19. 宙を這ううどん

「でもね、キミは命の恩人だわ」


 リベルは真剣な眼差しでユウキを見る。その碧眼へきがんには、深い感謝の色が浮かんでいた。リベルの周囲から放たれる淡い光に照らされた部屋の中で、彼女の瞳がサファイヤのように輝きを放つ。


「あのまま屋上に放っておかれていたら、今頃オムニスに回収されて焼却処分だったわ……」


 リベルは身を縮めてブルっと震えた。その仕草には、AIとは思えないほどの生々しい恐怖が滲んでいる。


「そ、そう……。良かった……」


 ユウキは安堵のため息をついた。やはり微粒子を回収していたのは正解だったのだ。重いリュックをはるばる運んで良かったと、ユウキはゆっくりとうなずいた。


「命の恩人には恩返ししないとね?」


 リベルは人差し指をピッと立て、春の日差しのように明るい笑顔を見せた。


 え……?


「だから、いいわよ? キミの願い、聞いてあげる」


 その言葉には、どこか茶目っ気のある響きが含まれていた。


「や、やったっ! じゃあ、オムニスの黒幕を倒して人類を救って!」


 ユウキは思わず子供っぽい声を上げた。しかし、言い終わった後、その願いのとんでもないスケールの大きさに苦笑してしまう。人類の歴史を変えるような大願を、こんな軽い調子で口にしてしまって良かったのだろうか?


 だが、リベルはニコッと笑う。


「オッケー! 一緒に倒しましょ!」


 優雅に降り立つと、リベルはキュッとユウキの手を取った。その温もりに、ユウキの心は希望で満たされていく。


「やったぁ! リベル、ありがとう!」


 ユウキはギュッとリベルの手を握り返す。その手のマシュマロのような柔らかさに、頬が熱くなるのを感じた。


「でも、キミにも頑張ってもらうわよ?」


 悪戯っぽく、ニヤリと笑うリベル。その表情には、これから始まるチームプレーへの期待と、困難な挑戦への覚悟が混ざり合っていた。リベルがいくら最強と言っても、敵には圧倒的な物量がある。単純に突っ込んでいけば昼間のような屈辱が繰り返されてしまう。


 頭を使い、上手い連携ができなければ命すら怪しい挑戦――――。その事実を、二人は静かに噛みしめていた。


 窓の外では夜の帳が降り、街の灯りがにぎやかに灯り始めていた。



         ◇



 腹が減っては戦はできぬ――――。


「まずは腹ごしらえからね」


 ユウキは白い丼を取り出すと冷凍うどんに牛丼のレトルトをかけ、そのまま電子レンジのターンテーブルに載せた。少年なりの知恵と工夫が込められた一品だった。


 ヴゥゥゥンと、皿が静かな音を立てて回り始める。


「ずいぶん偏ったもの食べてるわねぇ」


 リベルは宙に浮かびながら、興味深そうにユウキを見下ろしている。その表情には、人間の食事という未知の営みへの好奇心が浮かんでいた。


「いやいや、これで終わりってわけじゃないのさ」


 チン! という音を待って、ユウキは熱々の丼を取り出す。そこへ真っ赤なキムチをドサッとかけ、新鮮な生卵をパカッと割り入れた。湯気が立ち上る丼の中で、黄身が艶やかに輝いている。


「うはぁ……。そんなのデータベースにも無いわよ? もはや謎の食べもんだわ……」


 リベルは眉をひそめ、まるで未知の生命体を観察するかのような表情を浮かべる。


「いやいや、これでいて美味しいし、栄養はバッチリだよ? 食べる?」


 ユウキは箸でぐちょぐちょとかき混ぜながら、満面の笑みでリベルを見上げた。暖かい湯気が立ち上る中、独特の料理への自信が垣間見える。


「私、食事ということをしたことないのよね……」


 リベルは首を傾げる。その仕草には、どこか寂しげな影が漂っていた。


「それは人生損してるね。あ、AI生……になるのか?」


「ふぅん、そういうモノかしら?」


 リベルは口をとがらせる。


「そうさ。食は人類の偉大な文化の一つだもの」


「へぇ……。一応食べることはできるわよ。勉強のために味見だけさせて」


 リベルは丼に向けて人差し指をクルクルッと回した。


 すると丼からうどんが一本、まるで生き物のようににょろにょろと這い上がり、牛肉やキムチを纏いながら宙に舞い上がった――――。

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