16. 希望を背負う巡礼者

「こ、こんな所に放っておくわけにはいかない!」


 ユウキは教室まで全力で駆け戻ると、自分のリュックの中身を乱暴に机の上に放り出した。教科書やノートが散らばる様子も目に入らない。頭の中はただリベルのことでいっぱいだった。


 リュックを担ぎ、急いで戻った屋上――――。


 ユウキは震える手で白い紙を取り出すと、一粒一粒、まるで宝石を拾うかのような慎重さで黒い粒子を掬い上げていく。風が吹くたびに粒子が舞い上がりそうになり、ユウキは息を止めながら作業を続けた。


「待っていてね……安全な所へ避難させてあげるから」


 一心不乱に粒子を集めながら、ユウキの脳裏には先ほどまでのリベルの姿が鮮やかに浮かんでは消えていく。あのつやめく青い髪、柔らかな微笑み、そして――――。


 思わず、自分の唇に触れる。たった数分前、彼女の唇が触れた場所だ。まだ温もりが残っているような錯覚すら覚えた。


「こんな、こんな砂みたいなものが……リベルだなんて……」


 ユウキの声が震える。目の前の黒い粒子の山が、たった今まで自分と会話を交わし、笑顔を見せてくれた存在だとは、どうしても信じがたかった。


 もし、このまま永遠に砂のままだったら――――?


 不意に浮かんだ暗い予感に、ユウキの全身が凍りつく。背筋を這い上がる寒気に、思わず体が震えた。


「いや、いやいやいや。違う、違うって!」


 ユウキは激しく首を振り、その禍々まがまがしい想像を振り払う。額に浮かんだ冷や汗を拭いながら、必死に自分に言い聞かせるように叫んだ。


「これはただの冬眠! 絶対に目を覚ますんだから!」


 声がれるほど叫んでも、込み上げてくる不安は消えない。視界が歪み、温かいものが頬を伝う。黒い粒子の上に落ちた涙が、小さなくぼみを作っていく。


「う……うぅぅ……。リベルぅ……オムニスの黒幕を倒すんだろ? 元に戻ってよぉ……」


 涙で滲んだ視界の中、ユウキはただひたすらに粒子を集め続けた。一粒でも失えば、それはリベルの一部を失うことになる。そんな考えが頭から離れず、細心の注意を払いながら作業を続けた。


 リュックの中に注ぎ込まれていく黒い粒子。それは確かに冷たく、無機質だったが、ユウキにとっては今や、この世で最も大切な宝物だった。



      ◇



「これで……全部……かな?」


 ユウキは膝をつき、屋上のコンクリートの床を這うように確認していく。一粒でも見落としがあってはならない。傾いてきた太陽に照らされた床を角度を変えながら、何度も何度も確認した。


「リベル……もう、どこにも残ってない?」


 声が震える。誰もいない屋上に、少年の切ない声だけが響く。


 最後の確認を終えると、ユウキは静かにリュックを手に取った。


 おほっ!?


 予想以上の重みに、思わずよろめく。リュックの縫い目がきしむような音を立て、背負い紐が悲鳴を上げた。普段使っている通学用のリュックには、明らかに想定を超えた負荷がかかっている。


「でも、これは……リベルの全てなんだ……」


 ユウキは額に浮かぶ汗を拭いながら、慎重にリュックを背負い直す。どれほど重くても、これは大切なリベルなのだ。たとえ体が悲鳴を上げようとも、絶対に手放すわけにはいかない。


 停電の影響で、街は混乱の渦中にあった。電車もバスも全て止まり、道路には立ち往生する車が列をなしている。そんな中、ユウキは必死に自宅への道を辿たどっていく。


「待っていてね、リベル……」


 一歩進むごとに、肩に食い込むリュックの重みが増していく。背中はリュックとの接触で火照り、汗が滾々こんこんと湧き出てくる。


「君を失うわけにはいかない……絶対に……」


 一滴、また一滴と落ちる汗。それは、リベルを守り抜くという決意の結晶のようだった。よろめきながらも必死に前に進むユウキの姿は、希望を背負って歩む巡礼者じゅんれいしゃのように見えた。


 西の空が茜色に染まり始める中、少年はただ、黙々と足を進めていった。

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