がしてあまりおいしくはない。


「んで、このハゲはトンブ。賞金稼ぎだ。凶悪な面通りの人殺しが趣味の危険人物で、関わらない方がいい」


「あぁ、俺も音断ちの弟子の女なんて厄ネタとは関わりたくないから、離れるようにしてくれ。街中で見ても声かけんなよ」


「お前が街中でいたらどうせ血まみれだから、嫌でも話しかけらんねぇよ」


 人殺しが趣味であることを否定してくれ!


 そのタイミングでもう一人の男がカウンターの近くに来た。トンブが移動したことに気づいたらしい。ジークを睨みつけている。


「お、おい、聞いたぞ。お前この女を家にも連れ込んでるらしいじゃねぇか。ふざけんな、いつも俺以外ばっかりが幸せになりやがって。エノウのやつも女を紹介してくれればよかったのに」


 最初はジークに話しかけていたが、途中からブツブツと独り言を言い出す。ドン引きして体を離してしまう。


「この奇人はフィッチ。こんなんでもかなりの腕の情報屋で、王都で起きて一日経ってもこいつが知らないことは無いし、王都に三日以上いてこいつが知らない人間は存在しない。知りたいことがあったら聞いてもいいが…」


「あっ!この女離れたぞ!やっぱり俺のことを見下してやがるんだ!自分も汚い貧農だったくせに!」


 ちょっと待て、なんで私のことをもうそこまで調べているんだ。


「この通りどこから嗅ぎつけたのか分からなくて気味が悪いし、異常者だから執着されたら厄介だしでおすすめはしない。ギャンブル好きの上に散財癖があって金に困ってるから、金さえ払えば使えないことは無い」


 ……こんな人たちに紹介されてしまって、私は大丈夫だろうか。反社会的な勢力と繋がりを持つようなものなんじゃ…。


 ジークも自分の分のサンドイッチを齧り、客席の方に戻ってくる。


 トンブがジークを先ほど遊んでいたテーブルに誘った。


「ジーク、とりあえず『ギゴ』やんぞ。俺の新定石で泡吹いて倒れさせてやる」


「いいね、実力の無いやつが小手先で足掻くところに上から純粋な実力で叩きのめすのが一番気持ちいいんだ」


 横でその対戦を眺めながら食事を進めることにしたが、ルールのわからない盤上遊戯を見ることほどつまらないことはそうない。


 この『ギゴ』というボードゲームは、いわゆる将棋や囲碁のような二人零和完全情報ゲームであるらしいことはわかったが、コマの動かし方や勝利条件が分からないんだから盤面把握なんてできない。


 フィッチが興奮したように実況をしたり横から口出ししたりしているが、当然意味がわからない。1人だけ連れの趣味に乗れずに冷めた女になってしまっていた。


 初戦はトンブが勝ったが、続く2戦でジークが勝ち、勝ち鬨を上げてトンブを煽っていた。余裕とか言っていたが、初戦負けた時の死ぬほど悔しそうな顔を私は忘れていない。


 その後ジークとフィッチが対戦をしたが、ジークの圧勝だった。それだけは私にもわかった。私でもフィッチにだったら今でもワンチャン勝てるかも知れない。


 外は暗くなり始めていた。


「日が沈んでからも戻らなかったら適当に看板下げとけって店主は言ってたぜ」


 そうフィッチが言い、解散することになった。適当すぎる。店に何時間もいたのに唯一の従業員らしい店主に会えないってどういうことだよ。



 ◆




 帰り道、ジークと並んで歩き、暗い路地に入る。そこでこれからのことについて話してきた。


「明日は朝の訓練をやった後、装備を揃えに行く。それが終わったら好きなところに案内してやるよ」


 やった。これで私も王都の娯楽を貪ることができる。通りから漂ってきた美味しそうな匂いや、実演販売していた一瞬で木の生える種などの興味をそそられる事物は多い。


「おい、分かるか?」


 空想を飛ばしていると、肘で小突いてジークが小声で話しかけてきた。何かフワフワする。あの苦味は、もしかしたらアルコールだったのかもしれない。


「うん…金は大切だから使う時は慎重に…」


「そうじゃない。尾けられてる」


「えっ!?」


「おいおい、素人かよ…。頼むぜバカ弟子」


 咄嗟に声を出して振り返ってしまい、こちらの存在を認識した黒ずくめの男が路地裏に消える。


 ジークに小脇に抱えられ、凄まじい速度で景色が動く。


「どぅわあ!?」


「これからお前は英雄ジークの身内ってことになるんだ。それはもちろんほとんどの俺の報復を恐れる連中からは手出しされなくなることにもなるが、人質や弱点として狙われることにも繋がる」


 飛び上がり、ジークがナイフを投げた。黒ずくめの人間が、同時に8人現れるが、そのうち5人はすでにジークの投げたナイフが刺さっていた。急所に当たっているのか動きを止めて倒れる。


「常に周囲への警戒を怠るな。空間把握の特訓にもなるからな」


 私を抱えたまま剣を抜き、突撃してきた大柄な男の腕を切り飛ばす。激痛でその男が膝をついた。


 彼我の戦力差を即座に理解し、逃げようとした残りの2人にその男を投げ飛ばした。


「お友達忘れてんぞ!」


 3人がもんどりうって倒れ込む。ジークがジャンプして彼らの進行方向に立ち、しゃがんで目線を合わせた。


「さて、お前らの上について教えてもらおうか」


「……言うわけがないだろう。もし言ったとしてもその後殺すんだろう?拷問されたとしても適当なことを言うだけだ」


「ハハ、まあ、そうだな」


 そう言ったジークは、そいつらを蹴り倒して気絶させた。こんな世界に足を踏み入れてしまったのか。


 いや、しかしそんなことよりもそろそろヤバい。


「うぅ…気持ち悪い…。早く下ろして…」


 ジークに抱えられて動かれると三半規管がバグる…。吐きそうだ…。


 ドサっと雑に下されよろめきながら立つ。一つ疑問に思ったことを聞いた。


「こいつら3人は殺さないの?やっぱり情報聞き出すため?」


「それもなくはないが、実力差がめちゃくちゃあって殺さずに済ませられる時は基本殺さない。殺人っていうのは色々面倒ごとを引き起こすし、後々で取り返しもつかないからなるべく取らないようにしてんだ」


「あれ?でもあっちの5人は…」


「あれも死んでねぇよ。後遺症は残るかもしれないがな」


 回収して騎士に引き渡すのめんどくせぇな、と嘯きながら下手人たちを紐でぐるぐる巻きにするジークは私が思っているより優しいのかも知れない、そう思った。


 結局騎士の詰め所を訪れて、そいつらを引き渡した。私も鍛えるためという名目で2人を押し付けられて引きずることになったため、かなり疲れた。ジークは軽々運んでいたんだから8人全員やってほしい。


 眠そうな顔をした騎士が少し迷惑そうに襲撃者を引き取るのを横で見ながら、なぜ私たち…というかジークが襲われたのか考える。


「今、騎士たちからちょっと聞いたが、おそらくこいつらは旧王権派の更に過激派らしい。ざっくり言うと今の王が簒奪者だと主張して国家転覆を目論む危険集団だな」


「なんでそれがジークを狙ったの…?」


「俺が王国側だからだな。一応俺は立場上は王直属だし、俺が武力の面で大きな障害になると考えたんだろ」


「ジークに勝てるわけないのに襲撃してきた理由は…」


「お前がいるからだろうな。あちらの理想としては別れたりしたところを狙いたかったんだろうが、こっちにバレちまって最高と言わなくてもロケーション的に悪くないから不意打ち気味の襲撃に切り替えたってところか。と言っても俺に挑むなんて無謀をするってことは、もしかしたら今日なにか手柄を上げないとまずい事情でもあったのかもしれない」


 ふむ…よく分からないが、つまり漫画の展開的にその集団によってジークが殺される、もしくは何らかの弱体化を受ける可能性を考慮しなくてはならないな。というか、なんかそういう団体って黒幕とかに操られがちだし、きな臭い。注意を払うに越したことはないだろう。


「まっ、人1人守るくらいのハンデで勝てると思われるなんて、俺の名声も地に落ちたかな」


 ジークは余裕ぶっている。まあ今回も無傷だし当然だ。


 しかし、メタ的にこの慢心が突かれる疑惑は深い。私が近くで目を光らせないと…。


 襲撃された時ジークにも言われたし、そのためにも観察眼を鍛えることは先決だろう。


 私の頭には、もう明日の楽しみは消え去っていた。私たち2人には常に死の気配が纏わりついているということを、強く実感していた。

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